クリーゲルの無伴奏は力強さに溢れている。師のシュタルケルの影響かも知れない。が,シュタルケルはストイックなところがあるのに加えて最近の録音では枯れてきている。それに対してクリーゲルはまだまだ若く力があり,その生命力を旋律に注ぎ込んでいるようにも見える。単に物理的強さだけではなく現代人の血肉を備えている。非常にダイナミックでかつデリケートな演奏。剛と柔。
そのことは即ちピリオド志向の演奏が隆盛の今日にあってかなり異色となる。オーセンティックな側から見ると装飾音が奇妙だったり,絶対あってはならないポルタメントすら用いられていたりすることに黙ってはいられないだろう。リズムの揺れは当たり前。長い間,古楽系の演奏に慣れてきた私の耳にも神経を逆撫でするような表現が時々現れる。ここは絶対にやらないでほしいと思うところで絶妙にそれをやってくれる(笑)。
驚くのは第5番のサラバンドの繰り返しがピチカートで奏されること。雰囲気を壊すものではないが,かなり驚天動地。思わず自分の耳を疑った。全面的に『チェリカテッセン』か『ボアブディルの嘆き』のノリ(笑)。とことんマリア・クリーゲルのバッハだ。
マリア・クリーゲル・バッハ(笑)はバロック時代の表現方法には無頓着かも知れないが,これは現代の生命力がこもったバッハである。一音一音が磨かれて彼女の意図するところにはまっている。音程はものすごく良い。哲学的,学究的な演奏などいとも簡単に吹き飛ばすほどの起爆力を持ったロマン的(数世代前の巨匠的と言ってもよいだろう)演奏。オランダ全盛の古楽に対する本家ドイツの最終兵器,マリーア!(笑)。
(ちなみに第1番のプレリュードは2分47秒とやや遅め。フルニエと同じくらいか。。。)
■Johan Sebastian Bach: Suite No. 1 - 6(BWV1007 - 1012), Maria Kliegel, cello. Recorded in 2003. Naxos, 8.557280-81
そのことは即ちピリオド志向の演奏が隆盛の今日にあってかなり異色となる。オーセンティックな側から見ると装飾音が奇妙だったり,絶対あってはならないポルタメントすら用いられていたりすることに黙ってはいられないだろう。リズムの揺れは当たり前。長い間,古楽系の演奏に慣れてきた私の耳にも神経を逆撫でするような表現が時々現れる。ここは絶対にやらないでほしいと思うところで絶妙にそれをやってくれる(笑)。
驚くのは第5番のサラバンドの繰り返しがピチカートで奏されること。雰囲気を壊すものではないが,かなり驚天動地。思わず自分の耳を疑った。全面的に『チェリカテッセン』か『ボアブディルの嘆き』のノリ(笑)。とことんマリア・クリーゲルのバッハだ。
マリア・クリーゲル・バッハ(笑)はバロック時代の表現方法には無頓着かも知れないが,これは現代の生命力がこもったバッハである。一音一音が磨かれて彼女の意図するところにはまっている。音程はものすごく良い。哲学的,学究的な演奏などいとも簡単に吹き飛ばすほどの起爆力を持ったロマン的(数世代前の巨匠的と言ってもよいだろう)演奏。オランダ全盛の古楽に対する本家ドイツの最終兵器,マリーア!(笑)。
(ちなみに第1番のプレリュードは2分47秒とやや遅め。フルニエと同じくらいか。。。)
■Johan Sebastian Bach: Suite No. 1 - 6(BWV1007 - 1012), Maria Kliegel, cello. Recorded in 2003. Naxos, 8.557280-81
最近中世~ルネッサンスに嵌っているので思わずカトリックの祈祷文が出てしまいます。w
古楽ではないバッハですか。
怖いけど聴いてみたい。
聴かねば!
中世・ルネサンスとは随分バックしますね。バッハがまだ生まれていない。音楽の父よ,いずこ(笑)。
剛と柔と書きましたが柔は柔でも剛い柔です。そんじょそこらのチェロ弾きは爆風で飛びます(笑)。これに対抗できるのは平将門くらいかも(笑)。心してお聴きください。。。