いつか また 韓国?

韓国の似ているところ、違うところが気になります。 そして自然大好き!

お喋りにお付き合いください

山口でみつけたこれ。

2019-08-30 10:09:50 | あれこれ

几帳面な私と ちゃらんぽらんな亭主。

前から立てていた計画の突然変更に弱い私と、 どうにかなるさ~のいい加減亭主。

というわけで。

突然のように、直前に山口はレンタカーの旅となり。

地図も良く見てない亭主は。 

朝、好きなだけ寝ていて。

前日に瑠璃光寺のしぶい五重塔を見て、 良かった、良かった。

もう、これで良いけど、 あとは、松下村塾だけ みたい~~ってことで。

のんびり出発。

なれないレンタカーには、古いカーナビがついており。

携帯のナビでは、宿から55分だった到着時間が、

いつのまにか、 のこり900キロを越えて。 東京の松陰神社あたりに 変更になっていて。

びっくりしました。 

で、結局、 携帯のナビで なんとか、倍近い時間をかけて。到着。

珍しく 感動したような亭主でした。 

良かった、良かった。 

そして、時間があったら 行こうねって ことで。 

長門の元乃隅稲成神社。

ナビに従って、走る~ ̄走る~~

で、人が、車がいないと思っていると。 

到着地点、駐車場前から ピタッと止まって。

ここだけ、別物のように、長い車の列。

それもそのはず、2年前には、年間3万人だか、2万人だかだったのが、昨年100万人の観光客がおしよせてくるそうで。 赤い鳥居の並んだ風景は、インスタ映えしますもん。

この日は、ここで、途中下車の旅、中止。

3時に山口でレンタカーを返し、 昼ごはんも取らずに 福岡へ戻りました。

わたしゃ、 買い物、夕食準備と・・・ しなくては。

 

ところで、山口のお土産屋さんで 良く見た

外郎。  これを亭主は、「ゲロウ」と読むではありませんか。

小さい時から、 目でも、舌でも慣れている私は、 不思議とも思わず、「ウイロウ」と 読みますけど。

これって、 韓国語読みだと思ってしまった私

アンテナがピンと立ちます。

WIKIPEDIAを見ても、韓国との結びつきは無く、元王朝の瓦解で博多に亡命した陳宗敬の子

宗奇が足利義満の招請で上洛して外郎薬を献上した時に添えた菓子に由来するという説がありますが。

 

人の過ちほど 笑いの種になるものは無く、 このゲロウ事件、夫婦の間で流行りそうです。

そして、道に迷って、迷って、 道の駅で 尋ねた時。

「いや~~、 こうなって、こうなって~~  山口に戻りたいのですが・・・・・・」

に「聞きなさい!!」と ピシっと言ってのけたおばあちゃんの決め台詞。

博多弁だったら、 「黙らっしゃい」って出る場所か。

これも、 夫婦の間で流行語になりそうです。

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5 コメント

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百済 (SOPHIL)
2019-08-30 12:47:29

「元乃隅稲成神社」は近頃は有名ですが駐車場が小さいので大渋滞で有名です。
角島や千畳敷は何度か行きましたが「元乃隅稲成神社」は行ったことがありません。

私は、生まれた時から山口県の外郎に慣れているのでそれがどうしても
基準になってしまいますが、県外にいると食べることは少ないです。
今は時々、スーパーで購入しますが。
名古屋や小田原と山口県の外郎は少し味が違います。

山口は毛利家の後の大内氏が百済系です。
大内氏が最初に上陸した場所がくだら津とし
その場所「くだらつ」を「くだまつ」とし漢字で下松(下松市)
としたらしいです。

h
ttps://www.mihorido.com/yurai-yamaguchiuirou.html

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SOPHILさんへ (ちゃぎ)
2019-08-30 18:22:01
コメントありがとうございました。

ウィという読みに韓国を感じましたが、
貼っていただいたリンクを読ませていただきまして、
百済との関係があったとは・・・
私は、単純に朝鮮通信使との繋がりかと思ったりしたのですが。
ずっと古いお話だったのですね。
百済が日本からの援軍が沢山行った戦いで 勝っていたら、どうなっていたかと思っている昨今の日韓関係です。
それにしても、山口は 見る所が沢山あり、美しいところですね。
また 行ってみたいと思っています。
返信する
外来語 (SOPHIL)
2019-08-31 18:01:00
たびたびどうも

こちらに「外」を「うい」と読むのは唐音と書かれていました。
h
ttp://yuraika.com/uirou/

この読みを韓国語由来と感じられたのはある意味で当たりかもしれませんね。
日本人にとって不思議な読みは渡来人由来のことが多いです。

太秦(うずまさ)が大陸系の秦一族の居住地で絹織物の専門集団だったらしいです。
それで近くの西陣が西陣織で有名になったようです。
神奈川県秦野市も秦一族の居住地だそうです。(桑畑?)
読みが「しん」でなく「はた」なのも機織の「機」と関係があるらしいです。

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SOPHILさんへ (ちゃぎ)
2019-09-01 08:06:30
たびたびありがとうございます

唐音でしたか~~
日本の言葉、特に漢字は入ってきた時期によって、読み方が変わったり、その由来を辿ると歴史が分かって面白いですね~~

以前に藤村由加さんの人麻呂の暗号という本を読んでから、 興味があるところでした。

リンク先もまた見させていただきました。

秦野もどうして、濁らずに「はたの」というのかも、これで、すっきり。 丹沢方面に行くたびに気になっていたところでした。

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訂正 (ちゃぎ)
2019-09-07 11:13:47
ご指摘をうけました。
秦野は「はたの」ではなくて「はだの」という 呼び方が正式でした。
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