今日12月24日と言えば自然に発想できるのはクリスマスでしょうな。
今日は何だと聞かれ自分の誕生日を省いて殆どの人はクリスマスと言うでしょうな。
ここブルキナファソでも例外ではありませんよ。
ここではノエルと言いまして25日が降誕祭、つまりキリスト様がお生まれになった日とか、ブルキナファソには沢山の人がカトリックを信仰していまして、各地区には大小の教会があり、毎週日曜日には家族でミサに出かけます。1年のうちで最も大きいお祭りがノエルで24日の夜は沢山の人たちがその年としのキリストの絵柄が入った布地で服をあつらえ着飾って教会に集まりノエルのミサを行います。初めは牧師さんの厳かなるお話に始まり、カトリックの儀式が執り行われ、人々もだんだんと高揚していき、牧師さんが「さあ皆さん、ともに祝福しましょう」と同時に聖歌隊が歌い始めます。ブルキナファソ聖歌はとてもリズミカルでダイナミック、気がつくと親爺もリズムに合わせてひとりでに体が動いておりまする。そうして人々は夜の更けるのも忘れクリスマスを祝うのであります。
親爺は元来、これと言った宗教はございませんで、昔から困ったときだけ「神様、仏様、キリスト様」と祈りますが、これはあまりにも虫が良すぎて返って天上の方々に嫌われてご利益やご加護が薄れてしまうどころか天罰が下るのではないかと不安もあります、が、しかし天上の皆様は人を救うために在らされているのですから皆様はその様な族(やから)が一人や二人いたって「仕方のない奴よのぅ~」と大目に見る懐の深さをお持ちではないかとも思うのであります。これは親爺の都合の良い解釈なのかもしれませんけれど、せめてどなた様か夢に現れるか何か親爺にも解かるようなサインをお示しになるとか、ご教示いただければ何処までもそのお方についてまいりまする~、と思うのですが、既に今まで天上の方々は、ご教示を示されているのに鈍感な凡夫の親爺は夜な夜なのアルコールで神経が麻痺し気づかないのか、それともまだ人生の修行が足りないのかもな。
きっとその前に、まず汝の~その軽い性格を改めよ~、と言われるのが落ちかな。
今日は何だと聞かれ自分の誕生日を省いて殆どの人はクリスマスと言うでしょうな。
ここブルキナファソでも例外ではありませんよ。
ここではノエルと言いまして25日が降誕祭、つまりキリスト様がお生まれになった日とか、ブルキナファソには沢山の人がカトリックを信仰していまして、各地区には大小の教会があり、毎週日曜日には家族でミサに出かけます。1年のうちで最も大きいお祭りがノエルで24日の夜は沢山の人たちがその年としのキリストの絵柄が入った布地で服をあつらえ着飾って教会に集まりノエルのミサを行います。初めは牧師さんの厳かなるお話に始まり、カトリックの儀式が執り行われ、人々もだんだんと高揚していき、牧師さんが「さあ皆さん、ともに祝福しましょう」と同時に聖歌隊が歌い始めます。ブルキナファソ聖歌はとてもリズミカルでダイナミック、気がつくと親爺もリズムに合わせてひとりでに体が動いておりまする。そうして人々は夜の更けるのも忘れクリスマスを祝うのであります。
親爺は元来、これと言った宗教はございませんで、昔から困ったときだけ「神様、仏様、キリスト様」と祈りますが、これはあまりにも虫が良すぎて返って天上の方々に嫌われてご利益やご加護が薄れてしまうどころか天罰が下るのではないかと不安もあります、が、しかし天上の皆様は人を救うために在らされているのですから皆様はその様な族(やから)が一人や二人いたって「仕方のない奴よのぅ~」と大目に見る懐の深さをお持ちではないかとも思うのであります。これは親爺の都合の良い解釈なのかもしれませんけれど、せめてどなた様か夢に現れるか何か親爺にも解かるようなサインをお示しになるとか、ご教示いただければ何処までもそのお方についてまいりまする~、と思うのですが、既に今まで天上の方々は、ご教示を示されているのに鈍感な凡夫の親爺は夜な夜なのアルコールで神経が麻痺し気づかないのか、それともまだ人生の修行が足りないのかもな。
きっとその前に、まず汝の~その軽い性格を改めよ~、と言われるのが落ちかな。