茉莉子は、翌日の午前に浮世絵展に上野へ出かけた。
昨夜は、泥縄式に浮世絵の予備知識をお借りした美術書で学んだが、まだ美と言うものの本質は、印刷した画集だけでは、理解しがたいのであった。
先ず、浮世絵展で菱川師宣の肉筆画の前に立った。画集と違って、肉筆画は、深い詩情を湛えている。描かれている女性の表情と姿態が魅力的だ。とくに「見返り美人」の女性のポーズが斬新であるし、着ている物が落ち着いた色彩で描かれている。昔の浮世絵の絵の具は草木染が主体なのであろうか。派手さはないが、着ている人物のキャラクターを想像させてくれるのである。
解説を読むと、「浮世絵の創始者」と書かれている。歌麿や北斎の画集の絵は、木版画であるから肉筆画の奥深さは、無理なのであろう。
次に歌麿の三人の美女の版画の前に立った。当時の日本女性の表情の何と床しいことであろうか。いや優美と言うべきであろうか。しかも着物の色彩の豊かさと、襞だ襞だの曲線のリズムに見とれてしまう。立ち姿もまたそれぞれが個性を主張していて、しなやかなのである。
次に写楽の版画の前に出た。これはまた、今までの版画とは全く異なる構図と描写である。歌舞伎役者の隈取の顔を誇張するとこうなるのであろうか。それにしても単純な描写ではないので、驚かされた。
隣の部屋の北斎と広重の風景描写は、よく見かけたことがあるので、時間をかけずに見たのだが、それにしても江戸の文化の深さには驚嘆させられるのである。よくもまぁ自然や建物、さらに人物を写真でとらえるのとは、まったく違ったアングルで描けるものだと感心する。
ゆっくりと見て歩いたので、ここまででデザイン工房に行く時間が来てしまったので、ジャポニスム展は、名残惜しいのだが、後にして美術館を急いで出た。
昨夜は、泥縄式に浮世絵の予備知識をお借りした美術書で学んだが、まだ美と言うものの本質は、印刷した画集だけでは、理解しがたいのであった。
先ず、浮世絵展で菱川師宣の肉筆画の前に立った。画集と違って、肉筆画は、深い詩情を湛えている。描かれている女性の表情と姿態が魅力的だ。とくに「見返り美人」の女性のポーズが斬新であるし、着ている物が落ち着いた色彩で描かれている。昔の浮世絵の絵の具は草木染が主体なのであろうか。派手さはないが、着ている人物のキャラクターを想像させてくれるのである。
解説を読むと、「浮世絵の創始者」と書かれている。歌麿や北斎の画集の絵は、木版画であるから肉筆画の奥深さは、無理なのであろう。
次に歌麿の三人の美女の版画の前に立った。当時の日本女性の表情の何と床しいことであろうか。いや優美と言うべきであろうか。しかも着物の色彩の豊かさと、襞だ襞だの曲線のリズムに見とれてしまう。立ち姿もまたそれぞれが個性を主張していて、しなやかなのである。
次に写楽の版画の前に出た。これはまた、今までの版画とは全く異なる構図と描写である。歌舞伎役者の隈取の顔を誇張するとこうなるのであろうか。それにしても単純な描写ではないので、驚かされた。
隣の部屋の北斎と広重の風景描写は、よく見かけたことがあるので、時間をかけずに見たのだが、それにしても江戸の文化の深さには驚嘆させられるのである。よくもまぁ自然や建物、さらに人物を写真でとらえるのとは、まったく違ったアングルで描けるものだと感心する。
ゆっくりと見て歩いたので、ここまででデザイン工房に行く時間が来てしまったので、ジャポニスム展は、名残惜しいのだが、後にして美術館を急いで出た。