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『マルクス理論:アジアとヨーロッパ 2』

2008年05月26日 07時00分10秒 | 経済・社会
いわば”頭から入った”のである。筆者にとっては戦後の混乱期、貧困生活を経験しつづけた経験上、”貧困からの脱出”が平和問題と共に大きな課題であった。

 戦争の苦い経験から平和志向は根強く、五味川純平の”人間の条件”が空前のベストセラーになっていて、筆者も大きな影響を受け続けた。小林多喜二の『党生活者』を震えるような感動を覚えつつ、いっきに一晩で読了したのもこの頃である。

 マルクス理論:”資本”という人間の意志を越えて肥大化する”もの”、これが自己増殖を続け、肥大化して絶対的窮乏化を生み出して行く、こういう分析はは科学的に明晰な理論だと筆者には見えた。救われた思いであった。

 それは1957年11月3日ソ連が歴史上初めて人工衛星を打ち上げに成功した直後であった。当時ソ連は多くの人々には隆盛に見え、中国や朝鮮民主主義共和国など社会主義革命は世界中に広がりつつあった。

 書店のベストセラー本はマルクス・エンゲルス・レーニンの著作物であり、またロシア文学も同じく大変な人気であった。

 一方ではエイゼンシュテインなどのソビエト映画をはじめ、ポーランド映画が人々をひきつけていた。

 レーニンはその著作の中で外国語は闘争の武器であると唱えていた。

 マルクス・レーニン主義の旗印の下にいた筆者は邦画・ハリウッド映画は勿論フランス映画、ソ連東欧映画を楽しみ、英語・フランス語・やロシア語などを学ぼうとしていた。

 また一方で普及し始めたテレビのドラマ『私は貝になりたい』が放映され、多くの視聴者の共感を得ていた。

 他方では多くの人々が中国革命の思想家、毛沢東の著作も読んだ。実践論・矛盾論、文芸講話などである。

 一方アメリカではマッカーシズムが隆盛でハリウッドでは多くの監督や脚本家、俳優達が狙い打ちにされた。

 1929年の大恐慌以来、世界中でマルクス主義への傾倒が深まり、アメリカでも例外ではなかった。

 いわゆるマルクスレーニン主義は世界中を多い尽くそうと懸命であった。マッカーシズムはそういう勢いに対する警戒であり、反発であった。

 資本主義か社会主義か選択と対立の時代であった。キューバでもカストロやゲバラの社会主義革命が起こり、やがていわゆるキューバ危機が到来する。

 日本では1960年に安保反対闘争が国民的支持を得て大きな力となり、日本の革命も視野に入りつつかに見えた。

 筆者は当時ドイツ語を学んでマルクスを読もうとも計画していた。資本論は価値形態論など理解が難しいとされ、それだけに人々を引くつけていた。

 資本論第一巻のフランス語版序文は引用されたが深く読み込むという論文はまだ出てこない時代であった。

 筆者は資本論フランス語版の意義深さを知ったのは1968年はじめであった。衝撃が走った。


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