
一回り以上年下の若者とサシで飲むなんて珍しいことです。
彼はハンブルク交響楽団のコンサートマスターであらせられます。
初めて話したのは、喜多直毅&The Tangophobicsのライヴを聴きに来てくれた時でした。
夜の六本木。スイートページルSTB193の客席で、彼が芸高の制服のままの彼は異質に見えました。
「なかなか良かったですよ。」
と彼が言ったかどうか・・・記憶は定かではないのですが、生意気そうで、とても純粋な目をした男の子だな、と思った記憶はあります。当時僕は30歳くらい。僕こそ生意気盛りだったのですが。。。
そのご楽器屋さんで出くわした彼が弾くバッハを聴いて、「これは天才なのか、若さの力なのか・・・」と羨ましく思ったものです。
いつか大きく羽ばたいて僕の前に現れるに違いないと思っていました。
随分遠いところに羽ばたいてしまったので、目の当たりに出来る機会はあまり無さそうですが。
場所は表参道のクレヨンハウス。
腹一杯食べて、彼は滅多に飲めない日本酒を。
僕はホットワインを飲みながら、色々話しました。
ドイツの音楽事情、なんて高尚な話ではなく、結婚して子供が出来るまでのいきさつや、ドイツでガイジンのコンマスとして活躍する事の利点や悩み。音楽と関係なく、ドイツから見た今の日本、など。
41歳にしてようやく辿り着いたような局面を、早くも彼が迎えていることに驚きました。
そして、彼も同じように悩み苦しむ人間なのだと気が付き安心もしました。
彼の奥さんが「私、このチェリスト好きよ。最初はナイーヴ過ぎると思ってたけど。」と言ってくれているのだそうです。
会ったことはありません。
彼の奥さんに気に入ってもらえたこと、彼が僕の一番お気に入りのCDをドイツまで持ってって聴いてくれてたこと。
恥ずかしくて反応できませんでしたが、とても嬉しい夜でした。

…相変わらず本題とは関係ないことに食いついて申し訳ありません。
ちゃらんぽらんな僕はそれすらも気が付いていないのかもしれませんね。
あそこは結構良い日本酒を置いているようですよ。お試しあれ。
男二人で閉店まで、お店の電気を半分消されるまで粘りました。滅多に会えないので、タチが悪い客だと言わず許してください。。。