いつもの病院で薬を出してもらい、
帰り道、仙台東照宮に寄ってみた。
やく三十年ぶりで、、
子供の頃、初詣、どんと祭は友達と一緒にここに来ていた。
鳥居の横には小さな遊園地があって、
コーヒーカップの乗り物があったのを覚えている。。
石段を登り切り、振り返ると
門前町である宮町を抜け、
真っ直ぐな道が仙台駅まで伸びている。
仙台東照宮
正式名称は東照宮ですが、他の東照宮と区別するために仙台東照宮と呼ばれております。
仙台の東照宮は、1654年(承応3)、仙台藩の初代藩主伊達政宗公の世継ぎである2代藩主伊達忠宗公によって創建されました。伊達政宗公の没後、仙台藩の領内では大火、大洪水等の災害が続き、仙台藩の財政は重大な危機に陥りました。しかし幕府の物心両面の援助により危機を脱し、基本的な体制を確立することができました。
このような背景から忠宗公は、徳川家に対する尊崇・感謝の標として、1649年(慶安2)に時の将軍徳川家光公に東照宮創建を願い出て直々に許可を得ると、社殿の造営にとどまらず神社を維持管理するための御宮町の制定、仙台最大のお祭りである東照宮御祭礼の斎行と御譜代町を含む氏子町の指定など東照宮を仙台藩の守護神とするための様々な取り決めを行いました。
社殿の造営
東照宮の社殿は本殿、唐門、随身門、別当寺仙岳院など15棟以上の社殿を80万人の人手と金2万両を費やし、5年の歳月をかけて造営されました。忠宗公晩年最大の事業となりました。
神社の鎮座する場所は伊達政宗公の案内で徳川家康公が休息したといわれるゆかりの地であり、当時は天神社(現在の榴岡天満宮)の境内地でした。この地は仙台城の正確な北東(艮)の位置にあたり、まさに伊達家、仙台城下町の守護神として鎮座しています。
仙台城や、仙台藩の社寺建築は大工棟梁梅村氏が担当しており、大崎八幡宮本殿(国宝)、瑞巌寺本堂(国宝)、仙台東照宮本殿(重要文化財)等その建築は後世高く評価されております。
※webサイト 抜粋
#canon Power Shot SX10is
#Nikon D300+TAMRON SP 70-300mm F/4-5.6
今年も、紅葉を撮るのもそろそろ‥ 終わりかな?
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