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成都武侯祠

2018-05-12 12:21:37 | 海外旅行
成都武侯祠
成都市郊外にある三国時代の蜀漢の宰相・諸葛亮(孔明)を祭った社です。成都武侯祠は完成初期、昭烈帝劉備の祠の隣に位置していましたが、明の時代の初年、漢昭烈廟に合併されてから、君臣を一緒に祭る祠になりました。孔明の贈り名である忠武侯にちなむ武侯祠として親しまれています。現在、成都武侯祠観光地は15万㎡の面積を持ち、三国歴史遺跡エリア(文物エリア)、西区(庭園エリア)や錦里民俗エリアといった三つのエリアからなり、「三国聖地」と呼ばれています。
文物エリア
文物エリアは漢昭烈廟(劉備殿)、武侯祠、恵陵からなっています。
戦火のため、現存する建物は清代康熙の1672年に再建されたものです。3.7万平方メートルの広大な境内には、南北方向の中軸線に沿って大門、二門、劉備殿、過庁、諸葛亮殿の五つ主体建築があります。
大門と二門間の碑
大門を通ると、生い茂る緑の中に六通の石碑があり、中でも孔明を称えた唐代の809年建立の石碑はかなりの文物価値を持っており、"三絶碑"と呼ばれています。これらは唐代の著名宰相裴度が作った碑文、書法家柳公権が書いた書、名匠魯建が彫ったもので、いずれも卓越しています。
劉備殿
二門を入ると、規模が雄大で広々とした劉備殿が目の前に現れます。この正殿の両わきに殿があります。劉備殿には金泥の劉備像が安置され、東側に関羽父子と周倉の彫像、西側に張飛子孫三代の彫像が立っています。東西の廊下には、蜀漢文臣の彫像14台、武将の座像14台がそれぞれ置いてあります。
諸葛亮殿
劉備殿を出て、「武侯祠」という額が掛けられた居間を通り過ぎると、諸葛亮殿に到着します。この殿の真ん中に、黒い絹糸のひものついた頭巾をかぶって、鳥の羽で作ったうちわを手に持った諸葛亮の金箔貼りの彫像があります。彫像の前に置いてある三つの銅鑼は諸葛亮が軍隊を率いて南へ征戦したときに作ったものだと伝えられ、「諸葛鼓」と呼ばれています。緻密な模様が彫られ、貴重な歴史文物だとされています。
恵陵と武侯祠文物陳列室
諸葛亮殿を出て西の方向には、「恵陵」と呼ばれている劉備の墓があります。
「恵陵」を出ると、「武侯祠文物陳列室」があります。蜀漢文物の複製品や三国歴史の写真が展示されています。武侯祠に書画や対句の掛け物がたくさんあります。その中で国を愛していることで有名な宋代の武将である岳飛が書いた『出師表』や現代書道家瀋尹黙が書いた『隆中対』は一番人目を引きます。
庭園エリアと錦里
2003年12月、元成都市南郊公園は合併され、武侯祠庭園エリアになりました。南郊公園は元国民党の軍長である劉湘の墓園でした。この墓園は規模が雄大で、レイアウトがしっかりとしています。400mあまりの中軸線上、浮き彫りの石製の表門、三洞門、四方亭、多角亭、薦馨堂などの主体建築があります。このエリアはもうすぐ三国文化の宣伝兼体験センターになります。
武侯祠のすぐ隣にある「錦里」古町は武侯祠博物館の一部です。建築面積はおよそ14000㎡で、街の全長は550mです。建築のスタイルは清代末期から民国初期の四川民居をベースとしています。内容は三国文化や四川伝統民族文化を中心としています。
観光ガイド
住所:四川省成都市武侯祠大通り231番
営業時間:最盛期(7月1日~10月7日):08:00~21:00。閑散期(10月8日~来年6月30日):08:00~18:00。
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成都三国遺跡ツアー

2018-05-12 12:14:26 | 海外旅行
ホウ統祠は龍鳳祠とも呼ばれ、四川省陽市羅江鎮白馬関に位置しており、四川省で一番早く修築され、もっとも完璧に保存された三国時代の遺跡の一つです。全国で唯一、三国時代の政治家であり軍事家であるホウ統だけを祭祀する祠と墓なのです。 古代、秦から蜀に続く道の最後の堅固な関所で、省級の保護単位になっています。

ホウ統(179-214)は襄陽人で、字を士元といい、号を鳳雛といい、三国時代の劉備策士を担任し、諸葛亮と同じように有名です。「伏龍(諸葛亮の号です)、鳳雛、どちらかを手に入れば、天下を安定させる」と世間に知られています。ホウ統の墓は、214年に、ホウ統が流れ矢に当たって死亡した後、蜀漢の劉備が建てたものです。戦争でこの墓も祠もすべて破壊されてしまいました。清の時代、康熙三十年(1691年)に、修復されました。祠や墓の周りはたくさんの松の木とコノテガシワに囲まれ、青々と茂っており、景色がまるで絵のようにきれいです。

ホウ統祠墓の構造
ホウ統祠墓の主な構造は、門庁(入り口の広間)、二師殿、栖鳳殿、墓の四部分に分かれています。建築全体は雅やかで古風的で、荘厳でしめやかです。本殿の裏にある石壁には晋代の書道家陳寿の書いた「龐靖侯伝」が彫られています。二馬亭は両側に建てられ、それぞれ白馬亭、胭脂亭と呼ばれ、劉備とホウ統が馬を交換することを象徴しています。

二師殿の前に、張飛が植えたと伝えられている「張飛柏」と呼ばれる大きいコノテガシワが二本あります。現在まで1700年余りの歴史があります。

二師殿はホウ統や諸葛亮を祭祀する堂なのです。背景に東漢末期群雄割拠の戦乱状況を再現しています。二師殿の後ろに栖鳳殿があります。そこに安置してあるホウ統の彫像は横向きに立っている姿で、ホウ統が知謀にたけていて断固としている大将の風格を表しています。栖鳳殿後ろ壁の両側の扉を出ると、ホウ統の墓は目の前に現れます。しかし、この墓は後世の人がホウ統を記念するために建てられたもので、ホウ統の本当の墓はホウ統祠に近い落鳳坂のそばにあります。

ホウ統祠墓の前の金牛古道は石畳の小道でわだちが深く刻まれ、コケがいっぱい生えています。近くには、諸葛亮の長子である諸葛瞻が魏国の鄧艾と血を浴びて奮戦して、命をささげた台があります。ホウ統祠墓周辺は険しい山岳地帯で奇岩が連なり、渓谷が流れ、しかも洞窟や泉があり、さすが蜀漢遺跡の唯一無二のスポットなのです。三国の古を懐かしみ、現代の美を観賞するおすすめのスポットです。
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成都三国志ツアー

2018-05-12 08:32:36 | 海外旅行
剣門関は、四川省広元市剣閣県にあり、広元市の中心から約50キロ以上離れたところにあります。
剣閣県の城南大剣山と小剣山の谷間にあり、両側は断崖絶壁で、山々が剣のようでありそれが対峙して門のような形をしているので、剣門と呼ばれています。唐代詩人李白の『蜀道難』から「一夫当関,万夫莫開」(一夫関に当たるや万夫も開くなし)と讃えられたため、世に名を知られるようになりました。
剣門関と三国
剣門関は歴代の兵家達によって必ず争われてきた天然の要塞です。「険門関を得れば、四川を得る」とも 言われた険峻な地で、この二千数百年の間に百回近くの戦があったそうです。三国志の時代では諸葛孔明が関楼の下の谷に30里に及ぶ閣道を造って北伐の根拠地としました。険しい山々がそそり立ち、その名のごとく剣の門です。そして蜀が滅亡する直前、3ヶ月に渡って剣門関を死守したのが姜維でした。263年8月、魏は全軍をあげて蜀に侵攻しました。姜維は沓中から退いて剣閣(剣門関)に立てこもり、鐘会に抵抗しました。兵数10万を誇る鐘会軍もなかなかこれを攻め落とせず、姜維に向かって投降を呼びかけるが、姜維は頑に抵抗を続けました。 しかしトウガイが陰平から人跡未踏の険路を七百里も超えて江油に入り、綿竹関を破って成都に至ると、劉禅は何もせずに魏に降伏しました。事情を知らぬ姜維は広漢に退いて状況把握につとめました。后主の「降伏せよ」との令を知り、姜維は「ふ城」でやっと鐘会に投降したのです。武将達は知らせを聞くと、刀を抜いて石を斬りつけ、その無念さをあらわしたといいます。
剣門関の観光スポット
剣門関は剣門蜀道国家重点名勝区の核心景勝区であると同時に、剣門関国家森林公園の主役です。三国文化と蜀道文化、関所文化が集まったスポットです。
剣門関は山が雄壮で、関所が険しいほかに、奥深い峡谷、秀麗な翠雲廊、奇妙な岩石、珍しい山洞で有名です。文物遺跡も多くあります。主なスポット:剣門関、剣閣道、剣門関楼、七十二峰、小剣山、姜公祠、姜維墓、鄧艾墓、鐘会故塁、後関門、石笋峰、梁山寺、翠屏峰、仙峰観などで、また著名な「剣門四景」(剣門細雨、梁山松涛、夕照絶壁、雪染翠雲)と「剣門四奇」(姜維石像、千年ハナズオウ、松柏長青、剣山石笋)があります。
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四川料理

2018-05-12 08:18:36 | 海外旅行
四川料理代表的な料理は《麻婆豆腐》《宮保鶏丁》《棒棒鶏》《担担麺》です。
麻婆豆腐
『陳麻婆豆腐店』は国によって指定された「中華老舗」のうちの一軒で、清時代1862年に成都郊外の万福橋で開業しました。元の名前は『陳興盛飯鋪』といい、調理師は陳春富氏の奥さんでした。陳氏の作ったものは豆腐の色合いがよく、牛肉の粒もさくさくとして軟らかかったそうです。また「麻」や「辣」など四川料理独特のおいしさがありすぐに有名になり客も殺到しました。またある人によれば陳氏の顔には痘痕があるので陳氏の作った豆腐が『陳麻婆豆腐』と名づけられ、店も『陳麻婆豆腐店』と呼ばれるようになったそうです。清時代末年になり『陳麻婆豆腐』は成都の名物料理になりました。
担担麺(タンタンメン)
担担麺は小麦粉で作った麺を煮て、炒めた豚肉と一緒に食べる料理です。この料理は四川省に広く伝わっています。担担麺の中でも一番有名なのは『陳包包担担麺』です。『陳包包担担麺』は自貢市の陳包包という人が1841年に初めて作り担いで売り歩いたためにこう名づけられました。以前は鍋を2つに分けて、うち1つは煮た麺を入れ、もう1つには鶏或いは豚の腿肉を煮たものが入っていました。現在、重慶、成都、自貢などでは従来からの特色のある担担麺のお店があります。その中でも成都の担担麺が一番、特色があります。
夫妻肺片(フチフェペン)
「夫妻肺片」は成都地区の有名な料理です。1930年代成都少城の郭朝華という男性が妻と一緒に街で凉拌牛肺片(牛の肺をうすく切り、冷たいまま調味料と和えた料理)を売り歩いていたそうです。この夫妻の作った凉拌牛肺片の味は独特で人々に大変好評でした。彼らの作ったものを他の店のものと区別するために「夫妻肺片」と呼ばれていました。彼らが店を構えて商売を始めてからは牛肉やタンも加えボリュームも増えていきました。この料理の本来の味を保つために「夫妻肺片」という料理名は今でも使われています。
川北涼粉(チャンベリャンフン)
冷たいままで食べる麺類の料理です。謝天禄という人物が南充渡し場(南充:南充市、四川省にあります)で涼粉を売ったことに始まります。その涼粉は柔らかくて、調味料が辛くて香りもよいため、人気があります。その後「川北涼粉店」を開きました。現在では、川北涼粉は有名で大変人気があります。
成都の美食街
成都には数多くのそれぞれ特徴のある美食街があり、西から東まで団扇状に並んでいます。錦里小吃街、沙西美食街(沙湾路西延線)、一品天下美食街、羊西線美食街、府南新区火鍋一条街、草堂餐飲娯楽圈(琴台路、錦里西路、芳隣路和青華路)、万達广場美食街、武侯祠大街——双楠美食区、望平街美食区、春熙路小吃街区などがあります。
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