およそ僕らしくない深刻な題名です。
今回は内容も真面目なんです。
先日、Cello Ensemble 008の釧路公演の後、サイン会に並んでくれたお客様の中に一人の少女が居ました。
彼女は僕の前に立つと、突然言いました。
「札幌医科大学付属病院で弾いてください!」
彼女の後ろではお母さんらしき人が驚き慌てている様子。
でも彼女は至って本気なのです。
全く逸れることがないその目を見たら、
「はい。」
という言葉が口をついて出ていました。
この時はまだ、「来年も再来年もおそらく北海道には来るだろう。札幌に寄る機会はいつかあるだろう。」
と考えていました。
後で周囲の大人たちから聞きました。
可愛らしい依頼主は、ちづるちゃんというチェロを弾く女の子でした。
ちづるちゃんは白血病で、つい先日までその病院に入院していたそうです。
チェロが大好きな彼女は、入院中チェロを弾くことも、聴くこともできませんでした。
抗がん剤で免疫が弱っているために、病院で慰問コンサートが開かれても、その会場に行くことを許してもらえないのです。
ちづるちゃんはようやく退院して、僕たちのコンサートを聴いてくれました。
感動してくれたのです。
彼女は、自分のためではなく、一緒に入院していたお友達にチェロの音を聴かせてあげたいと願っているのです。
分別のありそうなちづるちゃんが、僕を見込んで、勇気を出してこのお願いをしてくれたことが本当に嬉しかった。
実は音楽家ほど、自分を必要とされることに弱い人種はいないかもしれません。
状況は変わりました。
いつか、ではなく今すぐ行かなければなりません。
ちづるちゃんのお友達が退院する前に。
しかも病院に行けば良いのではなく、小児ガンの子ども達も入院している小児病棟に入れてもらって演奏する必要があります。
たくさんのハードルを乗り越えて全力の演奏ができなければ、これまで北海道にたくさん呼んでもらった意味も、チェリストを続けている意味もありません。
このミッションの遂行に燃えた瞬間から、多くの方々に後押ししてもらいました。
僕は9/20までのCello Ensemble 008ツアーの後、来年以降の準備のために一人北海道に残る予定でした。
病院と連絡を取りながら各地を周ります。
23日には、釧路のジュニアオーケストラの子ども達の公開レッスンがありました。
可愛い妹のために骨髄を提供したお兄ちゃんのチェロも聴きました。
病院との交渉の結果、決まった日にちは25日。
この日は、幌延と稚内にお邪魔する約束がありました。
幌延と稚内の担当の方に事情を話すと、「是非!そちらに全力を尽くしてください!」と温かいお言葉をいただきました。
何年も前からお世話になっている、お洋服とカフェのお店「Lakura」の鳥居はゆきさんにピアノをお願いしました。
彼女は土田英順さんというチェリストと、震災後の被災各地をチャリティコンサートで周っていた方なのです。
「私でいいんですか?」
なんて言いながら、ボランティアであること、心でする仕事であって上手下手ではないことを伝えると、
「それは私かな~」
と。
当日まで会場に行けない僕に代わって現地を見てくれた鳥居さんから
「小児病棟にあるエレクトーンでは無理!」
と緊急連絡が来たのは23日。
今度は、札幌の音楽制作会社「セプト」の社長、國廣さんにお願いです。
「持ち込める88鍵の電子ピアノある!?」
口の悪さと裏腹に、いつも親切な國廣さん。
「ないよ。そんなもん。」
と言いながら、スタッフの佐々木さんのお嬢さん所有の楽器と共に佐々木さんを派遣してくれました。
昨年の旭川クリスタルホールでの公演後、朝まで僕に付き合ってくれた強面のおじさまです。
当日は佐々木さんに搬入から設営までおんぶにだっこ。
LINEのビデオ通話を使って、釧路に居る僕の可愛い依頼主に、演奏を実況中継してくれたのもこの佐々木さんです。
入院中のお子さんたちは、食い入るように見て聴いてくれました。
17歳の男の子が、「僕、将来の夢ができた!」と言ってくれたのが本当に嬉しかった。
まだ抗がん剤の影響が残る彼女のお友達の女の子は、一緒に写真を撮って喜んでくれました。
そして0歳児のお子様の多いこと!
子ども達だけではなく、ご家族の姿も多く、ご家族も仕事や家庭を投げ打って全力投球されていることがよく分かりました。
人生最高レベルで気持ちを込めた演奏の後でした。
ちづるちゃんと入院中のお友達がビデオ通話で会話しています。
「私、29日にそこに帰るからね~!」
と聞こえた時は、胸が締め付けられるとはこのことか、と思いました。
また辛い闘病生活が待っているのです。
終わってみて思ったことが二つ。
子どもたちが親元近くで治療できること、ご家族がそのサポートに専念できること、こういうことにこそ国民健康保険や税金を使ってほしい。
そして僕たち演奏家は、ただ面白おかしく演奏するだけではなく、本当に必要としてくれている人たちに音楽を届けるという大事な仕事があるということ。
そのために各地の文化事業費を使っていただきながら演奏してきたのだな、と。
これまで、「008の北海道ツアーいつまでも続けたいな~」くらいに思っていました。
今は「続けなければならない大事な事業なんだ!」と気が付きました。
毎年あの子たちに会えるように、これからも続けます。
各地の皆さま、応援よろしくお願い致します!
そしてちづるちゃん、勇気を出してくれて本当にありがとう。
また会いに行くので、治療頑張ってね!
ちづるちゃんからのお手紙。
「いつか阪田先生と一緒に弾けるようになりたいです。」
もちろん!待っているからね。
僕は還暦過ぎまで現役でいる覚悟を決めましたよ。
最後にもう一つ。
北海道でメンバーと苦楽を共にする間に得た、心でする仕事に即座に対応してくれる友人たちを心から誇りに思います。
おまけ:ちづるちゃんは、チェロを持って再入院することを特別に許してもらえたそうです!
今回は内容も真面目なんです。
先日、Cello Ensemble 008の釧路公演の後、サイン会に並んでくれたお客様の中に一人の少女が居ました。
彼女は僕の前に立つと、突然言いました。
「札幌医科大学付属病院で弾いてください!」
彼女の後ろではお母さんらしき人が驚き慌てている様子。
でも彼女は至って本気なのです。
全く逸れることがないその目を見たら、
「はい。」
という言葉が口をついて出ていました。
この時はまだ、「来年も再来年もおそらく北海道には来るだろう。札幌に寄る機会はいつかあるだろう。」
と考えていました。
後で周囲の大人たちから聞きました。
可愛らしい依頼主は、ちづるちゃんというチェロを弾く女の子でした。
ちづるちゃんは白血病で、つい先日までその病院に入院していたそうです。
チェロが大好きな彼女は、入院中チェロを弾くことも、聴くこともできませんでした。
抗がん剤で免疫が弱っているために、病院で慰問コンサートが開かれても、その会場に行くことを許してもらえないのです。
ちづるちゃんはようやく退院して、僕たちのコンサートを聴いてくれました。
感動してくれたのです。
彼女は、自分のためではなく、一緒に入院していたお友達にチェロの音を聴かせてあげたいと願っているのです。
分別のありそうなちづるちゃんが、僕を見込んで、勇気を出してこのお願いをしてくれたことが本当に嬉しかった。
実は音楽家ほど、自分を必要とされることに弱い人種はいないかもしれません。
状況は変わりました。
いつか、ではなく今すぐ行かなければなりません。
ちづるちゃんのお友達が退院する前に。
しかも病院に行けば良いのではなく、小児ガンの子ども達も入院している小児病棟に入れてもらって演奏する必要があります。
たくさんのハードルを乗り越えて全力の演奏ができなければ、これまで北海道にたくさん呼んでもらった意味も、チェリストを続けている意味もありません。
このミッションの遂行に燃えた瞬間から、多くの方々に後押ししてもらいました。
僕は9/20までのCello Ensemble 008ツアーの後、来年以降の準備のために一人北海道に残る予定でした。
病院と連絡を取りながら各地を周ります。
23日には、釧路のジュニアオーケストラの子ども達の公開レッスンがありました。
可愛い妹のために骨髄を提供したお兄ちゃんのチェロも聴きました。
病院との交渉の結果、決まった日にちは25日。
この日は、幌延と稚内にお邪魔する約束がありました。
幌延と稚内の担当の方に事情を話すと、「是非!そちらに全力を尽くしてください!」と温かいお言葉をいただきました。
何年も前からお世話になっている、お洋服とカフェのお店「Lakura」の鳥居はゆきさんにピアノをお願いしました。
彼女は土田英順さんというチェリストと、震災後の被災各地をチャリティコンサートで周っていた方なのです。
「私でいいんですか?」
なんて言いながら、ボランティアであること、心でする仕事であって上手下手ではないことを伝えると、
「それは私かな~」
と。
当日まで会場に行けない僕に代わって現地を見てくれた鳥居さんから
「小児病棟にあるエレクトーンでは無理!」
と緊急連絡が来たのは23日。
今度は、札幌の音楽制作会社「セプト」の社長、國廣さんにお願いです。
「持ち込める88鍵の電子ピアノある!?」
口の悪さと裏腹に、いつも親切な國廣さん。
「ないよ。そんなもん。」
と言いながら、スタッフの佐々木さんのお嬢さん所有の楽器と共に佐々木さんを派遣してくれました。
昨年の旭川クリスタルホールでの公演後、朝まで僕に付き合ってくれた強面のおじさまです。
当日は佐々木さんに搬入から設営までおんぶにだっこ。
LINEのビデオ通話を使って、釧路に居る僕の可愛い依頼主に、演奏を実況中継してくれたのもこの佐々木さんです。
入院中のお子さんたちは、食い入るように見て聴いてくれました。
17歳の男の子が、「僕、将来の夢ができた!」と言ってくれたのが本当に嬉しかった。
まだ抗がん剤の影響が残る彼女のお友達の女の子は、一緒に写真を撮って喜んでくれました。
そして0歳児のお子様の多いこと!
子ども達だけではなく、ご家族の姿も多く、ご家族も仕事や家庭を投げ打って全力投球されていることがよく分かりました。
人生最高レベルで気持ちを込めた演奏の後でした。
ちづるちゃんと入院中のお友達がビデオ通話で会話しています。
「私、29日にそこに帰るからね~!」
と聞こえた時は、胸が締め付けられるとはこのことか、と思いました。
また辛い闘病生活が待っているのです。
終わってみて思ったことが二つ。
子どもたちが親元近くで治療できること、ご家族がそのサポートに専念できること、こういうことにこそ国民健康保険や税金を使ってほしい。
そして僕たち演奏家は、ただ面白おかしく演奏するだけではなく、本当に必要としてくれている人たちに音楽を届けるという大事な仕事があるということ。
そのために各地の文化事業費を使っていただきながら演奏してきたのだな、と。
これまで、「008の北海道ツアーいつまでも続けたいな~」くらいに思っていました。
今は「続けなければならない大事な事業なんだ!」と気が付きました。
毎年あの子たちに会えるように、これからも続けます。
各地の皆さま、応援よろしくお願い致します!
そしてちづるちゃん、勇気を出してくれて本当にありがとう。
また会いに行くので、治療頑張ってね!
ちづるちゃんからのお手紙。
「いつか阪田先生と一緒に弾けるようになりたいです。」
もちろん!待っているからね。
僕は還暦過ぎまで現役でいる覚悟を決めましたよ。
最後にもう一つ。
北海道でメンバーと苦楽を共にする間に得た、心でする仕事に即座に対応してくれる友人たちを心から誇りに思います。
おまけ:ちづるちゃんは、チェロを持って再入院することを特別に許してもらえたそうです!