西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

中年派遣員奮闘記(終わりに)

2016-01-13 | 奮闘記

「中年派遣員奮闘記」終わりに

「三年間のブルキナファソの生活を振り返って」

2003年7月18日、初めてブルキナファソの地を踏んで依頼、時間の経つのは早いもので3年間に渡る現地派遣員生活も終了しようとしております。

3年前は言葉も解らず、周りには日本人もいなく、まして何の知識もない私はこれから駐在員としてどの様にしたら良いか途方にくれましたが団体本部の方々の適切なサポートにより何とかやり遂げることが出来ました。

リサイクル物資補助事業に始まり、ネリカ米栽培事業、診療所建設事業、感染症撲滅給水事業などのプロジェクトや2つのテレビ局のブルキナファソ取材のコーディネート、インターンシップの方々のお手伝いなど、いろいろと良い経験になりましたが今思うとただ夢中で一心不乱に動き回っていたように思いますと同時に今までかつてないエネルギッシュな自分を発見することが出来、また私生活では当初フランス語で挨拶も出来ずジェスチャーで意思の伝達をしていたのが最近やっと3歳児くらいの言葉が話せるようになりブルキナファソの友達も沢山でき、近所でも外国人扱いをされていたのが今では頑固な日本人おじさんとして仲間入りを認めてくれたようで、人間は時間をかければ何とか適応できるものだと自分ながらに驚いています。

そしてブルキナファソの素顔に触れれば触れるほど日本と違って良きにつけ悪きにつけ、いろいろな意味での人間味を感じます。それはどういうことかといえば日本のように発展していても人いじめや人を恨み、世を果敢無んで自殺をする人が大勢いるし、絶えず他との比較をしながら上を見、下を見、自分の位置づけを意識しながら生活し、物があり仕事も選ばなければ何とか生活をしていけるのとは違い、金や物がない仕事がない中でブルキナファソの人々はそれぞれに生きていくための知恵を凝らしているのです。

この国の多くの人々の意識は一言でいえば良い意味での個人主義、人は人、私は私という風に余り他人を意識しないのか、する余裕がないのか、でも決して無関心ということではなく弱者に対してはとても思いやりがあり決して自分を卑下するわけでもなく世間を気にするわけでも無く黙々と日々を暮らし貧困の中にもとても陽気です。

私はブルキナファソの人々から今の日本にはもう無くなっているかも知れない心の豊かさとバイタリティーを感じました。

 今私がブルキナファソの状況でとても心配していることがあります。それはお父さんやお母さんがエイズで亡くなった子供、いわゆるエイズ孤児といわれる子供たちが27万人もいるということです。

国連などの2002年の調査によれば、親をエイズで失った15歳未満の孤児は世界で1344万人、そのうち80%以上がアフリカだといいます。1990年には100万人だから、10倍以上に増えたことになります。2010年には2000万人を超え、子ども全体の6%にのぼるだろうと予測されています。

エイズとエイズ孤児が激増する背景には、セーフ・セックスに対する意識の低さや貧困など、さまざまな原因がありますが、エイズ治療薬が値段は下がったとはいえ、1日ドル以下の生活をしているブルキナファソでは依然として高価なことも大きな原因のひとつです。エイズ孤児や貧困孤児はセックス・ワーカーや少年兵士、子ども奴隷を生み出す温床でもあり、一刻も早い解決が望まれていますが、前途は暗中模索の状態であるといわれています。

日本の昔の言葉に「親は無くとも子は育つ」と言いますが、せめて病気の治療や最低の教育だけは受けさせてあげたいと思うのは私も人の親としての人情なのでしょうか。

先進国から見ると世界はインターネットを始めIT産業の発展によりグローバリゼーションの推進がさけばれていますが、日本などでもよくいますが携帯電話やパソコンに1日中かじりついて情報や知識だけは豊富でなんとなく得意になっている人や仕事ならまだしも、まるで麻薬中毒のようにそれがないとパニックに陥ってしまう依存症人も多く存在しています。

私はそれらを否定するつもりはありませんし、とても便利な物と思っていますがそれに没頭しすぎて自分の本質、目的を発見できず見失ってしまうことが多々ありますがとても心配なことです。あくまでも使う人間が主体でありその人間の本質が高ければ高いほどすばらしい道具として真価を発揮できるものだと思います。

また、その一方ではそのようなことは全く無関係で、まだ先進国の動きに対応できない国も沢山あり、その国の中にも家が無く貧困で苦しむ人がいて貧困で苦しむ人の中にもさらに不幸な人がいることも事実です。私はその一番の底辺の人たちに目を向け、手を差し伸べてあげることが人として生まれてきたことの証のように思えてなりません。

これまで先進国と呼ばれている国々は途上国に対し援助と称していろいろなものを作り、また供与してきました。と同時に彼らの工夫する能力や協調して何かを創り上げることも奪ってきたように思います。彼らはそのような努力よりも、寧ろどうやって手に入れるかに努力しているような気がします。

また、今の国際ボランティアはわざと複雑にしてしまっているように思えます。困っている人を助けるという行為に何の能書きが必要なのでしょう。俄学者の意味のない廻りくどい能書きよりも、これからは事実やデータに基づいた的確なボランティアを本物の専門家の人たちは研究し、一般の人々がもっと簡単に理解が出来、気軽に参加できるように創意工夫をしなければ限られた人だけの理想論と自己満足の場になってしまうでしょう。

 私は50歳を過ぎてこれを良い経験として今後の人生に活かしたいなどというつもりはありませんが中年派遣員奮闘記を読まれた中年と呼ばれる方々に少しでも励みになればどんなに嬉しいことか、また青年の方々には多くの良い経験を積み今後の人生に生かしていただきたいという願望を込めて中年派遣奮闘記を終了させていただきます。

 



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