永久保存版!日記!

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たいして青くない春

2023-03-11 18:00:23 | 日記

まとめ

・男子高校生諸君、髪は美容院で切ろう!

・陰キャならギターをやれ!

・高校という時間を大切にしてください。

・とりあえず1㎜でも脈があれば自分勝手に告白する事をおすすめします。

 

花粉の影響かわからないが、深呼吸すると胸がこむら返りを興したように痛くなった。これが3日も続くものだから、そろそろ病院へ行こうと思った。しかし内科か、呼吸器科か、その他の診療科なのか全くわからなかったので、スマホで「胸 痛い 深呼吸」で検索すると、いくつかの質問に答えれば自動的に病名やそれに対応する診療科を教えてくれるサイトがあった。

 

まず最初に年齢を設定するのだが、私は無意識に18歳を選択していた。別に18歳の頃が人生で一番楽しかったわけでもない。しかし時々、高校時代のことを思い出しては、”ああしていればよかった”、”一歩踏み出してもっといろいろな人と会話をするべきだった”などといった後悔が浮かぶ。やり直したい選択は多くあれど、些細な選択ミスというのは高校時代に多かった。好きな人に卒業式で告白するしないだの、ギターを学校に持って行ってイキってみたり、文化祭ライブというのをやるやらないだったり。年齢を聞かれた時に18歳を選択してしまったのは、そんな記憶があるからかもしれない。

 


小学校中学校と、ほぼ同じ生徒がエスカレーター式に進学したので、高校に入ってまず最初の悩みは、クラスに知っている人がいない状況だった。出席番号が連続のI君とは3年間同じクラスだったが、お互い腹を割って話せたのは2年の途中からだった。I君は弓道部に入ると言っていたので体験入部に誘われたが、高校では運動部には絶対に入らないと決めていたので、断ってしまった。それが2年になるまでうまく話せなかったきっかけかもしれない。我々の代から始まった共通テストは彼と一緒に受験した。彼は推薦で学校が決まっており、共通テストは記念受験と言っていた。私は同行者の気分で自分の気分まで決まってしまうので、共通テストに向かうとき彼の気楽さに救われた。私は共通テストで大学が決まるというレベルだったので、非常に感謝している。

高校1年の記憶はほとんどない。正直かなりきつかった。


高校2年は中学時代の知り合いが何人かいたり、会話したことのある、友人の友人がそれなりにいたのでだいぶ楽だった。当時、物理基礎を履修するか、工芸の授業を選択する事となった。私は文系に行くと決めていたので工芸にしたが、それが大きな間違いだった。工芸の授業は私の嫌いなサッカー部の腰巾着とノリの寒いテニス部がおり、死ぬほどきつかった。物理基礎から帰ってくる友人を毎回羨んだ。

 

高校2年の5月頃ギターを始めた。きっかけは当時クラスの一部で流行っていた音ゲー”バンドリ”のギターにあこがれた事と、ギターが弾けたらモテるんじゃないかという不純極まりない理由であった。バンドリの作中に出てくるギターは50万円という高価格だったので、デザインが似ていて信頼できそうなヤマハのパシフィカというエレキギターを購入した。思えば高校時代の数少ない良い選択だったと思う。その年の年末ごろ、同じクラスで吹奏楽部に入っているK君から”卒業生に贈る曲のベースをやってほしい”と言われた。ベースに興味はあったが未経験だったので、初めは断っていたが、粘りに粘られたので参加する事となった。緊張したが悪い気分ではなかった。部活でベースを貸してもらい、家で期末テストの勉強と並行して練習し、本番を迎えた。案の定途中で楽譜を忘れた。そこからはエアベースで乗り切った。クラスに戻ると拍手喝采、なんてことはなかった。ごく一部の人間にしか言ってないとはいえ、「気づかなかった」「聞いてなかった」という意見を聞いた。私に気づかないのは100000歩譲っていいとして、吹奏楽部の発表そのものに耳を傾けていないことが悲しかった。

3年はコロナで文化祭もなかったので、この吹奏楽部の発表が私の唯一のライブ経験となった。本当にやってよかったと思う。K君には感謝である。


高校3年の時にはコロナのせいで行事も全くなかった。体育祭や文化祭はなく、そのためか”クラス一致団結”というムードは一切なく、個人主義の強いクラスとなった。言い換えれば陰クラスである。自分を入れて3人の部活仲間の1人や、前述のI君やK君、軽く冗談を言える程度の友達が数人いたり、休憩時間も男子が結構静かだったので、個人的に結構好きなクラスだった。...今思うと奇跡的なほどいいクラスな気がする。

 

3年になった時、床屋に行くのをやめて美容院に行くようになった。(ごめん、床屋さん。)

理由は知り合いの数人が美容院に行くようになったこと。彼らの顔を見ていても以前との違いは分からなかったが、自分はきっとイケメンになるという謎の自信と、モテたいという動機で行くようになった。親には、”コロナが流行り、床屋では待ち時間に感染するかもしれないので美容院に行く”などと意味不明な事を言っておいた。美容院にいった効果はあった。と思う。自分が高校1年の頃に撮った写真を見ると、前髪が短すぎて河童にしか見えない男がそこには映っていた。これは女子と話せないわけだ、と謎の納得感を得た。美容院に通いだしてから、女子に話しかけられるようになった気がしなくもない。少なくとも、”自分は美容院に行っている”という事実が、自尊心を向上させるのに役立った。

 

初めの頃、掃除場所が一緒になったSさんに一目ぼれをした。猫背の自分に対して姿勢がよかったり、歩き方や笑い方がきれいな所がとても好きだった。でもその人に話しかけられなかった。高校生活2年で授業以外の時間に女子と話してなかったので、話し方も忘れた上に、学生時代特有の、”あいつ女子に話しかけてるwww”みたいな陰口を叩かれるのが耐えられなかったこと、あとは自分程度が話しかけていい存在なのか、受験期に話しかけたら迷惑だろうか、というのが理由であった。今思えば、話し方を忘れた事以外は割と気にしなくてよかった気がする。授業中のふとした時に目で追ってしまったり、相手が気づいていたら相当キモい奴がいると思われてる。そうに違いない。

そんな風に悶々としながら冬が来た。12月の席替えで、奇跡的にその人と隣の席になった。1月中旬ごろの共通入試が終わると、学校の授業は無くなってしまうので、これが神の与えたラストチャンスと思って話しかけた。視線がヤバい奴から、自分で話しかけておいてさっさと会話を切り上げようとする不審者に進化した。そんなだから、卒業式の日まで大した会話もしなかった気がする。卒業式当日、クラスのLINEから勝手に彼女を追加し、”一緒に写真を撮ってほしい”と連絡した。これで会うのはおそらく最後で、大失敗しても二度と会わないからいいやという自暴自棄な感情があった。少しして、”いいよ!”と返事が返ってきたので写真を一緒に撮った。その後、寄せ書きに書いてほしい、と言われ、悩みに悩んで何を思ったか「感謝」の二文字を残した。ウケを狙ったにしてはツッコミに困る内容。在学中の黒歴史でもかなり上位である。その後他クラスのホラ吹きの友人が私にこう言った、「あの人彼氏いるよ」と。この後彼女に告白しようと思っていた私は、それを聞いてすっかり意気消沈し、告白をあきらめてしまった。意表を突かれた私は、その瞬間は彼のいう事を信じたが、家に帰って冷静になってみて思った。ヤツはホラ吹きなのだと。Sさんに彼氏がいたのか、いなかったのか、今となっては知る術もない―――――(術はあるけど失礼過ぎて実行できないだけ)

 

先日気づいたが、3年時のクラスの男子で撮った集合写真という物が無いらしい。女子は割とあったらしいが。それが成人式の出席率にも表れていたようで、私のクラスの参加率は半分程度、男子18人中4人しかいなかったそうだ。私も行っていない。私が3年時に同じクラスになった、前述のI君やK君も来ていなかった。彼らとはもともと卒業式の日にカラオケに行くことになっていたが、コロナの感染を恐れ、話が流れてしまった。それ以来会っていない。LINEのアカウントは変わっていないので、連絡を取ることはできる。でもしていない。感謝や想いを伝えたい人だとしても、人と人の縁が切れる時はとはそんなもんなのだと思った。

 

今できる事すらしていないので、もしも過去に時間を遡っても、今の自分は変わらないのだろうと思うと、切ない気分になった。



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