西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

中年派遣員奮闘記(その21)

2016-01-11 | 奮闘記

NO.21[POとサピナ村]

首都ワガドゥグから南に約140キロメートルの所にPOという町があります。POはナオリ州の州都で人口は約7.000人でグリシー族が多く住んでおり、この部族は国境を挟んでガーナにも住民は多くKASSENAという言語を使っています。

気候はワガドゥグとは違い降水量も比較的多く綿花並びに野菜やイネの栽培が盛んでガーナの国境までは約20キロメートルでガーナから働きに来ている人や品物も入っていて、たとえばガソリンはブルキナでは1リットル550Fですがポでは500Fで、ヤム芋や木材、清涼飲料水などのほか生活用品なども売られていて他の街とは少し違う町の雰囲気があります。

またPO近郊は観光地も多く、近くのチェベレと言う、東に20㌔ほどの所にある町にはグリシー族の代表的な建築様式の家があり、すべて泥で作ったブロックを積み上げて建てられたもので柔らかな曲線とグリシー特有の装飾模様はとても美しい物で、この模様は女性が描くのが習慣だそうです。

POから西に10キロ程行くとチャカネという村があり、此処にはガーナから最初に移り住んだグリシー族の酋長の家があり、家はもう大分朽ち果てていて訪れる人はあまり居らず、家の大きさや物置に残された古い装飾品などを見ると当時の隆盛が想像されます。

そこから20キロほど南に行くとナジンガ自然公園に至り、此処には象を始めマントヒヒやガゼルその他多くの動物が保護されていてブルキナを訪れた人やガーナからも観光客が訪れますが、3月からは狩猟が解禁になるので多くの外国のハンター達が訪れ腕を競います。

サピナ村はポから西に7キロ程行った所、地形的には周りを丘で囲まれた盆地のような所で、住民は1.000人程で電気はなく学校や診療所も近くにはありません、村ではミレットや米の栽培が行われています。

私とこの地の始めの拘わりですが、POは友達のラミンの生まれ故郷で、予てより一度行ってみないかと誘いを受けていたこともあり、ある日、日帰り旅行気分で行くことにしました。朝7時のワガドゥグ発のバスで駅には沢山の荷物を持った人達が大勢いて、バイクや家具などをバスの屋根に積んだ大型のバスがあります。

まずはチケットを買いに販売所に行き名前を告げますが、忙しいためか無愛想なプロレスラー曙似の中年婦人が居て「チケット2枚下さい。」というと「何処まで?」私もムッとして「PO!」と言うと「名前は?」「イイダ!」「エ!何?IDA?」「IIDA!」中年婦人が少しニヤケ顔で「この名前はブルキナファソでは女の名前だ。」と言うので私は余計腹が立って「日本では家族の名前だ。」と説明をしながら10.000Fを渡すとまた婦人は険しい顔になって「何で1.500F(現在は2.000F)なのに10.000F渡すの?お釣りが無い!」と言いますのでしかたがないので、しばらく待ってからお釣りを受け取ることにしました。

日本なら自動販売機があり、このような無駄な労力は要らないのにと思いながら待っていますと、バスの発射時刻になりバスの入り口で係りの人が乗客の名前を読み上げています。急いでお釣りを受け取りバスの乗車口に行くと、沢山の人が集まっていて名前が良く聞き取れません。そのうちに「イダ!。イダ!」と何回も読んでいるのでチケットを差し出すと係員も「IDAは女の名前だ」というので大きな声で「I I D A 、イーダだ!」と教えていますと、周りの人達が中国人か等と聞きますので「私はジャポネだ!」バスの乗るのに汗だくになり、こんなに苦労をしたのは生まれて初めてです。

漸くバスが走り出しやれやれと思いきや、後ろの10代の若者達4~5人が故郷に帰るので嬉しいのかバカンスで旅行に行くのかは解りませんが、歌を歌ったり大きな声で笑ったりはしゃいでいます。私は先ほどの心の疲れを癒そうと、少し寝たいと思っていましたが後ろが煩くて寝ることも出来ません。暫くすると横に座っていた人も私と同じ心境だったらしく、大きな声で「静かにしろ!」と怒鳴っています。一時は沈黙をするのですが30分もすると又はしゃぎ出します。そういえば私も10代の頃、友達と一緒に旅行をした時は周りのことなど考えずにいたことを思い出し、私もやっぱり中年だな、と考えながら暑さと若者達の騒音の中に身を委ねる事にしました。

ワガドゥグを出て2時間半、バスはPOに到着しました。まずPOで目に付くのは軍服を着た人が多いことです。POはガーナとの国境が近いので大きな軍の基地が2つあり、以前はコンパオレ大統領もこの基地に長年居た事もあるそうで、今もその住宅がきれいに保存されています。

バスを降りるとラミンから何人かの人を紹介されました。ラミンの兄のババ、サピナのアリラ、ウェニュャ、Me.エリザベットです。彼らはBIEN VENUE M.IIDAと笑顔で親切に迎えてくれ取敢えず近くのレストランに行き話をすることになりました。ババはラミンの兄と言うことで顔も良く似ていて家具を作る商売をしており、アリラはサピナで農業を営んでいて一見強面でギャング映画にでも出てきそうな顔立ちで、ウェニュャもサピナで農業をしておりいつもニコニコ顔でアリラとは対照的です。いろいろと話をしていくうちに彼らは村に案内をしてくれると言うことになりました。

バイクをチャーターして行くという事で待っている間に食事をすることになり、ラミンが此処で美味いのがGHANAトーだと言うことでPO名物を戴くことにしました。作る所を見ようと思い店の前に行くと臼のような物と杵のような丸太があり、茹でたヤム芋を臼に入れ餅搗きと同じようなやり方で搗き込んで行きます。

これは通称フトゥと言いますが、搗く人と捏ねる人と一体になり10分くらい搗いていると程よい粘りが出てきて、それを10センチくらいの玉にして深皿に載せソースをかけて出来上がりです。ソースはトマトソースに鶏かムトンの肉を一緒に煮込んだものできっと何か調味料があるのでしょうか。このソースがさっぱりとしているにもかかわらず酷があり説妙な味付けで、それとモチモチとしたフトゥがとても相性が良くいつの間にか胃の中に滑り込んで行ってしまいます。

二杯御代わりをしてお腹が膨れた頃バイクが到着し、いよいよサピナへ出発です。


次回をお楽しみに・・・・



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