生まれて初めて行った海外旅行先はニューカレドニアでした。
この島は、南太平洋メラネシアに位置し、
フランスの海外領土で、ニッケルを産出する鉱業の島である一方、リゾート地でもあります。
日本では、森村桂さんの旅行記『天国にいちばん近い島』(1966)で有名になった島でした。
社会人一年目、初めてもらったボーナスで、クルー仲間のO君との男二人旅でした。
(「初めてのボーナスで親にプレゼントした」なんて話を良く聞きますが、そんなことをせずになんとも親不孝な息子でしたね〜。)
当時、ニューカレドニアに行くにはまずニュージーランドに飛び、乗り換えて行くことになります。ニュージーランドまで約10時間、乗り換え後約4時間と、結構な時間がかかりましたが、20代の若者には全然気にならなかったですねー。
ニュージーランドからは"いかにも牧場の農夫"という感じの団体さんが乗ってきて、ビール片手に機内を歩き回ってワイワイやってました。着陸時はみんなで拍手して大盛り上がり。陽気なNZファーマーが好きになりましたよ(笑)
泊まったのはクラブメッド、の隣の安ホテル。
遊んだビーチは隣のクラブメッドのプライベートビーチに。(実は、私の記憶では泊まったのはクラブメッドだったのですが、よくよく記憶をたどると隣のホテルでした。)
トップレスの外人さんの姿は独身男には目の毒でした(笑)
でも、恥ずかしげもなく狭い桟橋に寝転んでるので、仕方なくその上を飛び越したりしたのですが、あまりに堂々?としてるので、いやらしい感じはしなかったです。アシカが浜辺で寝転んでいるのと大差ないですから。
新卒社会人一年生は元気はあれど金はない。イル・デ・パンという離島が人気観光地らしいのですが、オプショナルツアーに出かける余裕はなく、ビーチでの日向ぼっことウィンドサーフィン、首都ヌメアへの自転車小旅行がせいぜいでした。
ニューカレドニアはニッケル鉱の産出地で仕事上で関係ある代理店がヌメアにあるということで、会社から紹介状まで用意してもらって訪ねようとしたのですが、どうしてもその代理店が見つけられませんでした。(Googleマップがあれば苦もなく見つけられたでしょう。) 第一昼休みが信じがたいほど長くて、万が一見つけられたとしても昼休みだったでしょう。
何より楽しかったのは、色々なヨットを見ることができたことかなぁ!
もちろん、浜辺のトップレスのマドモアゼルで目の保養をすることも(笑)
不思議と記憶がないのは食事のこと。
そもそも高級なレストランなどに入るわけではなかったにしても、何の記憶もないのはロクなものを食べなかった証拠なのかな? 唯一覚えているのはフランバンに穴を開けてその穴にソーセージを突っ込んだフレンチ・ホットドッグ!
当時の円ドルレートは約220円。贅沢などできるはずがなかったのです。
今回は、忘れてしまう前にと"昔がたり"をいたしました。そのうち消え去ってしまうだろう記憶を残しておくのも悪くないかと考えた次第です。老人の手すさびとお笑いくだされ。
海外旅行と言えば、グアムや遠くてもハワイでしたね。
それがいっきにニューカレドニアとは、素晴らしい行動力でしょう。
当時の若者が、いきなりトップレスとはとてもショッキング&鼻の下が伸びたことでしょう。
多分、同年に私も大学を卒業しましたが、行ったのは山梨県の石和温泉だった様な。。。(涙)
私は海外旅行の行き先が偏っていて、ニューカレドニア、タヒチ、ギリシャの離島そしてハワイと、島ばかり行きました。
だから逆にアメリカ本土やロンドンパリのような所は未経験なのです。
偏りすぎですよね。
土曜日は国境なき医師団がお茶の水でマイクを持ってましたが、あんな感じに啓発されるのかな。。。
森村佳ってだれだ?とみると最近、共産党に寄付があったという話題の主ですね。
へ~。。。です。
私から一番遠い作家さんですね。。(笑)
森村誠一だと近いんですが。。
「可愛い子には旅をさせよ」は、今では"子供には楽しい思い出を作ってあげなさい"などと勘違いされそうですが、もちろん"子供が可愛かったら、買ってでも苦労した経験を作ってあげなさい"の意味ですよね。
私は、学生時代にそんなに旅をしたわけでもないのですが、その代わりにヨットのクルー経験が貴重な経験だったのかな?と思ってます。
この旅は思い出深い旅ではありましたが、さすがに「天国に一番近い」というのは「流石に言い過ぎやろ!」というのが同行のO君との一致した感想でした(笑)
太平洋戦争については、日本軍は戦線を拡げすぎですよね。中国だけで止めとけば、アメリカとは戦わなければ、なんて今ごろ言ってもどうしようもないですよね(涙)
円安と物価高騰が厳しいけれどハワイはやっぱりイイですよね〜〜!
をされました。流石マハロパパさんです。
森村佳さん、よく覚えてます。
時代の先駆者みたいに、よくテレビ
出演されてましたね。
当時はデジカメなどなく、フィルム
が貴重でしたから、帰りのセキュリティ
検査でX線焼けしないか心配だったでしょう(笑)
トップレスの女性も新鮮だった思います。
コレだけでも長いフライトの甲斐が有ったと
言うものですね。
あの頃、南太平洋の島に行ってみたくて、ニューカレドニアに行くことになったのは、たまたまなんですよ。南太平洋であればどこでも良かったんですよね。
その後、南の島への憧れは途切れることなく、タヒチ等にも行き、最終的にハワイにたどり着いたというわけです。
天国に一番近いのは、結局ハワイなんじゃないかと思ってます。
とはいえ、「地獄の沙汰も金次第」ならぬ「天国の沙汰も金次第」の円高物価高で、なかなかハワイに行きずらい今日この頃でございます。