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チェリスト 阪田宏彰のBlog

日々感じたこと、おすすめなモノ、お気に入りなど

ちづるちゃんと僕の8ヵ月

2018-05-13 | ひとりごと
前回ブログを書いてからずいぶん経ってしまいました。
毎回この出だしで始まっている気がする・・・。

とても多くの方からお返事いただいた前回のブログ。
その後ちづるちゃんは元気にしているだろうか、と気にしてくださる方もあったのですが、報告が今日になってしまいました。

ちづるちゃんは、5月9日の夜21時13分に旅立ちました。
普通ならば「謹んでご冥福を・・・」とか書くところです。
でも、時折僕の周りをちょろちょろしながら、僕のやることを観察しているように感じるのです。
まだしばらくちょろちょろしていてもらいたいので、ご冥福を祈るのは少し待つことにします。

前回のブログもまとまらない長文でしたが、ちづるちゃんがこのブログを目にすることを考え、あれでも色々と言葉を選んでいました。
今回はまだ整理がつかない8ヵ月の記憶を出てきた順に吐き出します。
とても長くなりますので、覚悟を決めてお付き合いください。


急性骨髄性白血病を発症したちづるちゃんは、お兄ちゃんからの骨髄の移植を受けて、昨年の6月に退院しました。
9月にはCello Ensemble 008の釧路公演を見に来てくれて、僕と出会いました。
前回のブログでもお気づきの方もあったと思いますが、その後札幌の病院に戻ることになったのは「再発」したためです。
もうその時点で彼女の将来は短く辛いものであることはおおよそ分かっていたのだと思います。

前回のブログでは、あまり公にするものではないとは思いつつも、医療行政の在り方に一考を促したい思いで、ちづるちゃんとの出会い、ご家族の苦労を綴りました。
その後、ちづるちゃんとの交流が深まっていくところからが今回の主題です。


前回のブログを公開してほどなく、ちづるちゃんから「Cello Ensemble 008のCDを10枚売ってください!」というお手紙をもらいました。
Cello Ensemble 008の公演で感動してくれたことを綴った手紙を添えて、Cello Ensemble 008のCDをたくさんの町の図書館や学校に寄付をしたいとのこと。
売り物のCDを無償で配布することの問題点まで分かった上での、丁寧なお願いでした。
ちづるちゃんからお金を取るのは気が引けたので、「10枚くらいなら僕たちから寄付できるよ」と伝えました。
でもちづるちゃんは使えていないお年玉をここで使う!と言って聞かず、ご両親の了解を得て次々と寄付を始めました。
多くの反響があって、ちづるちゃんはお年玉の前借りまでしてどんどんCDを購入しては寄付していきます。
彼女自身が行うことに彼女の喜びがあるのであれば、仕方ありません。何か申し訳なく思いながらも発送し続けました。

この頃、ちづるちゃんからのお手紙や、お母さまからのメッセージで、どうやら自分がちづるちゃんの王子さまになっていることを知りました。彼女の寄付活動は、Cello Ensemble 008やYAMATO String Quartetを宣伝することだけでなく、とにかく僕を北海道に呼びたかったのだそうです。
僕は、間違いなく人生最初で最後の「王子さま役」を全力で演じ切ることを決めました。


前回のブログで書いたように、札幌医科大付属病院での演奏を実現させるために幌延と稚内の方に約束を延期してもらっていました。
その方々に会うために再度北海道に行ったのはクリスマス間近の寒い日でした。
12月22日、ちづるちゃんに会いに札幌にも寄りました。

自分がクレジットされたCD・DVDを思い出して買い集め、やったこともないラッピングに四苦八苦したプレゼントを持ちました。
不器用な年増の王子様は、勇気を奮って病院に向かいます。
待ち切れずにエレベーターホールまで迎えにきてくれたちづるちゃんと病室に入ると、部屋中を飾り付けて待ってくれていました。
定位置に座ると、やおらウィッグをとって「ほら!」
周りに気を遣われるのが嫌いな子でした。
「お。頭の形が綺麗だねぇ!」と答えると、満足そうにそのままお話を始めました。
2018年9月15日にYAMATO String Quartetの中標津公演が決まった頃でした。
ちづるちゃんに報告すると「ちい、それまでに治して釧路に戻れるようにしたら聴きに行けます!」とはしゃいで喜んでくれました。
後でお母様から「9/15はちづるのお誕生日なんです」と聞きました。

病院の方々も、僕が音を出しても良いようにお医者さんの待機部屋を空けてくれていました。
そこでチェロを出して、彼女が気に入ってくれていた曲をいくつか弾いた後は、ちづるちゃんの質問タイム。
「YAMATOで演奏しているDeep Purpleの『紫の炎』のチェロの激しい刻みはどうやってるんですか!?」
病院にお見舞いに来ているとは思えない爆音を響かせました。

この歳の暮れ、先の小児病棟コンサートに協力してくれた鳥居はゆきさんが経営するカフェ「Lakura」の最後のお客さんはなんとちづるちゃんだったそう。チェロを出して、鳥居さんの伴奏で「白鳥」の練習。
素敵な年末を過ごしたそうです。


ある日、ちづるちゃんが「病気の子供をだしにして阪田先生が売名行為をしている」と言われるんじゃないか、という心配をしているということを聞きました。
おそらくそれを臭わせるようなことを口にした大人がいたのかもしれません。
実際、「あれだけCDの売り上げもあったんだから、もっと会いに行ってボランティアでコンサートをしてあげて」というようなメッセージをいただいたこともありました。
その後の彼女との交流についてはブログに一切上げていなかったので、「何もしてない」と思われたのでしょう。
全ての交流はやりたいからやったことで、義務的な活動を「何もしてない」と言われればそうかもしれません。
でも、よく知りもしないで迂闊な言葉を発して子供を傷つけるのはいつも大人なんだなぁ、と今後の自分の言動に一層の責任を感じました。


年が明けて、家のある釧路に転院することと、余命3か月程と告げられたことを聞きました。
札幌でしか治療できないために札幌に入院しているのに、釧路に転院するということが何を意味するか、子供でも分かったでしょう。
それでも釧路への転院すら可能かどうか分からない状態で本人に伝えるわけにはいきません。
大人が伝えられないでいることを、知らないフリをしてあげる優しさがあったちづるちゃん。
釧路に無事転院した後、ご両親はこれ以上彼女に気を遣わせるのをやめて、正直に余命を伝えることにしたそうです。

ちづるちゃんから「中標津のコンサートをとっても楽しみにしていたけれど、ちいは約束が守れないかもしれません。」という、いつもの明るい内容とは違う手紙をもらった時、僕の中でも何かが壊れる音がしました。
なりふり構わず、力を貸してほしい人には遠慮なく協力をお願いするようになった僕は、自分でも驚くほどの勢いで次々と動きました。

まず旭川のファンクラブの皆さまにお許しを得て、ファンクラブの主催で行ったコンサートの録画から1曲ずつ10枚のDVDを焼きました。
それぞれの曲に合わせて、滅多に書かない手紙を書き、いつも素晴らしいお花を用意してくれるPetal.さんに演奏と手紙を見てもらって、お花をアレンジしてもらいます。
このセットが10日に一度、病室に届きます。
ちづるちゃんがこの先味わうはずだった人生を、楽しいことも悲しいことも書きました。
恋をする段を書いた手紙を送ると、貴婦人のようなドレスを着た写真を返してくれました。
結婚する段を書いた手紙を受け取ると白いドレスを着た写真を送ってくれました。
いつも素敵なブーケを持って。


免疫が極端に落ちているちづるちゃんに大人数で聴かせることはできませんが、病室でネット中継でYAMATO S.Q.の演奏を見てもらいたいと考えました。
仲は悪くはないものの、いつも必要以上のことはほとんど話さないYAMATO S.Q.のメンバーに、勇気を出して「9月15日の公演を楽しみにしてくれていた女の子のために・・・」とお願いしました。
全てのメンバーから即座に「OK!」「やれ」との返事をもらった時には、24年間やってきて本当に良かった、と涙が出そうになりました。
しかし急な話です。メンバーがひねり出してくれた日程と、演奏会場の予定がどうしても合いません。
最短でも5月14日の後援会コンサートになってしまいました。これでは間に合わないかもしれません。

次に考えたのは、オリーブガーデンコンサートでお馴染みの40`s Quartet。
高橋暁、柳川ひろこ、梶谷裕子の3人はいつも飲んだくれている仲間。いつもから無茶なお願いしかしていないので、僕に振り回されるのは慣れたものです。
オリーブガーデンコンサートを聴きに来てくれたご近所のソーセージの名店「ケーニッヒ」の社長島崎さんから「うちでもいつかやりましょう!」と言われていたことを思い出しました。
島崎さんに、「いつかじゃなくて、すぐ!やりたいんです」と事情を含めてお願いしました。
しかも「ちづるちゃんのことをあまり表に出さず、普通に楽しんでいただくコンサートとしてやりたい」という注文付き。
ちづるちゃんに見て欲しいのはしんみりしたコンサートではなく、お客様が楽しんでいるコンサートなのです。
短い期間、一緒に悩みながら公演を作っていただきました。

4月14日のコンサート当日は、ドイツ風石造りの素敵な店内に予想以上のお客様。
狭い空間で、ちづるちゃんに余すところなく中継するべくカメラと三脚を持ってくれたのは、出茶屋さんで珈琲友達の磯部さん。
短い指令で状況を察すると、開演前から休憩中、終演後まで、楽しいコンサートの一部始終を送り届けてくれました。
ちづるちゃんは起き上がっていることがつらい状況だったのに、2時間ずっと背筋を伸ばしてニヤニヤして見てくれたそうです。
ちづるちゃんから、ケーニッヒにもお手紙が届いていて、メンバー一人ひとりにお手紙のついた花束も貰いました。
後から知ったのですが、コンサート会場で僕に花束を手渡すことがちづるちゃんの夢だったそうです。


5月に帯広に行く用事ができると、すぐさまピアノの鳥居はゆきさんに連絡しました。
「釧路に行って、ちづるちゃんはまだ生で聴いていない『小児病棟コンサート』を再現したいのだけど、また協力してもらえませんか?」
「もう私は勝手に行くつもりでした。」
というやり取りで、5月11日に病院にお邪魔して演奏するために動き出しました。
しかし既に4月半ば。
「近い時期は飛行機高いね~」なんて言ってたら、鳥居さんがお知り合いの作曲家、石丸基司さんに声をかけてくださって、5月11日に釧路芸術館でのコンサートが決まりました。
元々行く予定だった帯広でも、5月10日に帯広音楽鑑賞協会の楠村さん、シーズカフェの工藤さんがコンサートを企画してくださり、「それなら!」と鳥居さんのお店Lakuraでのコンサートが5月9日に決まりました。
しかし、ここでも「ちづるちゃんのことをあまり表に出さず、普通に楽しんでいただくコンサートとして」という制約を設けたために各地の主催者の皆さまには随分とご苦労をかけました。
それでも、Cello Ensemble 008のツアーを決めるのに長い準備期間をかけていたのがバカらしくなるようなスピードです。


現地に入るまで鳥居さんとリハーサルが出来ないので、お互いに質問事項やテンポ指定を譜面に書き込んで、写メ打ち合わせを進めている頃でした。
4月28日に、ちづるちゃんのお母さまから「あと1~2日かもしれないと診断されました。5月11日を楽しみにしていたのですが、申し訳ありません」という連絡が来ました。
この時、僕と鳥居さんのどちらからともなく「明日行ける?」という言葉が出てきました。
翌日の「ちづるちゃんだけのためのプライベートコンサート」が決まりました。
急遽、Petal.さんに「明日、飛行機で持っていけるお花」に全てを詰め込んでもらいました。

4月29日、ほとんど寝られないまま釧路で合流した僕と鳥居さんは、ストレッチャーから動けないとはいえ意外なほど元気そうなちづるちゃんの顔を見て嬉しくなりました。
でも元気そうに見えたのは、お医者さんが「最後にやりたいこと」を完遂できるように、投薬のピークをその時間に合わせて処方してくださったからなのだそうです。

5月11日に披露する予定のプログラムを半分ほど演奏した後、僕は残る手紙とDVDとお花を、鳥居さんからはアリスの本と鳥居さんのパートナー了ちゃん作成のちづるちゃんの名前入り革製キーホルダーをプレゼント。
すると彼女は僕たちに一輪のバラを手渡してくれました。
「阪田先生にコンサートで花束を渡すのが夢だったの」と聞いて、本当に来て良かったと思いました。
僕がもらったのは赤い一輪のバラ。
「先生には赤いワンポイントが似合うと思う」と教えてくれました。

「5月11日にまた来るからね!」と言い残して帰ってから、毎日恐る恐る携帯電話を開けても悲報は届きません。
あとで病院の方から、余命2日宣告の後にちづるちゃんとご家族を覆っていた隠しようのない暗い影が、「明日阪田先生たちが来るって!」という報告でパァッと明るくなったと聞きました。
そのせいかどうか分かりませんが、まだ頑張ってくれていることに嬉しくなり、鳥居さんと「来週はちづるちゃんが驚くくらい完成度を上げて臨まなければ!」と張り切りました。
そして「赤いチーフ」をポチっとしました。


5月8日の夜、旅に出る支度と5月14日のYSQ後援会コンサートの準備に追われている最中に、ちづるちゃんのお母様から電話が鳴りました。
「容態が悪くなり、痛みと痙攣を抑えるために薬で眠らせることになります。残りの時間は眠りながら過ごすことになるので、少し声を聴かせてもらえたら・・・。」というお電話でした。
覚悟を決める暇もなく、「ちづるちゃん、明日から北海道行くよ~。あと少しだから待っててね~。」なんて間抜けな声かけをしました。
もう返事は出来ないと言われたのですが、その後の様子をお母さまが動画に撮って送ってくださいました。
幸せな寝言のように「阪田先生、大好き」。
この動画は、王子様役としての僕の宝物です。


5月9日、札幌は鳥居さんのお店「Lakura」でのコンサート。
鳥居さんが集めてくれた温かい雰囲気のお客様の中、後半の3曲目を演奏している時に2階で物音がした気がして「僕のハンガー落ちたかな?」なんて思ってましたが、その後はいつも以上に集中して演奏できました。
リラックスした空気の中で、コンサートを終えたその時に知らせは届きました。
「21時13分に穏やかに息を引き取りました・・・・」
僕は霊感も無いですし、お化けとか超常現象の類は一切信じていません。
でも思念が時間や空間を超えることはあるのかもしれません。


5月10日。
この日からは、鳥居さんのパートナーで調律師の了ちゃん(山口了路さん)と一緒でした。
運転から搬入・調律まで、八面六臂の大活躍。
そして僕たちより先に泣く了ちゃん。
帯広のシーズカフェでのコンサートも、とても良い雰囲気の会場でした。
もうちづるちゃんに余計な心配をさせないために、ちづるちゃんのことには極力触れないという禁はもう存在しません。
ちづるちゃんとのことを思い出しながら、ちづるちゃんに話しかけるように喋り、ちづるちゃんの存在を感じながら演奏しました。
いつも絶対人前で涙を見せることが無い僕が、いつの間にか泣きながら弾いていました。


翌日の釧路では、まずはちづるちゃんに会いに行きました。
明るく楽しそうなご家族に囲まれて、幸せそうに、今にも起きてきそうな寝顔でした。
しかし、バックにかかっているのはCello Ensembnle 008が演奏するLed Zeppelinの「天国への階段」や、YAMATO S.Q.が演奏するDeep Purpleの「紫の炎」。
思わず笑いだし、「これはさすがにお客さんがびっくりするでしょう!?」と言ったのですが、「でも本人は喜ぶので」と。
持参していた昨年のYAMATO S.Q.のサントリー公演からシューベルトの「ロザムンデ」の録画(他には一切出しません)に替えてもらい、ようやく笑わずに思い出を話せる空気になりました。
本当にいたずらっ子で、僕の前ではネコを被っていたそうです。
たくさんの写真とエピソードを教えてもらい、明るい彼女の周りで、お医者さんも看護師さんも楽しく辛い日々を過ごしたことが良く分かりました。

彼女とそっくりな小さな妹ちゃんは、お布団の中のちづるちゃんの足に触ってお姉ちゃんの存在を確かめてはニコニコしています。
骨髄を提供したお兄ちゃんに「痛かったでしょう。よく頑張ったね!」と声をかけたら、それまでニコニコしていたお兄ちゃんがちょっとうつむいて「でも効かなかったから・・・。」と。
そんなことはない! 骨髄移植して釧路に帰っていなかったら、Cello Ensemble 008の釧路公演を聴くことも、僕と出会うことも、僕たちの8ヵ月の全て無かったはず。
この8ヵ月の間に僕に振り回された全ての人たちも、ちづるちゃんのこの8ヵ月に関わることができなかったことになるのです。


その夜、釧路芸術館でのコンサートは、作曲家石丸基司さんが企画してくださいました。
会場にはちづるちゃんを知る人も多く、既に訃報に接した方も多かったと思います。
もう収拾がつかないくらい感情が爆発した僕の演奏の最後は、石丸さんがこの日のためにリアレンジした作品「青空に」でした。
この日はちづるちゃんの存在を体内に力強く感じて、ちづるちゃんがお世話になった皆さんに残す気持ちを語りきれたと思います。

翌朝の告別式でも、急遽演奏でお見送りする機会をいただきました。
会場に入ると、Cello Ensemble 008の「銀河鉄道999」がかかっています。
もう笑いません。どこまでも力強く登っていく名曲のテーマはここに合っているようにすら思いました。
この日はちづるちゃんは僕の中にはいませんでした。
みんなに見送られて、ちょっと恥ずかしくなっていたかもしれません。
僕自身がちづるちゃんに向けた思いだけが響いたと思います。
まさに一点の曇りもない「青空」の下、彼女を乗せた車は去っていきました。


小手先の技術に頼りがちなチェリストだというコンプレックスを持っていた僕に、僕の演奏をまっすぐに好きだと言ってくれたちづるちゃん。
自分の中に生まれてくる衝動を音にする機会を次々と貰ったことで、僕自身や僕の音楽が変化して演奏も変わりました。
ちづるちゃんが遺してくれた「ちづるちゃん」は僕と僕のチェロの中に息づいていると感じるのです。
ちづるちゃんと出会えたこと、この8ヶ月間一切の後悔を残さずに走り続けられたのは本当に幸せなことでした。
ちづるちゃんはもちろん、ご両親や鳥居さん、お友達の皆さん、僕に振り回された全ての方々に感謝しています。


話は少し戻って5月11日の釧路芸術館でのコンサートが終わった時、赤いほっぺの少年が僕の前に立ちました。
さらに顔を真っ赤にして「白鳥を上手に弾けるようになりたいので教えてください!」と一気に言うと、ボロボロ泣き始めました。
ちづるちゃんが大好きだったそうです。
せっかく涙をこらえていたのに一気に涙腺が崩壊し、一緒に泣きながら「いいよ!」答えながら、心の中では(任せろ! 絶対僕より上手くしてやる)と叫びました。
後ろで「え!? そういう話だったの!?」とあたふたするお母さん。
あれ? 8ヵ月前にも見たような光景です。

ちづるちゃん、やったな・・・。絶対その辺でニヤニヤしているに違いありません。
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