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映像と文化通信『アフガニスタン』(1)

2009年01月27日 04時47分38秒 | 写真・映像・アート
 知人の写真家でアフガニスタンを撮っている人は数人いる。一人は大阪門真市在住の写真家、長島義明氏である。

 安全にシルクロードを撮るということになると最近は中国ルートのカシュガル経由というのが一般である。

 日本の写真家なら正倉院の御物などを鑑みるとペルシャやアフガンを撮影対象にしたいというところだろう。

 ネットで検索すると、『昭和ラプソディ(昭和37年・上)』で、現今上天皇と皇后が皇太子時代にパキスタンからアフガンへの入り口であるカイバル峠を訪問しておられることが掲載されている。

 ソ連が1970年代の終わり頃にアフガンへ兵力を入れ、内乱に参戦した。ソ連の介入に抗議して1980年のモスクワ五輪ゲームには不参加を表明した国は多い。日本も五輪不参加で多くの選手が泣いた。出てメダルが欲しかったことだろう。
 長島義明氏はソ連が介入したアフガン戦争のそのちょっと前にアフガンに撮影旅行に出かけて平和で豊かな国土と人々を撮影された。

 アフガニスタン戦争以降は戦争を取材するカメラマンは別にすれば、いわゆるシルクロードをアフガンで撮るという人は筆者は知らない。

 それよりおよそ100年前には19世紀半ば、中東も、アフガンも、インドも英領だったようだ。19世紀、英国は大英帝国として世界に君臨、今のアメリカ以上の覇権国であった。

 幕末に日本が欧米列強の要求によって開国して行こうとしているとき、英国は中東もインドは言わずもがなアフガンさへも押さえ込もうとしていた。

 ちょうどその頃英国ロンドンで経済学研究に取り組んでいたのが、マルクスであった。
 世界の労働者を団結させ資本家階級の地位向上をめざした第一インターナショナルが出来たのが1864年であり、資本論1867年に初版が出ている。明治維新は1868年

 アメリカの南北戦争1861年から1865年。日本の幕末である。ヨーロッパではマルクスが活躍し、アメリカではリンカーン大統領が奴隷解放の戦いで奮闘、このように内に混乱があっては欧米は日本侵略に踏み込めなかった訳だ。

 もしこういう事情が無ければ日本はアメリカの属国になっていて、公用語は英語ということかも知れないと想像する。

 誰もが英語をしゃべり、このJ-Netも英語が主たる言語となっていたかも知れない。フィリピンでは誰でもある程度英語をしゃべることを考えるとこれは大げさではないように思う。

 Change(変革)を叫ぶ米国のオバマ新大統領が尊敬するリンカーンとマルクスが日本を欧米の植民地化から救ってくれたという説があながち根拠がないことは無いと思う。

 タイロン・パワー主演のハリウッド映画『壮烈カイバー銃隊』を見たのは筆者が少年時代で、大阪御堂筋を走る自動車の大半がいわゆる外車(輸入車)だった時代である。ターバンを巻いたイスラム教徒の兵、シーク教徒の兵がナイフや剣で戦う姿に魅せられた記憶は未だ鮮明である。

 この映画『壮烈カイバー銃隊』でも英国はアフガンを視野に入れている。ロシアの南下を阻む狙いがあったという。

                この項つづく


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