どこかとおくへ

日常のことをぶつぶつ言っています。子育てのこと・自分の病気のこと・その他あれこれ。2児のハハ。

内科受診

2006-05-30 13:07:36 | 病気

 

 

 

今日は久々にワタシの持病であるスティル病の内科受診の日。1科だけの受診なのでムスメも一緒に連れて行く。

 

ワタシの主治医は,ワタシが4年前にいきなりの高熱・関節痛でダウンして1ヶ月かそこら延々とやれ敗血症じゃないか,とか骨髄腫じゃないか,と疑われ検査まみれで,ほとほと嫌気がさしてきた私が最後に診察してもらった膠原病専門のお医者さんで,ワタシの顔を見るなり「あー,それスティル病ですよ。プレドニンという薬を飲めば治りますから。」と実にあっさり言い放ったセンセイである。ええっ。今までの入院期間はなんだったんじゃ?もっと早くこのセンセイに診てもらえたらすぐ病名が判明したのに~!!とそのときは思ったけど,まあ検査をし尽くした末の診断だったのでしょうね…。

 

まあ,それ以来盲目的にこのセンセイを信用している。でもセンセイは「いや~他の病気じゃなくて良かったですね!スティル病で良かったですよ。」とか,わりとワタシの病気を重要視していないフシがある。「あの,日常生活で気をつけることは?」と聞いても「いや,特にありません。」だって。あんまり病気についての説明を受けた記憶もないしなあ…。今あるスティル病の情報はすべてネットで検索したり,リンクしていただいているみなさんのブログで得たもの。まあ,ワタシもあんまり病気について詳しく知ると落ち込むので,あえて情報をシャットアウトしているところもあるのですが。

 

今日新たに主治医から得た情報は,「スティル病はひとつの病気じゃないかもしれないと言われているんですよ。」ということ。 ?? 聞いているときは「ふーん,そうなのかあ。」と納得したふりをしたのだけれど,ひとつの病気じゃないかも…ってどういうこと?判明していない複数の病気が一体となってひとつの症状として襲ってきているということ?それとも,再発を繰り返しているうちに,ほかの病気も関係してくるとか?うーん,謎の一言だ。もっと詳しく聞いてくればよかったかな。やっぱりよくわからん,スティル病…。

 

 

 


出張

2006-05-29 19:59:56 | ささいなこと

  

仕事で飛行機のるのかあ。いいなあ。でも仕事な分,心理的重圧も余計かかるのかな?なんにせよ体験してみたい出張。勝手に用事をでっち上げて出張気分を味わおうかな…。

 

 

うちのダンナは明日から1泊2日で京都に出張なんだそうだ。はっきりいって,うっ,うらやましい。ワタシ,出張に憧れているのだ。生まれてこのかた1度も「出張」なるものを体験したことがない。勤めたことはあるけど,出張がある会社でもなかったし。シゴトでどこか遠い都市に行くなんてどんな気分なのかな。経験してみたいなあ。「いや,明日から出張で京都なんです。」とかさらりと言ってみるのが夢なんだけどな~。でもこの先の人生で出張できることなんてそうはないだろうな。むなしい。

 

うらやましいので,頼まれてもいないのに本屋に行って京都のガイドブックを買ってきてあげる(←観光じゃないって)。んで,読んでみる(←あんたは行けないって)。京都といえば修学旅行を含め2,3回は行ったことあるけど,あんまり記憶がないな。

あ,でも思い出した。ワタシは高校のとき,なぜか京都に憧れて,京都で暮らしてみたくて京都の大学を受験していたんだっけなあ。京都に住むことが高校生のワタシの大学受験の最大のモチベーションだったのだ。しかし今から思うと何故?ヒマなときに寺めぐりでもしたいと思っていたのだろうか。それとも仏像に憧れてでもいたのだろうか?はなはだ不明。諸事情により残念ながら京都暮らしは実現しなかったけれど,もし現実に京都の大学生にでもなってたら,今頃はエセ関西人を気取っていたのだろうかなあ。つくづく巡り合わせとか可能性とかは不思議ですね。うーん。

 

しかし,京都っていうのは料理の写真なんかみても,細やかで華やかですねえ。さすがに日本の文化の中心。歴史の深みを感じますぞ。それに比べると,確かに北海道の豪快漁師料理とか沖縄のテビチの煮付けとかは洗練されてませんわな。粗野きわまりない,って感じ?ふん。だって蝦夷地ですもん。いや,まあいいけど。

ダンナはシゴトが一段落した後は,京の料亭でちまちました料理を食べながら一杯ひっかけるのだろうか…。うーん,出張やっぱり羨ましいぞ。

 

 


中耳炎再び?

2006-05-27 20:13:44 | ささいなこと

 

  

 

 

ものすごくぽかぽかした土曜日だというのに,病院しか行くところがない。

ムスメの風邪症状はようやく治まったのだけれど,発熱が続いたので耳の調子を見てもらいに耳鼻科に行く。が,ガーン!今年の正月休みをなげうって入院し,中耳炎防止のためにムスメの耳にチューブを入れてもらっていたのに,そのチューブが早くもグラグラして,とれてしまいそうだと言われ,大ショックをうける。手術してから来月で5ヶ月?それでとれちゃうなんてちょっと早すぎるよ~。チューブのおかげで今まで中耳炎に至ることなく生活をしていたけれど,またチューブがとれちゃったら中耳炎地獄?週3日は耳鼻科に通って,切開・切開また切開。んでじたばた暴れるムスメを押さえつけ(←ものすごい腕力が必要)点耳薬。それから抗生剤攻め…。まあ,去年よりは成長してるとはいえ,まだ1歳6ヶ月のちびっこですからね。まだまだ中耳炎繰り返すだろうな。いやいや,気が重くなります。それともまた数ヵ月後にはチューブを入れてもらう手術のため再度入院かな?いや,どっちにしろ考えただけでも憂鬱。都合よく中耳炎になりにくくなっていればいいけれど,そんなうまくはいかないか。

 

ところで,ここしばらくどこかに出かけているという実感がないな。(というかどこにもでかけてないんだけど。)外にあまり出られなかったので,家で延々と沖縄ソングを聴いていると"あー沖縄に行きたいなあ"とつくづく思う…のだが,ダンナにそう言うと「えー?沖縄なんてもう何回も行ってるじゃん。もう見るところもないし。別に行きたいとも思わないな。」と一蹴された。確かにその言葉にも一理あるな。

そもそも冷静になって考えてみると,なんでワタシゃ沖縄好きなのかな。特別に海が大好き!ってことはないし,何せ暑いのが大の苦手で夏の沖縄なんて,建物から一歩でると具合悪くなるし,沖縄料理もソバしか食べないしなあ。よく沖縄に移住したい!と言う人もいるけど,ワタシゃダメだな。暑いところでは暮らせませんわ。

…でもなんか好きなんだな。沖縄という島は大きくもなく小さすぎずあちこち知るにはちょうどいい大きさだし,北海道からはあまりにも遠くて,ワタシの知らない町並みや慣習やコトバに惹かれるし,旅行にいってもあくせく観光しなくても楽しめるし,まあ,沖縄という場所は現実逃避のシンボルみたいな存在になっているのだ。

ダンナが「そんなに好きなら1週間くらいコドモを実家に預けて一人で沖縄に遊びに行ってくれば。」と言ってくれた(←けっこうなげやり?)。そりゃ良い考えだな。一週間くらいならよろこんで遊びに行きたい。でも現実問題としては一週間もコドモふたりを実家に預けてダンナを置いて遊びに出かけたら,実家の母(および義理の母)にこっぴどくしかられるだろうな。やっぱり行くなら家族でいったほうが楽しいし。…というわけで連れ合いの気持ちを高揚させるべく,今日のダンナの夜勤の夜食に「沖縄の風 沖縄チャンプルーやきそば」というカップ麺と,「沖縄シークワーサーのどあめ」を差し入れしてみた。あまりにもみえみえ?

 

 

 

 

 

 

 


11年前のことを

2006-05-25 17:36:33 | ささいなこと

 

 

ムスメの機嫌もだいぶん直ってきて一安心。PCは停滞したまま。基本的な疑問としてネットつないでていいのだろうか…?

今日ももちろん出かけられないまま,家でくすぶっている。な~んにも考えないまま時間が過ぎていってしまったなあ。唯一したことは「オウム真理教」をネットで検索したことかな?昨日も書いたけど『アンダーグラウンド』を読んだので,改めて当時の活動内容や事件の背景をなんとなく調べてみた。当時は,TVのワイドショー関連は凄まじかったなあ…とか上佑さんはわりと好みだなあ…とか今思うとバカなことしか感じてなかったのだけれど,歴史の転換機的大事件なんだよな。その当時はちょうど大学を卒業した年で,猛烈な就職難で,それなのに自分が何をしたいのか全然分からないで民間の企業を受けてみたり,公務員の試験を受けてみたり,正直言って事件のことより自分のことで頭がいっぱいだったから。

実をいうと卒業するにあたって書いた卒論が仏教の内容で(哲学科だったので)家族から「こんなのオウム真理教と変わらないでしょ!もっと就職に役立つことを勉強してこなかったのかい!」と叱られた。そのときは「失礼な!思想を追求して何が悪いんじゃい。」と思ったけれど,確かに勉強したことはな~んにも実践的な社会生活には役立たなかったなあ。今でもそんなに役立ってないし。

しかし,改めてオウムの教義を見てみるとなかなか細かいところまで構築してあって,これに修行という名の実践が伴なったら,真面目に人生について考えこんでいて,何かに導かれたいと望んでいる人なら,もしかすると深く帰依するのも理解できないではない…と思わせるところがある。実際,エリートと呼ばれる人たちが何人も麻原に心頭していたわけだし。たぶんこの人たちは本当に麻原の言うことを忠実に実践することが,自分のため・ひいては世界のためと思っていたのだなあ,と今更ながら思いました。ニンゲンというのは大きな渦の中にいると全体としての判断は不可能なのですなあ。宗教とかだけじゃなくても,渦の中にいる人なら誰でもそうなってしまうのかと思うとちと怖い。

 

…と結局ありきたりな感想ですな。でも11年前のこととはいえ風化させてはダメですね。「麻原と頭のおかしい一味の犯したとんでもない事件」だけで終わらせてはいけないんだ,ということをワタシも今更ながら強く思わせられました。

 

 


機嫌悪し。

2006-05-24 22:47:35 | ささいなこと

 

 

 

流れ落ちる砂。浜で砂崩(?)を作って遊んでいると飽きないなあ。いや,まだお疲れモードのワタシ。文章が散漫になっている…。

 

 

相変わらず1歳ムスメはぐずぐず。熱は今日は出なかったので良かったのだけど,ヤケに機嫌が悪くて始終抱っこをせがみ,やっと寝たか…と思うとすぐにわああっと泣き出す,の繰り返し。あまりの不機嫌さに耐えかねて(?)小児科に再度連れて行く。金曜日から3回目だ。ひいひい。子供があまりに鳴きやまないので救急車を呼んだ友人がいるんだけど,その気持ちも分からないわけでもない…かな?ずっとコドモが泣き止まないと,どっか悪いのか妙に不安になる気持ちはあるなあ。でも救急車は呼ばないだろう。

とにかく小児科で見てもらうけれど異常なし。耳鼻科でも見てもらいなさいと言われて耳鼻科にもはるばる行ったけれど,特に異常なし。結局くたびれただけで帰ってきた。ムスメの機嫌もやや回復したけれどでもやっぱり悪い。なんなんだ,一体…。

 

昨日は外交的モードに切り替えて,ムスコの幼稚園の茶話会に出席。同じ歳のコドモを持つおかあさん達と楽しく交流してきました。自己紹介をしたとき,自分の病気のことを話していたお母さんがいてとてもびっくりした。乳がんの治療を受けながら頑張っているんだそうだ。それを聞いてちょっとどきっとした。今まで自分は膠原病だから…とかいう気持ちがあって,他のお母さんたちと違う立場に身をおきたがっていたのではないかな,と。もちろん自分が病気なことは事実なんだけど,そのことで自分自身が悲劇の主人公のような気持ちになっていたことが多少ははあるのかな,と反省しました。病気は病気として受け入れるけど生き方まで病気に振り回されてちゃ駄目なんだな,と。

そういう気持ちになったのは,たまたま地下鉄サリン事件の被害者のことを書いた『アンダーグラウンド』という本を読み返していた,というのも関係しているかも。最初この本を読んだときは自分も健康そのものだったので,そんなに被害者の方の証言も,話として理解できても現実のものとして想像することはできなかった。でも久々に読み返してみるとまた違って心に訴えかけてくるものがあったと思う。もちろん,サリン事件の被害に会うということと病気になる,ということは全く別のことなんだけれども。

 

いやいや,コドモも風邪ばかりでなかなか出かけられませんけど,何か新しいことをしてみたいという気持ちになるのは春なんですなあ。

 

 

 

 


ばたばた

2006-05-22 12:21:18 | ささいなこと

 

ここ1ヶ月ほどの間に我が家にはたちの悪い風邪が蔓延しているようで,先週やっとダンナの風邪が治ったかな?と思ったら今度は1歳ムスメが週末からちょくちょく熱を出している。金曜日に病院で診てもらって薬ももらったのだけど,土日休んでもちっともよくならず,先ほど再度受診してレントゲンを撮ったら肺炎になりかけだった(汗)。覚悟していたんだけど,入院はしなくてもいいということでひとまずホッ。

当然のことながらムスメは具合が悪くて始終めそめそしているし,かまってもらえない4歳ムスコはヤケになってワガママ放題だし,もうへとへとでブログの更新もサボってました^_^;。

それに通信をフレッツに切り替えたんだけど,プロバイダーとの連絡がなんかうまくいってなくてネットは使えるもののなんかイマイチ不安だ。以前もADSLに切り替えるときうまくつないでなくて,月にNTTから3万円も請求きたことがあって飛び上がっちゃったんだよなあ。それにブログライター等のウィンドウが急に閉じちゃったりしてなんかすらすら動いてない。なんとなくコワイのであんまりいじらないでおこう…という感じです。落ち着くまで更新が不定期になりそうです…。

 

…ということをさっき書いたはずなのに,投稿する寸前でウィンドウが閉じてしまい,また書き直してます…。ふう…。あっ,ムスメが起きたっ。ではでは。

 

 


日常の不安。同じ年頃の子供をもつ親として考えたこと。

2006-05-19 13:19:47 | 子育て

 

 

 

 

下のムスメが昨夜から発熱。最近毎日外に出たり,スイミングの体験に行ったりとハードな生活を送っていたからかな。無理させてごめんよ。しばし反省。朝から小児科に行き,薬をもらってひと寝入り。親もぐったり。

 

憂鬱な事件のことを知る。小1の男の子が家の近くで誰かに連れられて,夜には川のところで動かなくなって見つかったんだ。TVで見た感じだと,とても自然がたくさんで子供がのびのび遊ぶのはうってつけの場所みたいだ。その男の子は,いつもと変わらない日常をすごして,友達と遊ぶことを楽しみにして,暗い影なんてもちろん何も感じてなかったんだろう。でも本人も何も理解できないまま冷たくなってしまった。たとえば自分の子供が同じ目にあったら?…だめだ,もちろん想像なんかできっこない。そんなことは考えることすらできない。自分の子供たちだけではなくて,どんな子供たちも理不尽に殺されて捨てられるなんてことは(もちろん大人でも)絶対あってはならないことなんだ。

想像力が欠けている。何かが麻痺している。良心の呵責とか,誰かの心の痛みとか,人生の積み重ねの大事さとか,当たり前で些細なことで,でも人間として生きていくのに欠かすことのできない温かい息遣いを感じられないニンゲンが増えているのか。快・不快だけで動いているような無機的なニンゲンが増えているのか。そういうニンゲンはもちろん無数にいるだろう。社会の中に溶け込んでいて,町ですれ違っても見分けがつくわけではない。

 

これは他の町で起こった不幸な出来事というだけではない。私の住む町にも,誰の住む町でもつながっているのだ。注意深く気をつけていないと,すぐ近くでも同じようなことが起こりうる可能性はあるのだ。たぶん,絶対。

 

テレビのニュースの意味を理解しているのかどうかは分からないけれど,真剣な顔で亡くなった男の子の顔写真を見つめるムスコ。私が小学生の時は口裂け女の話題でもちきりで,口裂け女のことを考えるだけで恐ろしさでどうしようも無い気持ちになった。隣町の小学校の運動会に口裂け女が来ていたという噂を聞いては「こんな怖いことがこの世にあるなんて」と思っていた。実体のない恐怖が現実とリンクして自分の目の前に現れるかもしれないというやるせない不安でいっぱいだった。けっこう怖がりな子供だっただけかもしれないけれど。大人になった今は口裂け女は(たぶん)いないということを知っている。でも,口裂け女よりもっと恐ろしいものがあるのも知っている。

今,4歳のムスコは私が小さいときよりももっと不安に直面しているかもしれないな。だってそれは本当に起こり得ることなんだから。そして,その恐怖は口裂け女みたいに大きなマスクやサングラスみたいに分かりやすい目印があるわけでもないんだから。ごく普通で特徴もないどこにでもいるようなあの人が恐怖に変わるかもしれないんだから。

当たり前の安全を。そして不安の緩和を。子供が外に出たがってきたこの春,社会に日常として染み込んでいる非日常の影を絶対に忘れないようにしようと思った今日いちにち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


禁じられてることですが…

2006-05-18 11:24:24 | ささいなこと

 

一昨日からパソコンの不具合のせいで,ブログライターその他諸々がうまく機能しない。よってブログも落ち着いて書けないので,直るまではささーっと流して書くしかないみたいだ。

札幌。連日良い天気。我が家の窓は陽があまり入らないので,外に出ていたほうが暖かいくらいだ。毎日子供らと外で散歩。また日に焼けちゃうな。今ダンナは一人で出かけてしまい,ムスコは幼稚園にでかけ,ムスメはお昼寝中なので,久々の開放感。家の中の片付けしなきゃいけない場所はいろいろあるけれど,それは後回しにして(いつも後回しにしてる)ここはひとつ昼間からゲームという贅沢にひたってみようかな(笑)。子供が生まれてからというものそんな贅沢は全然していなかったのだ。

 

 

一昨年の冬の日,思いもかけず夜中に目が覚めた。トイレに行ってまた布団に横になったけれど,何かが変。なんだか地面がグラグラ揺れているのだ。地震!?と思って布団を抜け出したとたん,地面だけじゃなく天井も電気も360度ぐるぐる回りはじめた。まるで万華鏡で覗いたみたいに,うちの天井がグルグル回転していて私は立っていることも寝ていることもできずに吐きそうになった。“記憶がなくなりそうだ”と思って吐き気がした。そしてなんとか隣に寝ていたダンナに声をかけて助けを求めた。救急車を呼んでもらって(生まれてはじめて乗った)病院で点滴をしてもらった。めまい,の大発作だった。翌朝には片耳も少し聞こえが悪くなっていた。

めまい。めまいと聞くと病弱な美少女のイメージ(?)しかなかったけれど,めまいというのは半端じゃなく怖い。支えてくれるべき足元がなく,頼るべきしっかりしたものがないのだ。ちなみになぜめまいの発作が起こったかは例によって不明。しかし,上のムスコがその前の晩,ものすごい勢いで走りよってきて,私の耳に激突して目から火花が出たことと(ものすごく痛かった)と幾分関係があるのかな…と思わないでもない。今でも寝る前にめまいのことを思い出し,「今日の夜中にめまいに襲われたらどうしよう」と考えると眠れなくなる。安定剤に頼る日々です。スティルも嫌だけどめまいも嫌だ。まあ,ニンゲンの体は未知の世界ですな。

そのとき耳鼻科の医者に言われたことは「長い間の読書・パソコン・テレビゲームは控えてね。」のお言葉。だけどこの3点セットはワタシの楽しみの全部なのだな。これを控えるのはなかなか難しい。…ということで,まあ全然控えていません。さて,ゲームやろっかな…。一時間くらい…。はい…。何を言いたかったのでしょうか。今回は写真もなし。ではでは。

 


モエレ沼公園探訪

2006-05-15 22:42:05 | ささいなこと

 

 

 

巨匠の力作を味わうには広大すぎてちとしんどい。

 

 

今日の札幌はぬけるような青空。日差しもポカポカでとてもいい気持ち。ダンナの仕事も今日はお休みなので,上の子が幼稚園から帰ってきてから,家族で石狩浜にドライブにでかけた。しばし浜で遊んで夕方,なんとなくまだ良い気持ちなので帰り道,モエレ沼公園によって遅めの桜を見ていこうということになった。

モエレ沼公園は亡き彫刻家イサム・ノグチが,ゴミ埋め立て地だったかの地をわざわざ選んで,17年の歳月をかけて去年グランドオープンさせたアーティスティックな公園であります。今まで駐車場の近くのガラスのピラミッドには入ったことがあるんだけど,公園内をゆっくり歩いたことはなかったのだ。

 

緑の草地が水面のようにずーっと果てなく続いて,整然と噴水のまわりを取り囲む木立,そしてその奥にはきれいな夕焼を背景にしてエジプトの遺跡のように悠然とかまえているプレイマウンテン。それからその先に,これもイサム・ノグチ設計の子供の遊び場。微妙な色合いと,優雅な曲線と,不思議な図形とを兼ね備えた遊具。ちいさな子供にとっても美しく,不思議な遊び場はたまらなくい魅力でしょう。

 

 

我が家の兄妹もイサム・ノグチの遊具に大喜び。滑ったり,くぐったり,実に楽しそう。

…が,一ヶ所の遊具の場所から他の遊具の場所がいささか遠いのじゃ。なんと7箇所の遊具エリアが点在していて,それを一箇所づつ回るのは大人だけでなく子供もいささかしんどい。子供たちはひとしきり遊ぶと飽きる、しかし森の中に違う遊具が見えてまたそれに向かって走り出す。そんな光景をイサム・ノグチは思い描いていたらしいのだが,イサム・ノグチさんの時代の子供と,現代っ子の体力とじゃあ相当開きがありそうですな。初めは楽しそうだった子供たちも最後の遊具に着く頃には息も絶え絶え,顔からは笑みも消えていました…。

 

 

↑のような態勢でごねまくり,号泣し,抱っこをせがむ1歳ムスメ。30代女性の平均をはるかに下回る体力の虚弱なワタシにはムスメの重みがズシリと腕にきました…。

 

ふう。遊具の森を全部回ったあかつきには不機嫌に。いえいえ,もちろんイサム・ノグチさんの設計にケチをつけているわけではありませんよ。午後の2時から浜に繰り出して,その帰りにこのような広大な敷地に足を踏み入れた我が家のアホさに我ながら呆れているのですよ。しかし,近年まれに見るくらいの疲れようだったな。夏になって暑くなったらムスメを連れて,モエレビーチに水遊びに来ようと思っていたけれど,疲労困憊するのは目に見えているな。やっぱやーめよ。いや,体力をつけるにはもってこいなのかもしれないな…。どうでもいいけど,つかれたぞ。

 

 

 

 


庶民派スーパーは楽しいな

2006-05-14 22:25:33 | ささいなこと

 

 

 

 

スーパーにムスコが書いてくれたという,ワタシの似顔絵を見に行く。食品売り場の前の天井にたくさんの絵が張り出されていたので見つけるのに一苦労。ようやく見つけたムスコの絵。カンドー…というよりは“なんじゃこりゃ?”。というのが正直な感想。なんか地味だな。色彩というものに欠けておるな。口が裂けているな。なんかパチンコ玉のキャラクターみたい。でも,まあうれしかったです。

 

ところでこのスーパー,ワタシが住んでいるところと一応区は同じなのだけど端と端,という感じで遠く今まで一度も来たことがないお店だ。かつては隆盛を極めたDというお店。今は影薄い存在。…なのだけれど,初めて行ってそのチープな雰囲気がとっても気に入りました。なんか,ひなびてて・しけた感じで・でも無意味に広くて・店員さんもあまり気合の入っていない感じのお店って好きなんだよなあ。ここはそういう意味ではなかなかよい感じである。投げやりな感じの雑貨屋さんもあるし…。

 

例えば…テナントで入っている「パンダ整骨院」という整骨院の前に鎮座する巨大パンダ。幼稚園児のムスコより相当大きい。場違いな感じがグー。チラッと中を覗いたけど,東南アジアの雰囲気がなくもない整骨院。

 

なぜか札幌なのにブルーシールアイス。「アメリカ生まれ沖縄育ち」なのだが札幌のしけたスーパーの片隅にもなじんでいる。店員さんが妙に無愛想なのもよい感じ。ここだけ見てると沖縄の雰囲気ばっちりですごく特した気分になる。

 

最近はイオンだのアリオだのおしゃれなカフェが山ほど入った巨大ショッピングセンターがしのぎを削ってますけど,ワタシは断然庶民派スーパーが好きだなあ。ちょうどいい広さで見て回れる。食品買って,アイス食べて,帰りにちょっと本屋によって,ついでに雑貨も見ても疲れないし,お客さんもまばらだし。近くのジャスコでこれをやったら移動だけでものすごくヘトヘトになってしまうのだ。

 

うしし。良い店を見つけたな。今度平日のヒマな日に繰り出してみよう。