『身体障害者の聖人 聖ヨゼフ・コトレンゴ』アロイジオ・デルコル神父、17
みずからも手のない子どもに足で書くことを教えて希望を与えたり、ほかのものにも、出来る仕事を考えてやったりしました。ついにかれは、あの当時想像さえできなかっ
たことをしたのです。すなわち、各身体障害者に合う設備したうをそなえ、トリノ市の諸会社から仕事の下請けを貰い、身体障害者が自分の手で生活費をかせぐ道と喜びと、誇りをつくり出したのです。
もしかして、み摂理に対する信頼がたりないのでは?しきりにこの考えが心に淳んで仕方がありません。しだいにコトレンゴ神父は、心配になってきました。
ある夜おそく、かれは、眠っていたひとりの修道士を起しました。
「神父さま、どうなさったのですか?」
「ちょっと来てください。どうも変です」
起きて、修道士はコトレンゴについて行きました。心配そうに、あの病室からこの病室へと、そっとつま先で歩いていきます。ついに、ある病室まで来たときでした、コトレンゴ神父は、しきりのカーテンをさっとあけました。ベットは、からっぽです。「ああ、やっぱり」とかれはため息をつくと、悲しげにいいました、
「わたしがいった通りです。ベットをあけたまま、わたしたちはみ摂理に助けを要求していました。だから、どうしても助けが得られなかったのです」と。
コトレンゴに唯一の敵がありました。罪です。もちろんわざわい罪は、わたしたちにとっても、あらゆる災の源です。どうしても戦わねばなりません。かれは、たびたびこういっていました、
「罪は、だれにとっても、神に対する大きな侮辱でず。ぽうおんでも、この小さな家の人々にとっては、その上大きな忘恩きせぽになります。それは、ここでは、パンのふえる奇跡がくりかえされているからです」と。
ある日、コトレンゴ神父は、お聖堂の説教台の上から、泣きながら説教していました。
「この家には罪があります、だれかが、きょう大罪を犯しました。思いあたる人は、だれであっても、出ていってこつかいください、今すぐですよ!でなかったら、ただちに告解してゆるしをいただいてください。さあ、いっこくも早く!」
神の愛の摂理にすべてをゆだねて働くコトレンゴ神父、うらゆうその心の愛は宇宙のつくり主のように広がっていきます。もう小きな家の各種の患者の世話だけではたりません。かれは、外に出かけていきました。目的地は、貧乏人や悩む人のところ。
みずからも手のない子どもに足で書くことを教えて希望を与えたり、ほかのものにも、出来る仕事を考えてやったりしました。ついにかれは、あの当時想像さえできなかっ
たことをしたのです。すなわち、各身体障害者に合う設備したうをそなえ、トリノ市の諸会社から仕事の下請けを貰い、身体障害者が自分の手で生活費をかせぐ道と喜びと、誇りをつくり出したのです。
もしかして、み摂理に対する信頼がたりないのでは?しきりにこの考えが心に淳んで仕方がありません。しだいにコトレンゴ神父は、心配になってきました。
ある夜おそく、かれは、眠っていたひとりの修道士を起しました。
「神父さま、どうなさったのですか?」
「ちょっと来てください。どうも変です」
起きて、修道士はコトレンゴについて行きました。心配そうに、あの病室からこの病室へと、そっとつま先で歩いていきます。ついに、ある病室まで来たときでした、コトレンゴ神父は、しきりのカーテンをさっとあけました。ベットは、からっぽです。「ああ、やっぱり」とかれはため息をつくと、悲しげにいいました、
「わたしがいった通りです。ベットをあけたまま、わたしたちはみ摂理に助けを要求していました。だから、どうしても助けが得られなかったのです」と。
コトレンゴに唯一の敵がありました。罪です。もちろんわざわい罪は、わたしたちにとっても、あらゆる災の源です。どうしても戦わねばなりません。かれは、たびたびこういっていました、
「罪は、だれにとっても、神に対する大きな侮辱でず。ぽうおんでも、この小さな家の人々にとっては、その上大きな忘恩きせぽになります。それは、ここでは、パンのふえる奇跡がくりかえされているからです」と。
ある日、コトレンゴ神父は、お聖堂の説教台の上から、泣きながら説教していました。
「この家には罪があります、だれかが、きょう大罪を犯しました。思いあたる人は、だれであっても、出ていってこつかいください、今すぐですよ!でなかったら、ただちに告解してゆるしをいただいてください。さあ、いっこくも早く!」
神の愛の摂理にすべてをゆだねて働くコトレンゴ神父、うらゆうその心の愛は宇宙のつくり主のように広がっていきます。もう小きな家の各種の患者の世話だけではたりません。かれは、外に出かけていきました。目的地は、貧乏人や悩む人のところ。