Chaprinの部屋。。

当たり前の生活の中に… ふと気づくと、素晴らしい瞬間と出会えます。それを繋いでいければ幸せです。

YASHICA エレクトロ35。。

2022年12月15日 | 日記

フィルム現像を始めてから、

あるカメラにどっぷり浸かっています。。

なんでこんなに魅力的なのか‥

心の底が暖かくなってくる…

そんなカメラ。。

何故、この三台のエレクトロ‥?

ジャンク550円… シャッター切れました、、770円… 動作品、電池での未確認確認、、990円で、ようやく写真が撮れたのです。。

僕と同じ思いの文面をサイトで見つけました。

自分が書くより、お借りした方がうまく伝わるので、、(;^ω^)

『 ヤシカエレクトロ35というカメラがある。幾度かモデルチェ ンジを繰り返しながらも六〇年代後半から七〇年代半ばにか けて累計三百万台売り上げられた昔のヒット商品である。こ のエレクトロに今ぞっこんである。言うまでもない事だが、 性能的には今のカメラより数段落ちるし、庶民向け大衆機 だったのでコレクションとして希少価値があるわけでもな い。なぜそんなカメラに心惹かれるのか自分でもわけがわか らない。なぜエレクトロは魅力的なのだろうか。

 まずこのエレクトロとはどんなカメラだろう。レンズはヤシ ノン45㎜f1.7を搭載し、絞り優先プログラム露出で、シャッ ター速度は設定された絞りに連動してカメラが自動的に設定 する。設定した絞りに対して露出オーバー或いはアンダーに なればファインダー内及びボディ上部の電球が光って警告を 発する仕組になっている。二重像合致式の距離計内臓ファイ ンダーは青みがかっていてお世辞にも見やすいとは言えな い。しかし当時としては画期的な「IC搭載」カメラであり、 一種のハイテクカメラでもあった。そういう意味である種中 途半端なカメラであるが、このカメラのターゲットは、カメ ラを仕事或いは趣味として追求しているわけでもないごく普 通の人たちであり、どんな人にも最小限の操作で綺麗な写真 が撮影できるように作られている。そういう庶民性がエレク トロの魅力の一つである。

 で、このエレクトロを手にとってみると、まずそのサイズが 今のコンパクトカメラとは比較にならないほど大きいことに 驚く。トップカバーはメッキでぎらぎらと輝いていて、巻上 げレバーや巻き戻しクランクなどの作り、質感は精密感に欠 けていて安っぽい。そういうところが大衆機の大衆機たる所 以だろう。デザインは今見ると笑えるほど古臭い。エレクト ロを象徴するマークが付いていたりするのだが、それがまた 古さをより一層際立たせている。しかしこの古臭いデザイン も発売当時は最先端であったはずで、そういう意味で過去に おける「未来的なもの」を感じる事が出来る。この「レトロ な未来感覚」こそがエレクトロの魅力に他ならない。

 しかし、それがカメラである以上、写真が撮れなければ意味 が無い。実際にエレクトロで撮影したらどういう写真が撮れ るかというと、これがなかなかに素晴らしい写りを見せてく れるのである。露出、ピントがばっちり決まったときの写り は現行のコンパクトカメラなど軽く凌駕するシャープネスと コントラストで、これが五十年以上前のカメラだとは思えないほ どである。絞り開放でのボケ具合も美しく、単に「安かろ う、悪かろう」という粗悪品ではないことがわかる。庶民向 けでありながら、実力もそこそこ併せ持っている、そこにか つての日本のモノ作りの良心を垣間見るのである。

 先にも述べたように、エレクトロが作られたのは六〇年代後 半から七〇年代半ばまでである。それは日本という国が高度 成長の真っ只中にあった時代であり、安保や三島の割腹自殺 やベトナム戦争、ジミヘンドリックス、ビートルズなどの ロックミュージックの台頭、アポロの月面着陸など、世界が 激動していた時代である。エレクトロというカメラにはそう いう時代の熱い息吹が感じられるのである。そもそも「エレ クトロ」というネーミングに、科学の発展が人類の幸せに寄 与すると素朴に信じられていた時代の開発者たちの未来に対 する希望が感じられるではないか。あの激動の時代を象徴す るモノとしてみたとき、エレクトロは単に「時代遅れ」のカ メラではなく、一つの時代を凝縮した言わば「時代の申し 子」と考えられるのである。‥ 』