キリストのあかしびと 公教会の教父たち

公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。彼らは、クリスチャンの模範です。

地獄に墜ちた者からの手紙 ◆8

2017-10-20 23:48:59 | 地獄体験談
ミカエル・モスカ神父訳『わたしは亡びた』、8

 地上では、人は恵みの状態から罪をおかして倒れ、罪の中から出て再び恵みの状態へと立ち上がることがあります。たいていは弱さのために倒れるのですが、時には悪意でそうなることもあります。それは、この世における人間の不完全さによるのですが、死によって人間はこの状態から抜け出るのです。そして、わたしたちはもう行く所に着いてしまったのです。

 年をとってから生き方を変えることは、ほとんど不可能なのです。人は、死のまぎわには意志が弱くなっていて、今までの生き方に流されてしまうものです。よい生き方をしたか悪い生き方をしたかによって、第二の人生は決ってくるのです。このことは、わたしにも言えます。わたしは長い間、神から離れて生きていたために、神が最後にくださった恵みに逆らってしまったのです。

 わたしはとうとう最後まで、悔い改めなかったのです。お説教を聞き、霊的読書をするようにと、あなたはよくわたしにすすめてくれました。わたしはそんなあなたに決って「忙しいわ」と答えていました。その頃、わたしの生活はひどく乱れていました。「よい告解をすれば、すべてがよくなるでしょう」というあなたの言葉も、わたしにはいらだたしいものでした。

 わたしは、世間、悪魔、肉の欲のどれいとなっていたのです。あのとき悪魔は、どんな大きなカをわたしにふるっていたことでしょう。わたしがもし、犠牲と苦業の伴った祈りをしていたら、少しずつ生活を立て直して、悪魔の手から逃れられたに違いありません。

 外から見れば、悪魔の手にかかっていると思える人はごくわずかですが、内側から見れば、そんな人はどこにもいます。もちろん悪魔とて、手中に落ちた霊魂の自由意志まで意のままにすることはできません。神から離れて生活している人々への罰は、悪魔がその人たちの心のうちに住むことです。わたしたちは悪魔を憎みながらも地獄に落そうと手を伸ばす悪魔が好きなのです。

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