Chaprinの部屋。。

当たり前の生活の中に… ふと気づくと、素晴らしい瞬間と出会えます。それを繋いでいければ幸せです。

#桜には‥ 早かったけど。。Yashica 35

2023年04月02日 | 日記

仙台でも花見の時期です。。

有名な西公園でも桜の下は人でいっぱいです。

そんな光景を横に見ながら、

さて撮りに行こうかと。。

向かったのは釜房湖(釜房ダム)にある

みちのく湖畔公園。。

季節が変わる時期

このふるさと区を徘徊するのが好きです(^-^;

さて、駐車場がいっぱいになる前に着こうと

早めに来たのですが‥ 

あら、?、、

駐車場はスカスカ… (◎_◎;)

よくよく周りを見ると、、

あれっ?‥ 桜はどこ?

なんとなんと… 一週間早かったようで、、まだ蕾。。

桜では無く、咲いているのは梅。。 (;^ω^)

今回の目的は、

春の古民家の懐かしい風景を白黒フィルムで撮り

花は久しぶりの持ち出しだクラッシックデジイチで花の色を撮ろうと。。

さて‥どうしようかと、、

デジイチで撮るのは、、テンションが下がり‥

白黒で撮る方へ専念しようと。。

先週、いっぱい夜な夜な整備をしていた

「yashica35」を握りながら。。

1950年代、各メーカーが35mmサイズの

レンジファインダー名機が生まれました。。

頂点ではライカMシリーズ。。

コンタックスⅡ、Ⅲ シリーズ。。

そして日本のカメラも。。

その中で不思議と

35mmフィルムカメラへの参入が遅かったのが

2眼カメラ「ヤシカフレックス」で有名な

ヤシカでした、、

1960年代から1970年代、エレクトロ35シリーズで

世界的に大ヒット、黄金期を迎えたメーカーだったと思います。。

そして、その「Yashica35」満を持して1958年、

エレクトロシリーズの始祖となるべき名機が生まれたのです。。

見た目は‥ CONTAXⅡaににてますが、、

1959に吸収されたフォーカルプレーンのニッカと

1969年以降傘下となったレンズの富岡光学、

シャッターのコパルの力も入れて開発されたカメラと言われています。。

さてさて、先々週末に到着した様子。。

・「外観非常に良い」

・「動作問題なし」

・「レンズ、少しクモリと塵あり」‥と、、ここまでは良かったのですが、、

・「ファインダー、少しクモリあり」が‥ 曇りどころか、大曇り、、(@_@;)

中心の前がほとんど見えない! Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)

ネット購入時の記載事項の中に「外観、レンズ、ファインダーの汚れやクモリ、カビに関しては

主観となりますのでクレーム対応とはなりません」‥と、、( ノД`)シクシク…

でも、ファインダーを清掃すれば綺麗になるだろうと

軍艦部を開けてみると驚いた!

一般的なレンジファインダーはレンズとハーフミラーで組まれているのですが

なんとこのカメラは‥お金を掛けられたプレズムで作られているので、、

プリズムを降ろしての清掃…二重像の調整が必要となり、、

自分の素人レベルでは太刀打ちできません、、

仕事帰りにいつものキタムラに聞いてみると、

基本的にはメーカーが存在していないので受付は出来ないのですが、、

仮に、個人カメラ修理でも4~5万かかるでしょう、、と

いつもの老舗カメラやでも、2万~4万… プリズムなので劣化が

あれば、どこまで綺麗になるか?‥と、、

さすがの富岡レンズ、F1.9と言う50年代では珍しく明るい。。

アメリカへの輸出が多かったため初期モデルは、フィート表示で

ヤシカカメラに変わる寸前の「YASHIMA」の刻印

メッキがギラギラと輝いている‥(^-^;

そんなわけで、できる限りの清掃をして撮ってきたわけです。。(^^;)

東京タワーは出来た年のカメラ。。

今回はスキャナー撮って出し。。

露出も触っていない、全くの無修正の絵です。。

F1.9 1/50 ISO125 で よく写ったと思います。

もう手振れしてます‥

さてさて、、

いかがでしょう?

僕の生まれる前のカメラが大きく生まれ変わる時期

レンジファインダーカメラは普及機となり

高級機は一眼レフとなって行きました。。

ヤシカも1970年代になると

ドイツのツァイス・イコンから声が掛かり

業務提携が始まります。

そして通称「ヤシコン」、名機「CONTAX RTS」が生まれていくわけです。。

多分、このYashica35から始まったと思うのは自分だけでしょうか。。

#Yashica35 YASHINON 1:1.9 F=4.5cm

#ILFORD FP4 125 / ILFORD ID-11 50%希釈 11分