自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
4年半スナックを営んだ
変な男の人生色々日記

「自転車屋の生き物歳時記」!!「ホンビノスガイ」!!

2020-07-11 14:05:30 | 地域
「7月11日(土)」

「自転車屋の生き物歳時記」

「ホンビノスガイ」

北アメリカからやって来た
外来種だが
食用になり美味なので

オオハマグリとか
白ハマグリなどと表示されて市場に出ている。

ホンビノスガイ
(英: Hard clam、学名: Mercenaria mercenaria)は、
二枚貝綱マルスダレガイ科の一種。

海岸に近い潮間帯の砂や泥の中に生息する。

原産分布海域は
北アメリカ大陸の大西洋側である。

食用になるため、
アメリカ合衆国西海岸やヨーロッパ、
台湾、中華人民共和国などに移入されている。

日本の東京湾などにも定着し、
後述のとおり漁獲対象になっている。

名前を漢字で記すと本美之主貝となる。

これはローマ神話の美の女神である
ウェヌス女神からのエポニムで命名された
ビーナス属 Venus に当て字された美之主に由来する
(本来は北海道に生息するビノスガイ(M. stimpsoni)に
与えられた名称であった)。

現在の学名では当てはまらないように見えるが、
和名の命名時には本種がビーナス属に分類されていた。

現在はメルケナリア属 Mercenaria に
分類が変更されている。

日本では、
酒蒸しや焼き料理などアサリやハマグリと
同様の料理法で食され、価格も割安である。

2007年に水産庁が
「魚介類の名称のガイドライン」を策定する以前は
大アサリと呼ばれていた。

なお、
中部地方沿岸部でよく食用とされる大アサリは、
和名ウチムラサキSaxidomus purpurataという
別種の貝である。

また、
ハマグリの減少に伴って
白ハマグリやオオハマグリという名前で
市場に流通する事もあったが、
和名シロハマグリは
同じマルスダレガイ科で
南米に産するPitar albidusを指すため、
本種を指して「シロハマグリ」と呼ぶのは誤用である。

原産分布域は
北米大陸の大西洋岸で、
カナダのプリンス・エドワード島から
アメリカ東海岸を経て
メキシコ湾にかけて広く分布し、
潮下帯から水深12メートル程度までの
砂質から砂泥質の海底に生息する。

元々は日本に生息していなかったが、
1998年に
東京湾の幕張人工海浜(千葉県千葉市)で発見された。

1999年に京浜運河、2000年に千葉港、
2003年に船橋付近、さらには2000年代になって
大阪湾で発見されている。

原産地である北米大陸から
船舶の船体に付着したかバラスト水に混ざって運ばれ、
東京湾や大阪湾に定着したと考えられている。

しかし、
バラスト水が由来ならば、
北米大陸からの船舶の発着があり
当然本種が発見されるはずの名古屋港や横浜港、
神戸港では未発見であるなど、
移入手段を断定するには
証拠が不足しているとの指摘がある。

日本では主に、
千葉県市川市、船橋市地先の三番瀬で
鋤簾や底引き網漁にて漁獲されている。

また、
東京湾最奥部の干潟域では潮干狩りでも採取される。

日本での繁殖が確認されたのが比較的近年で、
アサリ漁場に多く生息するため、
かつては邪魔者として扱われることが多かったが、
現在は重要な海産物として
船橋市漁業協同組合では
「浜の救世主」と評価している。

食味の良さが注目され、
2005年頃から行徳漁協による漁獲と流通が行われ、
当初は首都圏、
2010年代からは
京阪神でも鮮魚店やスーパーなどに
販売チャネルが拡大し、
水産物として採貝される機会が増えた。

2013年には漁業権が設定され、
2017年には千葉県が
「三番瀬産ホンビノス貝」を
千葉ブランド水産物に選ぶまでになった。

「江戸前の貝」として人気も高まり、
東京湾の千葉県側北部海域では
2018年の水揚げ量が2500トンと
5年間で2・3倍に増えた。

ただ在来種の貝に比べて
水産資源としての知見は少なく、
千葉県は2020年度から
市川市や船橋市の漁業と協力して、
季節ごとの重量や殻の大きさの変化、
漁船の隻数や操業日数、
漁獲量をデータベース化する計画である。

砂抜きは比較的簡単で、
アサリやハマグリと同様、
暗所で海水程度の塩水に一晩ほど漬けておくことで、
ほぼ完全に砂抜きが完了する。

ホンビノスガイ(ホンビノス貝、本ビノス貝とも)と
表記され流通している。


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「真珠記念日」!!「御木本幸吉」真珠養殖に成功した日」!!

2020-07-11 14:02:57 | 地域
「7月11日(土)」

「真珠記念日」

「1893年(明治26年)7月11日」

御木本幸吉夫妻が
初めて真珠の養殖に成功したことに由来。

御木本 幸吉(みきもと こうきち)

安政5年1月25日(1858年3月10日)
~ 昭和29年(1954年)9月21日)

日本の実業家。

真珠の養殖と
そのブランド化などで富を成した人物である。

御木本真珠店(現・ミキモト)創業者。

ミキモト・パール、
真珠王とも呼ばれた。

世界の装飾品市場では、
天然の真珠が高値で取引されており
海女が一粒の真珠を採ってくると
高額の収入を得られる事から、
志摩ばかりでなく
全国のアコヤ貝は乱獲により絶滅の危機に瀕していた。

この事態を憂慮して
1888年(明治21年)6月、
第2回全国水産品評会の為上京した折、
主催者である
大日本水産会の柳楢悦を訪ね指導を仰いだ。

幸吉は同年9月11日に貝の養殖を開始したが、
真珠を生まない限り商品としての価値が低く
経費倒れに終わった。

この為発想を転換し
「真珠の養殖」を最終目的に変え、
その過程でアコヤ貝の生態を調べながら
貝の養殖をすることで
当初の目的が採算的にも果たされる事を計画。

この目的の為に
柳の紹介で東京帝国大学の箕作佳吉と
当時大学院生だった岸上謙吉を
1890年(明治23年)に訪ね、
学理的には養殖が可能なことを教えられた。

1890年(明治23年)、
神明浦と相島(おじま、現在のミキモト真珠島)の
2箇所で実験を開始した。

この時
小川多門、猪野三平等が協力した。

問題は山積しており
アコヤ貝についての問題、どんな異物を貝に入れるか、
貝は異物を吐き出さないか、貝は異物を何処に入れるか、
その結果死なないか、貝そのものの最適な生育環境、 
赤潮による貝の絶滅への対応策等々である。

その他の問題としては、
海面及び水面下を利用する為の
地元漁業者や漁業組合との交渉や
役所との折衝には大変な苦労が伝えられている。

1891年(明治24年)、
農商務省技手・山本由方による
広島県厳島での真珠養殖実験を直接見聞。

この時のアコヤ貝は英虞湾から幸吉らが移送に協力した。

1892年(明治25年)7月、
東京帝大の佐々木忠次から
貝の生存環境・養成上多くの示唆を得た。


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