自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
4年半スナックを営んだ
変な男の人生色々日記

「自転車屋の生き物歳時記」!!「ベンケイガ二」!!

2020-07-27 14:03:16 | 地域
「7月27日(月)」

「自転車屋の生き物歳時記」
(いえしま自然体験センター編)

「ベンケイガニ」

自然体験センター周辺の
側溝では
淡水系のカニをたくさん見ました。

ベンケイガニもその一種です。

ベンケイガニ(弁慶蟹)、
学名 Sesarmops intermedium は、
十脚目ベンケイガニ科(旧分類ではイワガニ科)に
分類されるカニの一種。

インド太平洋沿岸の熱帯・温帯域に広く分布し、
海岸の塩性湿地や川辺に生息する。

同様に水辺や海辺に生息する近縁種には、
「○○ベンケイガニ」という
標準和名がよく充てられる。

成体は甲幅35mm、甲長25mmほど。

頭胸甲は厚みのある四角形で、
複眼の下の甲外縁に2つの鋸歯がある。

甲の背面は額の中央が窪み、
他の各区域も溝で仕切られ、凹凸がある。

「弁慶蟹」という和名は、
甲のゴツゴツした質感を
武蔵坊弁慶の厳つい形相になぞらえたものである。

鉗脚は鮮やかな橙色だが、指部分は黄白色である。

体と歩脚は橙色から褐色、灰褐色まで個体変異がある。

近縁種のアカテガニ Chiromantes haematocheir は
ベンケイガニによく似るが、
甲外縁に鋸歯がないこと、
背甲の凹凸が低くて丸みがあること、
鉗脚が橙色ではなく鮮紅色であることなどで区別がつく。

インド太平洋沿岸の熱帯・温帯域に広く分布する。

日本では男鹿半島と房総半島以南で見られる。

川辺の河原、土手、石垣、森林、草むらなどに生息し、
東アジアでは
アカテガニやクロベンケイガニ C. dehaani と
同所的に見られる。

ただし、
アカテガニが水から離れた高所にも進出するのに対し、
ベンケイガニとクロベンケイガニは
水からあまり離れず、外敵から逃げる時などは
水中に逃げこむことも多い。

また、暗く湿った物陰を好み、
日中に明るい場所に出ることはほとんどない。

昼間は巣穴や物陰に潜み、夜によく活動する。

食性は雑食性で、
動物の死骸、小動物、植物など何でも食べる。

繁殖期は夏で、
この時期にはアカテガニと同様に抱卵したメスが
海岸に集合し、大潮の満潮時に卵を海に放つ。

直後に孵化した子はゾエア幼生の形態で、
プランクトンとして海中で浮遊生活を送る。

1ヶ月ほどの間に5度の脱皮を経て
メガロパ幼生へ変態し、底生生活に移行する。

メガロパは稚ガニへ変態して
上陸、淡水域へ遡上・定着する。


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「太閤検地」!!「初めて行われた日」!!

2020-07-27 14:00:39 | 地域
「7月27日(月)」

「太閤検地」

「1582年7月27日」
(天正10年7月8日)

羽柴秀吉が近江で初めて検地を行う。

太閤検地(たいこうけんち)は、
豊臣秀吉が日本全土で行なった検地
(田畑(山林は除く)の測量及び収穫量調査)。

天正の石直し、文禄の検地ともいう。

領主が自領内に課税するにあたり、
その基礎資料として
自領内の地勢を把握することは非常に重要ではあったが、
家臣や領内の有力一族の抵抗が大きいため
実施は難しいとされていた。

しかし
北条早雲に始まる戦国大名の出現で、
自らの軍事力と裁判権を背景に
独自の領地高権を行使することを可能とした。

この行使の一例が検地であった。

織田信長も検地を実施していた
(これを信長検地とよぶことがある。)が、
このとき奉行人であった
木下藤吉郎(後の秀吉)も
すでに実務を担当していたことが知られており、
その重要性を把握していたとみられる。

天正10年(1582年)

信長を襲った明智光秀を山崎で討った後には、
山崎周辺の寺社地から台帳を集め
権利関係の確認を行うなど検地を本格化させていく。

これらの、太閤を名乗る
天正19年(1591年)以前からのものを含め、
秀吉が関わった検地を太閤検地とよぶ。

この集大成として
関白を辞して太閤となった秀吉は、
将軍に上納されて叡覧に備用される
「御前帳」になぞらえ、
検地によって得られた膨大な検地帳を元に、
国ごとに
秀吉が朱印状で認めた石高を
絵図を添えて提出するよう指令を出して徴収させた。

これを「天正御前帳」という。

太閤検地の成果は、
権利関係の整理や単位統一が図られた
革新的な意味をもつのみでなく、
農民への年貢の賦課、大名や家臣への知行給付、
軍役賦課、家格など、
その後の制度、経済、文化の基礎となる
正確な情報が中央に集権されて把握されたことであり、
その意義は大きい。

後に
徳川家康も、
慶長9年(1604年)に
単位を国から郷に改めて御前帳と国絵図を徴収している(慶長御前帳)。


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