
(まるで難民ですかという感じのラオス・カンボジア国境越え)
ビエンチャンからプノンペンへは結局陸路で行くことになった。昨夕のバンコク行きバスの悪夢を超えて、怪しいバスは進む。
バスは寝台バスで、狭いながらも寝られた。隣は中国青年、通路挟んで中国の女の子。大学生だという。英語と漢字で会話する。日本語を幾つも知っているのでどこで習ったのと聞くと、映画でとの答え。そうかあ、映画かあ。なかなか面白いやつらだ。名前を紙に書いて渡してあげる。あー、漢字がきれいですねと褒められた。そりゃ簡略漢字じゃないし、書き慣れた自分の名前だからそれなりなのだが、中国人から漢字を褒められるとは思ってもみなかった。聞けば字のキレイさは中国人には重要で親にいつも注意されると言う。日本と同じだね。
ビエンチャンから続く国道13号線をひたすら南下する。夜が明けてバスターミナルへ着いた。もちろんまだラオス国内。朝6時。GARMINを取り出して位置を確認する。パークセーだ。
どうやらここからはミニバスに乗り換えるようだ。バスが何台もやって来てチケットを確認してお客を乗せて行く。コトもあろうに、それらのミニバスも私を乗せずに行ってしまった。仕方なく旅行社オフィスへタクシーで行く。まったくもう。

このプノンペンへのバスチケットは昨夕の「Sout Chai」旅行社主催のなので、パークセーのSoutChaiオフィスへ向かう。そこで次へのバスチケットをもらう。
タイからラオスへの夜行バスで学んだのだが、国境を越えていくときは同じバスでは越えられないから、何度もバスを乗り換えていくことになる。その度にバスチケットはその場で渡して次のチケットをもらうので、大元のチケットは手元には無い。実に心細い状態で進んでいくのだ。チケットだってラオス語だし。
ミニバスはハイエーススーパーロングばかり。こんな具合に乗り合わせていく。

荒涼としたラオス南部をミニバス3台連ねて行く。

乾燥しきった風景が延々と続く。

ちゃんとカンボジアに向けて進んでいるかGARMINでチェック。これだけが心の綱だ。

GARMINが国境近くのデルタを示している。このあたりは4000島と呼ばれる観光地。あまりに辺境なので日本のガイド本では小さくしか乗っていないが、ビエンチャンの旅行社ではルアンパバーンに並ぶ扱いだった。タイのチェンマイでも街に広告が出ていた。この国ではかなりメジャーな観光地のようだ。乗り合わせた乗客の殆どはここで降りていく。
たしかに素晴らしい。川に小島が点在している。それらを巡り、川イルカを眺め、島に滞在する。そんな旅がここで出来るようだ。いいなあ。ここまで一緒だったスゥエーデン青年や中国人たちとはここでお別れだ。

* * * * *
次はラオスとカンボジアの国境越え。また違うミニバスに乗り換える。
すでにお昼。国境へのバスを待つ間にエージェントが入国手続きの準備をしてくれる。ここでパスポートを渡して、あとは彼に任せる。手数料は5万チャットで625円。ビザは日本で取得してきたのでそれ以上はかからないが、欧州からの女性人はここでビザ申請書類も作成していたから費用がかさんでいた。なんせカンボジアは賄賂の国と悪名高いから、事前に準備しておいて損は無い。

国境の街だから、ここからもバスであちこち行ける。ベトナムの各都市、カンボジアの各都市、タイの各都市。東南アジアはバスで縦横無尽に移動できる。鉄道はマレー鉄道以外は鉄道が信頼できないらしい。とにかくこれでプノンペンまで行ければ旅の経験値は相当上がるぞ。

よし、ラオス側の国境に着いた。ここでバスを降りて歩いてカンボジアに入る。

まずはゲートをくぐって・・・

脳天に突き刺さる直射日光のもとをトコトコ歩いていく。

もうひとつ、こんどはカンボジア側のゲートをくぐって無事カンボジアに入国。エージェントが入国手続きを終えてパスポートを返してくれた。

しかしバスが発車しない。どうやら故障しているみたい。バッテリーがイカれてるようだ。障害物競走は次のステージに進んだな。

どれどれと作業を覗く。バッテリーターミナルが固定できない。ターミナル周辺が痩せてケーブルが外れてしまうのだ。木ネジで無理やり止めようとしている。暫し待つしかないな。炎天下で暑い。

結局、国境到着から1時間ほど待ってバスは発車した、定員オーバーで。通路側はプラスチック風呂椅子で座らされた人たち。この人たちはこのあと延々と続く悪路をその椅子で過ごすことになる。

遠くにモウモウと上がる黒い煙が見える。火事かな、地雷除去かなと考えて、あー焼畑だなと気が付いた。
近付いてくるとやっぱりそう。

運転手の後ろの席をゲットするのは、知らない土地を旅するときの常套手段。絶対に後ろの方に居てはだめだ。何かあったときに情報を掴めないし、対処が遅れる。そうなれば致命的だ。

上の写真の通り、前の車が巻き上げる砂塵で視界が限られるところをバスはぶっ飛ばす。
道自体は片側1車線の国道なのだが、路肩は農作物を干したり崩れていたりして、実質的に狭い。そんなところでも容赦なく対向車はやってくる。

窓の外の風景はこんな感じ。高床式が標準。

トイレ休憩って何?って感じでガンガン進む。街を通っても素通り、素通り。いい加減どうにかならないのという頃にやっと停車。飯を食えということらしい。先客達が食べているものをみて、こりゃ食べられないなというクイモノだったので、選んだのはこれ。即席麺なら多分大丈夫。

道の向こうの1台のクルマ。荷物の積み方が凄まじい。まずはバイクを寝かしてロープで吊るして、その上に更に荷物を積んでいる。画面ではよく見えないがカゴの中に鶏がコケコッコー。

運転手はカンボジア歌謡のBGMをガンガンかけて突っ走る。この節回しが実に演歌そのものなのだ。アジアってこういうところでも繋がっているんだなあ。道路舗装が悪いからスピードが上がらない。そこを休憩無し作戦で走り続ける。女性陣が苦情を言ってやっとやっとバスが止まってトイレ休憩になる。それもトイレも何も無い道端で、ハイ用を足してきなという有様。トイレが極めて遠い自分の体質が有り難い。
* * * * *
もうすぐビエンチャンを発って24時間が過ぎようとしている。
GARMINで位置を逐一確認する。大きな橋で川を渡っていく。もうプノンペンの北側だ。
さて、このバスがどこに着けてくれるかだ。こんないい加減なバスだから。
思ったとおり、終着点は中心部じゃなかった。23時。店は閉まってる。辺りは暗い。ここはどこ。
今夜のゲストハウスは押さえてあるのだが、いま居る場所がどこか分からないと移動のしようが無い。当然のようにバイクタクシーが辺りを囲む。乗れ乗れだ。中心部にわざと着けないのはこういうことなのだな。
仕方なくひとりのドライバーと交渉する。バイクタクシーの相場は調査済み。夜は法外な値段を吹っかけるという。そのうえ夜の市街地はちょっとヤバイとガイド本にある。こりゃ楽しみだ。まずは宿の場所を見せる。おー、これは知ってると。ホントかいな。のらりくらりと先方の攻撃をかわしつつ値段交渉を進める。だいぶ下がった、よし行こう。
やっとプノンペンまで辿り着いたぜ。ふぅー。

5つ目の国にチェックイン@BE2
ビエンチャンからプノンペンへは結局陸路で行くことになった。昨夕のバンコク行きバスの悪夢を超えて、怪しいバスは進む。
バスは寝台バスで、狭いながらも寝られた。隣は中国青年、通路挟んで中国の女の子。大学生だという。英語と漢字で会話する。日本語を幾つも知っているのでどこで習ったのと聞くと、映画でとの答え。そうかあ、映画かあ。なかなか面白いやつらだ。名前を紙に書いて渡してあげる。あー、漢字がきれいですねと褒められた。そりゃ簡略漢字じゃないし、書き慣れた自分の名前だからそれなりなのだが、中国人から漢字を褒められるとは思ってもみなかった。聞けば字のキレイさは中国人には重要で親にいつも注意されると言う。日本と同じだね。
ビエンチャンから続く国道13号線をひたすら南下する。夜が明けてバスターミナルへ着いた。もちろんまだラオス国内。朝6時。GARMINを取り出して位置を確認する。パークセーだ。
どうやらここからはミニバスに乗り換えるようだ。バスが何台もやって来てチケットを確認してお客を乗せて行く。コトもあろうに、それらのミニバスも私を乗せずに行ってしまった。仕方なく旅行社オフィスへタクシーで行く。まったくもう。

このプノンペンへのバスチケットは昨夕の「Sout Chai」旅行社主催のなので、パークセーのSoutChaiオフィスへ向かう。そこで次へのバスチケットをもらう。
タイからラオスへの夜行バスで学んだのだが、国境を越えていくときは同じバスでは越えられないから、何度もバスを乗り換えていくことになる。その度にバスチケットはその場で渡して次のチケットをもらうので、大元のチケットは手元には無い。実に心細い状態で進んでいくのだ。チケットだってラオス語だし。
ミニバスはハイエーススーパーロングばかり。こんな具合に乗り合わせていく。

荒涼としたラオス南部をミニバス3台連ねて行く。

乾燥しきった風景が延々と続く。

ちゃんとカンボジアに向けて進んでいるかGARMINでチェック。これだけが心の綱だ。

GARMINが国境近くのデルタを示している。このあたりは4000島と呼ばれる観光地。あまりに辺境なので日本のガイド本では小さくしか乗っていないが、ビエンチャンの旅行社ではルアンパバーンに並ぶ扱いだった。タイのチェンマイでも街に広告が出ていた。この国ではかなりメジャーな観光地のようだ。乗り合わせた乗客の殆どはここで降りていく。
たしかに素晴らしい。川に小島が点在している。それらを巡り、川イルカを眺め、島に滞在する。そんな旅がここで出来るようだ。いいなあ。ここまで一緒だったスゥエーデン青年や中国人たちとはここでお別れだ。

* * * * *
次はラオスとカンボジアの国境越え。また違うミニバスに乗り換える。
すでにお昼。国境へのバスを待つ間にエージェントが入国手続きの準備をしてくれる。ここでパスポートを渡して、あとは彼に任せる。手数料は5万チャットで625円。ビザは日本で取得してきたのでそれ以上はかからないが、欧州からの女性人はここでビザ申請書類も作成していたから費用がかさんでいた。なんせカンボジアは賄賂の国と悪名高いから、事前に準備しておいて損は無い。

国境の街だから、ここからもバスであちこち行ける。ベトナムの各都市、カンボジアの各都市、タイの各都市。東南アジアはバスで縦横無尽に移動できる。鉄道はマレー鉄道以外は鉄道が信頼できないらしい。とにかくこれでプノンペンまで行ければ旅の経験値は相当上がるぞ。

よし、ラオス側の国境に着いた。ここでバスを降りて歩いてカンボジアに入る。

まずはゲートをくぐって・・・

脳天に突き刺さる直射日光のもとをトコトコ歩いていく。

もうひとつ、こんどはカンボジア側のゲートをくぐって無事カンボジアに入国。エージェントが入国手続きを終えてパスポートを返してくれた。

しかしバスが発車しない。どうやら故障しているみたい。バッテリーがイカれてるようだ。障害物競走は次のステージに進んだな。

どれどれと作業を覗く。バッテリーターミナルが固定できない。ターミナル周辺が痩せてケーブルが外れてしまうのだ。木ネジで無理やり止めようとしている。暫し待つしかないな。炎天下で暑い。

結局、国境到着から1時間ほど待ってバスは発車した、定員オーバーで。通路側はプラスチック風呂椅子で座らされた人たち。この人たちはこのあと延々と続く悪路をその椅子で過ごすことになる。

遠くにモウモウと上がる黒い煙が見える。火事かな、地雷除去かなと考えて、あー焼畑だなと気が付いた。
近付いてくるとやっぱりそう。

運転手の後ろの席をゲットするのは、知らない土地を旅するときの常套手段。絶対に後ろの方に居てはだめだ。何かあったときに情報を掴めないし、対処が遅れる。そうなれば致命的だ。

上の写真の通り、前の車が巻き上げる砂塵で視界が限られるところをバスはぶっ飛ばす。
道自体は片側1車線の国道なのだが、路肩は農作物を干したり崩れていたりして、実質的に狭い。そんなところでも容赦なく対向車はやってくる。

窓の外の風景はこんな感じ。高床式が標準。

トイレ休憩って何?って感じでガンガン進む。街を通っても素通り、素通り。いい加減どうにかならないのという頃にやっと停車。飯を食えということらしい。先客達が食べているものをみて、こりゃ食べられないなというクイモノだったので、選んだのはこれ。即席麺なら多分大丈夫。

道の向こうの1台のクルマ。荷物の積み方が凄まじい。まずはバイクを寝かしてロープで吊るして、その上に更に荷物を積んでいる。画面ではよく見えないがカゴの中に鶏がコケコッコー。

運転手はカンボジア歌謡のBGMをガンガンかけて突っ走る。この節回しが実に演歌そのものなのだ。アジアってこういうところでも繋がっているんだなあ。道路舗装が悪いからスピードが上がらない。そこを休憩無し作戦で走り続ける。女性陣が苦情を言ってやっとやっとバスが止まってトイレ休憩になる。それもトイレも何も無い道端で、ハイ用を足してきなという有様。トイレが極めて遠い自分の体質が有り難い。
* * * * *
もうすぐビエンチャンを発って24時間が過ぎようとしている。
GARMINで位置を逐一確認する。大きな橋で川を渡っていく。もうプノンペンの北側だ。
さて、このバスがどこに着けてくれるかだ。こんないい加減なバスだから。
思ったとおり、終着点は中心部じゃなかった。23時。店は閉まってる。辺りは暗い。ここはどこ。
今夜のゲストハウスは押さえてあるのだが、いま居る場所がどこか分からないと移動のしようが無い。当然のようにバイクタクシーが辺りを囲む。乗れ乗れだ。中心部にわざと着けないのはこういうことなのだな。
仕方なくひとりのドライバーと交渉する。バイクタクシーの相場は調査済み。夜は法外な値段を吹っかけるという。そのうえ夜の市街地はちょっとヤバイとガイド本にある。こりゃ楽しみだ。まずは宿の場所を見せる。おー、これは知ってると。ホントかいな。のらりくらりと先方の攻撃をかわしつつ値段交渉を進める。だいぶ下がった、よし行こう。
やっとプノンペンまで辿り着いたぜ。ふぅー。

5つ目の国にチェックイン@BE2
自転車で世界一周しているものです。
カンボジアからラオス国境の情報を探していて、辿り着きました。バスの情報はいっぱいあるんですが、地図とルートを記載されている情報はあまりなく、ここの道路は通れるのかな?と思っていました。
最後の地図、本当に役立ちました。
ありがとうございます!