おばば院生,その後

主婦から40代で大学院入学・博士取得。非常勤日本語教師を掛け持ちしてきた凡人母院生。縁あって大学の先生に。

えいごでプレゼンテーション

2006-10-26 23:26:00 | Weblog
私は英語が苦手だ。
絶対、語学の才能がないんだと思う。
ずいぶん長い間、つまり、ざっと四半世紀以上、「今年こそ英語が出来るようになる」っていうのを年頭の目標にあげて、でもって毎年挫折したきたが、去年あたりから「用が足せればよい」に目標を下げた。
だから、最近は、通じなくてもぜんぜん気にならない。いいもん。別に。

だけど、さすがにここまで出来ないと、ちょっと情けなくはある。

Mr.Fordyceの今日の授業は、各自が選んだライティングのテキストの分析を5分間でミニ・プレゼンテーションする、というものだった。
3年前、初めて英語でのプレゼンテーション、ってのを課せられたときは、準備にどれだけかかったことか。で、どれだけ落ち込んだことか。
でも今回はなんといっても「ミニ」だから、2時間でレジュメを仕上げ、「おっと、それなりに成長か?」と思ったんだが、プレゼンテーションではまたまたわけわからん発話をしてしまった・・・。

ま、だいたい、日本語でも私プレゼンへただし。

いいんだよ。どうせ英語もうあきらめたし。


でも、

「日本のがっこのドクターって、なんってレベル低いんだ」

って、きっと思われてるよ。


ごめんなさい。他のドクターのみなさん。

ああ、でもね。日本語だったら、もちっと賢いこと言えるんだよぉ~~~~!

っと、私は ミスター・フォーダイスに申し上げたい。

そんなあきらめきった顔で見るなあ~~~~!
おらおら、そこのバリスくんも、私と話すときに日本語に切り替えるな~~~~!!

そりゃもともと思考能力低いけどもさ、英語になると明らかに著しく思考能力が落ちるのだ。

でも、思考能力落ちるのを幸いに、ばかできるので結構好き。気楽で。

久しぶりに登校

2006-10-20 11:57:42 | Weblog
勝手に人より2週間遅れて、昨日後期初登校。

ああ、なんと浮世離れしたこの世界。

ええなー。ええなー。

昼下がり、Mr.Fordyce がいつもの憂いの英語でしゃべってる。
聞き入る学生はインターナショナル。
ライティング指導・スキャッホールディングのあり方、controlled practiceの是非やいかに・・・

よいなー。よいなー。

日本語教育の廊下は相変わらず薄暗く、掲示板には張り紙がひらひら。

それすら、よいなー。

別世界。
出来ればそのまま逃避して、お泊りしたかった



日本語学校

2006-10-18 22:45:06 | Weblog
先週から日本語学校での仕事が始まりました。以前、専門学校の留学生の日本語を担当したことはあったけども、本物の(?)日本語学校は初めて。授業そのものはさておき、学校の人たちがなかなかに面白い。その人たちの日本語教育観の強烈さも。
院に来ている教師の人たちは、自分の日本語教育に何らかの疑問や問題を抱いて、勉強や研究の必要を感じて来ているのだと思う。一方、そういう疑問や問題を持つことなく、がんがん日本語教育進めているのが日本語学校なのかも。研究と実践の乖離とか言われているけども、日本語学校の先生方の話からは、院で聞かされたり、読んだりしていることなんて、「あ、そ。」の世界のようだ。

もちろん、すべての日本語学校がそうだと言うのじゃないんだろうけども。


そんな中で、「ほーほー」とひそかに客観的に眺めている私は、いったい何者

ジョシュアがいない・・・

2006-10-13 12:30:39 | Weblog
10日間のホームステイが終わり、ジョシュアが今朝早く国へ帰ってしまいました。

で、

ジョシュがいないジョシュがいないジョシュがいない…


はい。さびしいのでした。

結局最後のほうは、止まらないくらいのおしゃべりさんでした。
しみじみ、いま、

I miss you.

のmissの意味がわかるのでした。

やはり、言葉の真の意味は、経験を通して会得されるのだ。

とかなんとか。

日本のサブカルチャー

2006-10-12 11:55:34 | Weblog
オーストラリアの中学校で日本語を学ぶジョシュアくんに、日本語学習を始めた動機を聞いてみました。

案の定、

日本のゲームとアニメのセリフが知りたかったから。

さて、日本語教師の皆さん(誰に向かってしゃべってるんだ、私は…)。ここで、海外で見られているアニメと言えば、おそらく「ドラえもん」「しんちゃん」「ちびまる子」と思われたかもしれませんが、彼はこれらは知りませんでした。彼の場合のきっかけアニメは、オーストラリアで放映していた「カード・キャプチャー さくら」だったそうです。それから、ドラゴンボール、ポケモン、鋼の錬金術師…。ゲームはファイナル・ファンタジー、ポケモンダイアモンド、なんとかかんとか、なんとかかんとか…。私は知らん。息子たちは知っている。勝手にお話ください、状態でした。ただ、これで息子同士の交流ができて万歳かと言えば、さらにその中での趣味がいろいろあるらしく、はじめは仲良くパソコンでyou tubeを見ていた息子その1とジョシュアが次第にちょっと微妙な関係に…。趣味が同じなのも考えものです。ジョシュアははじめはいい子に息子その1が見せてくれるアニメを「面白い」と言ってみていましたが、昨日あたりには「ほんとは、僕はああいうアニメは嫌い。ブラックジョークアニメやホラーアニメ(息子その1の趣味)が好きな奴の気が知れない(アニメはファンタジーでなければならないそうな…)」と息子その1にはわからぬ英語で申しておりました…。おいおい…。

それにしても、日本のサブカルチャーのこのパワー。
ちなみに、彼がはじめて自分から息子たちに話しかけた(と言うか、yahoo翻訳に入力して手招きして日本語部分を示すのだが…)言葉は、

Do you know final fantasy?

でした…。

(余談ですが、yahoo翻訳はこれを「あなたは最終的な想像的物語を知っていますか」と訳していました。やはり、ゲームの知識がないとわけわかりませんわな。いえ、でも、yahoo翻訳さんにはお世話になりました…。)

ジョシュアくん

2006-10-10 14:53:48 | Weblog
ジョシュアくんがうちに来て1週間がたちました。
最初は表情も言葉もなかったジョシュアくん。昨晩は夜の12時過ぎて「明日学校だから寝ようね」と私がいうまで、キャッキャ笑いながら私とホストスチューデントの息子その2を相手にしゃべりまくってました。こうして表情が加わってみると、それはそれはお人形さんのようにかわいいお顔じゃありませんか。人間の顔は、素材そのものより、やはり心の状態とか、そういうものが大きく作用するんだなあーと思いました。

そのように現在ハイ状態の彼は、今日は息子その2とそのお友達に付き添われて日本の中学校に初登校しています。
なにせ、外国の方を間近に見ることすらほとんどないこの地域。パンダ状態になっていることでしょう。

かわいそうに・・・。

また暗くなってなきゃよいがの。

年頃の息子と娘、合わせて4人の母となり、なかなかにつらい。

ジョシュアくん、来る。

2006-10-05 09:12:44 | Weblog
ついにジョシュアくんがはるばるやってきました。

でかい。
とにかくでかい。
で、とにかくおとなしい。(もちろん誰も英語が通じないこともあるが・・・。)
わずかに目を輝かせたのが、本屋、自分の書いているファンタジー小説、トーストのスヌーピー(うちのトースターは焼くとスヌーピーの焼きあとがつく)。

娘、曰く:「お兄ちゃん(息子その1)のオーストラリア版」…つまり、おたく…。

まあよい。がんばろうね。おたがい

このホームステイ・プログラムは、姉妹都市の中学生交流の一環で、あちらの校内の日本語スピーチ・コンテストの優秀者4名が無料で招待される、というものです。スピーチコンテストって言ったって、日本語を外国語で選択している生徒って少ないだろうに、しかも日本の中2の英語レベルの日本語でできるスピーチってしれてるだろうに、その賞品が海外旅行って、すごいよな~。うちの市、太っ腹!

さて、掃除も完璧に終わり、ジョシュアくんのために早々と学校も休みを取った私は、思いがけず、ひま。彼は日中はスケジュールびっちりで夕方迎えに行けばいいし・・・。

さぞ勉強がはかどるにちがいない・・・。
そろそろ少しは論文書かないとまずいんでないかい。

久しぶりの授業と構成主義

2006-10-03 17:38:27 | Weblog
長い夏休みが終わり、今日、今期初めての授業をしました。今回の学習者メンバーは5人とも、私は初対面です。思い出しても恥ずかしいような授業をしてきました。でもさ、朝行ってみるまでどこまで進んだかも教えてもらえないって、それはつらいよ~。そのさらに前の授業の担当の方から聞いていたのとおおはずれの進度で、結局メンバーのレベル探しみたいな授業になってしまった…。彼らにとっては担当の3人の先生それぞれから昨日・今日と連続この手のレベル探り授業を受けたわけで、いい迷惑だよな~。

さて、今日のつたない授業で、彼らは日本語の何を学んだんでしょう。

教授学における構成主義の共通したテーゼが三つあります。
1.客体としての知識は存在しない。(というか人間には知ることができない)
2.学習者は能動的構成主体である。
3.個々の学習者の構成するものは個々で異なる。

1については、これは特に「ことば」の場合、「ことばの意味」っていうものは辞書に載ってるようなのがどこかに歴然と・完璧で普遍的な姿で存在しているのではなく、状況的に会得される種類のものだ、という考えにつながります(状況認知)。だから実際の使用の中で言語と出会うことが大切になり、ここに言語使用の場としての教室の意義があると私は思っている。
2はもしかしたら中間言語理論とつながるかもしれませんが、3の意味が含意されていることから、習得順序仮説とは合わないでしょうか。どうでしょうか。それより2で重視されているのは、認知構成主体としての学習者の「能動性」です。どんなに他人に新しいことを口で説明されても学習は起こりにくくて、人間は自分が観察した物事を自分で解釈して理解を構成していくわけです。そしてもと持っていた理解・解釈を「再構成」するか「豊富化」することが学習と捉えられます。例えば、小さい子どもは地球は平らだと思っている。これは「人間は立ってる」という観察とも辻褄が合う。で、学校で地球は球体であることを習うんだけど、ちゃんと辻褄の合っている「地球平ら説」を、どう見ても観察とは合わない「地球球体説」に構成しなおすのはなかなか難しい。本人が自分で頭働かせて構成しなおさないといけない。教師がどうこう言うだけではだめで、結局は子ども自身にいろいろ観察させてみて、前の自分の理論では辻褄が合わなくなる現象を観察し、その理論を再構成させていかなくては、新しい理論は受け入れられない。この例では再構成された「地球球体論」は同じもののように思われるけど、実際にはそれぞれが「構成」したものが、皆、同一のものであるかどうかはわからない…。「中間言語」なんてのもこれに属した個人様々な体系化の仕方してる可能性大。

…てなわけで、分けわかんなくなってきた。ようするに、今日の私の授業が学習者様の日本語学習にどう役立つのかは学習者のみぞ知る、というわけで………なんて、そんな投げやりでどうするのだ。それでも教師は何とか学習者に役の立つ内容を役に立つ方法で提供しようとつとめなければならない。がんばろう。

◆ちなみに、参考文献(というか読み物)

今井むつみ・野島久雄(2003)『人が学ぶということー認知学習論からの視点ー』