
手打ちうどんで有名な、加須(かぞ)に行って来ました。
2009.7.5
チョットだけ 
埼玉県加須市は、栃木県との県境にある街です。
中山道と日光街道を結ぶ宿場町として栄えました。
明治の初め、提灯や傘の職人が副業として「こいのぼり」の生産を始めました。
お雛様なども手掛け、季節の際の物を扱うという意味で「際物屋」と呼ばれる店で「こいのぼり」が作られるようになりました。
それが「こいのぼり」の専門店になったのは、関東大震災の後、東京近郊の際物屋が激減し、浅草橋の問屋が加須の際物屋に仕入れに来てその品の良さに感心し、注文が殺到するようになってからだそうです。
第二次世界大戦前には、こいのぼりの生産量日本一となりました。
加須のもう一つの名物は、「手打ちうどん」です。
およそ二百年前に、不動ケ岡不動尊の門前で、家庭料理であったうどんを 参拝客に売ったのが始まりで、 関東では珍しい「手打ちうどんの街」として有名です。
30店舗程の店が集った「うどんの会」があります。
そんな中から選んだのは、人気店の一つ『子亀うどん』です。
14:00過ぎに入店したのですが、店はほぼ満員。
食べ終わって出る人がいても、次々と入店してきます。
人気店恐るべし、です。

頼んだのは、『冷汁うどん 大盛 炊込ご飯付き』です。
うどんは、物凄くコシが強く、それでいてモチモチとした食感です。
加須のうどんは、「足踏み」「寝かせ」といった行程を通常の倍も施すらしいです。結果、とてもコシの強い麺に仕上がります。
店内は、混んでいて落ち着かない状態だったので、肝心の「冷汁」の画像がありません。
失敗の巻です。
失敗しながら、今日のパンダです。





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2009.7.5


埼玉県加須市は、栃木県との県境にある街です。
中山道と日光街道を結ぶ宿場町として栄えました。
明治の初め、提灯や傘の職人が副業として「こいのぼり」の生産を始めました。
お雛様なども手掛け、季節の際の物を扱うという意味で「際物屋」と呼ばれる店で「こいのぼり」が作られるようになりました。
それが「こいのぼり」の専門店になったのは、関東大震災の後、東京近郊の際物屋が激減し、浅草橋の問屋が加須の際物屋に仕入れに来てその品の良さに感心し、注文が殺到するようになってからだそうです。
第二次世界大戦前には、こいのぼりの生産量日本一となりました。
加須のもう一つの名物は、「手打ちうどん」です。
およそ二百年前に、不動ケ岡不動尊の門前で、家庭料理であったうどんを 参拝客に売ったのが始まりで、 関東では珍しい「手打ちうどんの街」として有名です。
30店舗程の店が集った「うどんの会」があります。
そんな中から選んだのは、人気店の一つ『子亀うどん』です。
14:00過ぎに入店したのですが、店はほぼ満員。
食べ終わって出る人がいても、次々と入店してきます。
人気店恐るべし、です。

頼んだのは、『冷汁うどん 大盛 炊込ご飯付き』です。
うどんは、物凄くコシが強く、それでいてモチモチとした食感です。
加須のうどんは、「足踏み」「寝かせ」といった行程を通常の倍も施すらしいです。結果、とてもコシの強い麺に仕上がります。
店内は、混んでいて落ち着かない状態だったので、肝心の「冷汁」の画像がありません。
失敗の巻です。
失敗しながら、今日のパンダです。





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加須で高速から降りるんですよ
いつも通り過ぎるだけなので、手打ちうどんの有名な所だなんて知りませんでした
次に行った時は、うどん食べなくちゃね
私はどちらかいうと、煮込みうどんの方が好きなんです
それも、くたくたに煮込んだうどん
草加からひたすら東武線で行きました。
高速?しばらく縁がありません。
煮込みが好きなら、「ほうとう」もメニューにありましたよ。
凄く食べたくなっちゃうの
本当に美味しそう
私もいろんな所旅してみたいな~
最近はもう家族とどこかへ遠出ってのは、子供たちが大きくなって
だんだん行かれなくなってきたの~
だから、女同志わいわいがやがや遊びに行きたいねっ
って、友達と旅行計画中
まあ、ちょいと太り気味なのもありますが
カロリー押さえないと
女同志わいわいがやがやって、楽しそうで良いですね。
東京に来るなら、銀座で接待しましょうか?