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楢崎竜

2006-11-25 | 【愛・哀 雑学】
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平成13年8月1日付の新聞各紙でトップの写真が報じられました。
この女性が坂本龍馬の妻「おりょう」かも知れないと・・・。 

私はおりょうがあまり好きではありませんでした 
なぜなら、おりょうは龍馬が亡くなった後に再婚をしているからです。
私の大好きな新撰組の近藤勇局長の妻(つね)は再婚の話を勧められた時、
”再婚しろとは私に舌を噛んで死ねという意味ですか?”と言い放ったそうです。
さすが局長の奥方・・・つねさん素敵です。 

だから、さっさと再婚したおりょうは好きではありませんでした。 
ですが、おりょうの再婚にはちょっと良い話が・・・

1 ※ 近藤つね 

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のちに龍馬の妻となる楢崎竜は京都の侍医楢崎将作の長女として生まれました。
父親は早くに亡くなり、生活のためおりょうは女中奉公に出されました。
小柄で美人だがかなり肝のすわった女性だったとか。 

留守中に妹の光枝が女郎屋へ売り飛ばされたのを知ると大阪まで押しかけ、
死を覚悟で懐の刃物をつきつけて男をなぐりつけ、ついに妹を取り戻したそうです。
この事件の直後ぐらいに龍馬と出会いました。龍馬の紹介で京都の旅籠寺田屋で
働くようになりのちに女主人お登勢の養女になっています。

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慶応2年1月23日の夜、龍馬を捕縛しようと役人たちが寺田屋をとり囲みます。
一階で風呂に入っていたおりょうはそれに気付き、二階にいた龍馬に知らせます。
浴衣を羽織ると薩摩藩邸に助けを求めに走り、龍馬は懐の拳銃を発砲して、
からくも危機を脱したのです。寺田屋には風呂も階段もそのまま残っています。 


1 ※ おりょうが駆け上がった裏階段。 

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しかし、慶応3年(1867)11月15日に龍馬は暗殺されます。

その後、おりょうはしばらくの間龍馬の実家で過ごしますが、横須賀で再会した
幼馴じみの西村松兵衛に再三くどかれて、ついに根負けしたのか彼と再婚し、
そして66歳の人生を終えるまで一緒に暮らしました。

しかし、おりょうが亡くなったとき夫の松兵衛は
坂本龍馬の妻として墓碑を立て弔ったそうです。 


1 ※ おりょうが入っていた風呂





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