goo blog サービス終了のお知らせ 

おぼろ男=おぼろ夜のおぼろ男は朧なり 三佐夫 

小説・エッセー。編著書100余冊、歴史小説『命燃ゆー養珠院お万の方と家康公』(幻冬舎ルネッサンス)好評!重版書店販売。

見返り美人

2014-03-21 19:51:05 | 小説
茉莉子は、翌日の午前に浮世絵展に上野へ出かけた。
昨夜は、泥縄式に浮世絵の予備知識をお借りした美術書で学んだが、まだ美と言うものの本質は、印刷した画集だけでは、理解しがたいのであった。
先ず、浮世絵展で菱川師宣の肉筆画の前に立った。画集と違って、肉筆画は、深い詩情を湛えている。描かれている女性の表情と姿態が魅力的だ。とくに「見返り美人」の女性のポーズが斬新であるし、着ている物が落ち着いた色彩で描かれている。昔の浮世絵の絵の具は草木染が主体なのであろうか。派手さはないが、着ている人物のキャラクターを想像させてくれるのである。
解説を読むと、「浮世絵の創始者」と書かれている。歌麿や北斎の画集の絵は、木版画であるから肉筆画の奥深さは、無理なのであろう。
次に歌麿の三人の美女の版画の前に立った。当時の日本女性の表情の何と床しいことであろうか。いや優美と言うべきであろうか。しかも着物の色彩の豊かさと、襞だ襞だの曲線のリズムに見とれてしまう。立ち姿もまたそれぞれが個性を主張していて、しなやかなのである。
次に写楽の版画の前に出た。これはまた、今までの版画とは全く異なる構図と描写である。歌舞伎役者の隈取の顔を誇張するとこうなるのであろうか。それにしても単純な描写ではないので、驚かされた。
隣の部屋の北斎と広重の風景描写は、よく見かけたことがあるので、時間をかけずに見たのだが、それにしても江戸の文化の深さには驚嘆させられるのである。よくもまぁ自然や建物、さらに人物を写真でとらえるのとは、まったく違ったアングルで描けるものだと感心する。
ゆっくりと見て歩いたので、ここまででデザイン工房に行く時間が来てしまったので、ジャポニスム展は、名残惜しいのだが、後にして美術館を急いで出た

ジャポニスム

2014-03-20 20:11:07 | 小説
翌日、茉莉子はT先生に相談することにして、早くに訪ねた。
「茉莉子さん、珍しく早朝からお見えになるとは、何があったのでしょうか」
と、尋ねられた。
「とくに何かがあったわけではないのですが、先生のお話を聞きたくてお邪魔したのです」
「そうでしたか。ぼくはまた、一代事件が起きたのかと驚きましたよ」
と、言いながら大ぶりのコーヒーカップを両手で持って、おいしそうに眼を細めて味わっていた。
「どう、あなたも飲みませんか。とくによく眠れなかった朝には特効薬ですよ。ぼくは、コロンビアの甘酸っぱい香りと味が好みなの」
と言いながらご自分でカップにコーヒーを注いでくださった。
「いただきます」
 茉莉子は、普段の朝は父の好みの日本茶をいただいているので、コロンビアのコーヒーは特別に香りと味わいの良さが感じられた。
「まぁよい香りですわ。本当にすっきりと目が覚めました」
と言うと、
「それで茉莉子さんは、僕に何を聞きたくて、朝早くにお出でになったの?」
と、T先生が尋ねた。
「M先生の工房では、私の知らないことが離されるので、困ってしまうのです。それにM先生が、パリのショーでは日本の浮世絵をイメージしたアジアの風をテーマにするとおっしゃられて、わたしは浮世絵を見たこともないので、先生に教えていただこうと、お邪魔しました」
「なるほどねぇ。M女史らしい発想ですな。それは、とても面白いと思いますよ」
と、パイプを咥えなおして首をかしげておられる。
「それはね、パリの画家たちの間でジャポニスムが流行ったことがあるのです。Mさんは、それに回帰しようとしているのです。ううん、なかなか興味深いですぞ」
 T先生は、好奇心おい聖奈子供のような目をして、茉莉子を見つめた。
「先生、ジャポニスムて、どんなことでしょうか」
「それはね、私の本をお貸しするからよく読むとよいでしょう。今ちょうど上野で里帰りの浮世展とゴッホの作品展がやっていますから見て来るとよいでしょう」
 先生は、本棚の上の方から「ジャポニスムの画家たち」と、「ゴッホ集」を取り出して、茉莉子に渡した。
 一つ、宿題が出されてしまったが、茉莉子は前向きな挑戦者になっているのであった。それは、岩和田の浜の娘と、異国の青年の血が混ざりあっているからであろう

アジアの風

2014-03-19 20:09:54 | 小説
M女史の工房に足しげく通って、採寸をしたり、布の色や柄を選んだりする作業は、思っていたよりも時間がかかる。茉莉子は、ただ工房の人たちに任せていればよいと考えていたが、M女史はモデルの人格を大切にするのである。意見や感想をしつこいほどに尋ねられるからぼんやりとはしていられない。それに何十種類もの試着品がプログラムの順に用意されていて、どれにするかは全員で討議をする。
ただ、テーマは初めのうちはあまり厳格には設定されていないが、それは徐々に全員の方向がM女史の思いに重なって行くように仕向けられている。カリスマデザイナーを自他共に認められているからであろう。
パリの初夏をイメージしたショーだが、日本から出品するからには、それなりのオリジナリティを出さなければ意味がない。
いろいろと話し合われていたが、なかなか具体的なテーマは浮かんで来ないよう。それはT女史の思う壺なのである。「性急に具体的な視点が決められてしまっては、自由奔放な感性の羽ばたきが損なわれる」と言うのが、いつもの口癖なのである。
色入り奈意見を集約して、T女史が提示したのは、浮世絵の北斎・歌麿と写楽のイメージでパリにアジアの風を吹かせる、と言うアイデアであった。しかも茉莉子をモデルの主役に据えると言うことは、和と洋の混合と言うことなのであった。
この提案には、手慣れている古手のスタッフたちもビックリした。ましてや茉莉子は初めてのことなので曖昧模糊とした空中遊泳のような感覚に襲われてしまった。
「はたして私にそういう役が務まるか」と、その日は心が定まらないままに帰宅した

夢羽ばたく

2014-03-18 19:26:52 | 小説
">「それで、茉莉子さんは、パリ行きをご承知いただけるのでしょうね」
 と、M女史がT先生の顔を見た。
「いや、まだ本人の気持ちは聞いてはいないのですよ。先ほど来たばかりですからね」
「わたしは、茉莉子さんのイメージが、今度のデザインにはぴったりですから行っていただきたいのよ。茉莉子さん、ご都合はいかが?」
と、真剣なまなざしを茉莉子に向けた。
「Mさんは、初めから茉莉子さんのモデルでもってデザインしたのですからね」
 T先生は、からかい気味に言葉をさしはさんだが、それは、茉莉子を娘のように見る慈父のまなざしであった。 
 茉莉子は、高名な二人の芸術家の言葉の勢いに背筋がしゃんとして、何と言ってよいか、どぎまぎした。
「もうこのお二人にお任せするしかない」と、内心では思うのだが、そう言葉にするのはとても怖いのであった。それは、未知と未見の世界に身を任せることだからである。
「茉莉子さん、今日はいつもの快活なお嬢さんではないねぇ。Mさんが怖いのかな」
と、パイプの煙をくゆらせながらつぶやいた。
「あら、T先生。わたしは一つも怖くはありませんよ。そんなことをおっしゃると茉莉子さんまで、そう思いますよ」
 紅茶カップを唇に品よく当てながらほほ笑んだ。
 やっと、茉莉子は口を開いた。
「お二人の先生にお任せ致します。何も分からないのでよろしくお願いします」
「茉莉子さんが、やっと決心してくれたね。Mさんのおめがねにかなった娘さんなんだからくよくよせずに堂々となさい。ねぇM先生」
「ええ、そうですよ。私の所にはベテランのアシスタントもおりますから何も心配しなくてよいのです。さぁ、茉莉子さんの決心がつけば、後はビジネスの話になりますよ」
と、急にM女史の言葉遣いのテンポが速くなった。
「岩和田の浜の娘と、スペインとルソンのハーフの青年が結ばれた祖先の血を引く茉莉子には、この日本に安住するよりも広い世界へと羽ばたいて活躍する方が向いているのかも知れない」と、茉莉子は、おぼろげには考えていたのだが、その決心は今はっきりと実現に向かおうとしているのである

M女史

2014-03-17 19:40:31 | 小説
ミゲルは、ドン・ロドリゴと共にマニラ、岩和田、大多喜、江戸、駿府、臼杵、浦賀、アカプルコ。そして、ビスカイーノと共に浦賀、江戸、岩和田、江戸、仙台、太平洋岸と日本各地の測量。さらに支倉常長と共に仙台、アカプルコ、マドリード、ローマ、マドリード、アカプルコ、マニラと通詞の下働きをして、今はマニラで日本人たちの通詞をしている。
茉莉子は、先祖のミゲルの行動をなぞらえているうちに眠りに落ちた。
数日がたち、T先生からM女史の都合がついたので、明後日の午後アトリエに来るようにと言う連絡があった。
父と母には、朝
「M先生にお会いして、いろいろと様子をうかがってきます」
とだけ告げて、午前のモデルの仕事が美術大であるので出かけた。
 早めにT先生のアトリエに伺うと、先生は、茉莉子をモデルにした写真を数枚取り出して、壁面に立てかけていた。
「あら、先生。私の若いころの写真までよく出て来ましたねぇ」
「そりゃぁ、そうだよ。君は僕のマドンナだからね」
と、パイプを咥えたままでほほ笑みながら答えた。
「M女史がねぇ、あなたの写真を借りたいと言うのですよ。何でもスポンサー会社の担当者に中心になるモデルさんを紹介するのだそうです」
「スポンサー会社があるのですか」
「何でもモデルさんが身につける服は、そのスポンサー会社の布地なのだそうですよ。まぁヨーロッパまで出かけてファッションショーをやると言うことは、並大抵の予算ではないだろうからスポンサー会社も必死なのですよ」
 茉莉子は、気軽に考えていたが、こういう企画は、画学生が卒業制作のモデルに茉莉子を選ぶのとはスケールも経費もまったく異なるのだ。
「これは、とても大変なことになってしまった」
と、自信を喪失してしまいそうな気持になった。
 そこへ
「M先生が、いらっしゃいました」
と、奥様がM先生を案内してきた。
「あら、もういらっしゃっていたのですか。茉莉子さんね」
と、気さくにお声をかけてM女史がアトリエに入って来た。
「Mさん、ここはすぐに分かりましたか。ちょっと入り組んだ所だったでしょう」
「そうねぇ、でもパリやミラノから見れば分かりやすいですよ。向こうは歴史が古いですから迷路みたいですからね」
「そう言えば、僕もローマの裏通りで道に迷って往生したことがありますよ。言葉も通じないしね」
「茉莉子さんのお写真は、見慣れていますから初対面とは思えませんよ。あなたは、藤田嗣二の絵から抜け出たような肌の色ですねぇ」
「そう言えばそうですなぁ。嗣二の白は、パリでも評判だそうですね」
「本当にそうですの。あの色は、ヨーロッパの画家たちにもどうしても出せないと言う話ですよ」
 茉莉子は、初め緊張していたが、二人の会話を聞いているうちに心が次第に和んでいった

父母との会話

2014-03-16 19:44:18 | 小説
家に帰ると、母の顔を見るなりすぐに
「おかぁさん、T先生がね、ヌードモデルをやめて、ファッションモデルをやるといいっておっしゃったのよ。どう思う?」
「出し抜けに言われても私には答えようがありませんよ。お父さんは、どう言われるかしら」
「あのねぇ、おかぁさんも知ってらっしゃるでしょう。有名のM先生からのお話なんですって」
「ああ、その方ならよく雑誌やテレビに出ているファッションデザイナーでしょう」
「そうよ。今度、パリやミラノでショーをやるらしいの。それに私も出てほしいっておっしゃっているのよ」
「へぇ、M先生が茉莉子さんをどうしてご存知なの?」
「それはねぇ、T先生のお写真に私が良く出ているでしょう。それをご覧になっているんですってよ。だからM先生にお会いして、よくファッションショーのことをお聞きしようと思うの」
「それは、そうよ。何も知らないで、パリまで出かけても恥をかくだけですからね」
 夕食の時にこの話を母が、かいつまんで父に話すと、
「茉莉子も国際的になったもんだが、果たして旨くいくものかねぇ。外国語もほとんどできないし、習慣も違うのだからなぁ」
「何でもM先生は、パリを手始めにイタリアのミラノやニューヨークでもやるおつもりらしいですよ」
「それに茉莉子が出るのかい。僕はファッションショーをニュース映画で一、二度見たことはあるが、ステージを闊歩する若い女性のドレスが、斬新でカラフルだったなぁ」
「モデルさんたちは、ドレスに合わせて、いろいろなお化粧をしたり歩き方をしたりしていますねぇ」
「その姿を女性たちやカメラマンがうっとりと見つめていて、どうも何が何だか僕には理解でないねぇ」
「それは、お父さんが昔の人だからですよ。デザイナーさんたちは、デザインに勝負をかけているんですよ。だから着映えのする物をモデルに着せて売り込むのでしょう、ねぇ茉莉子さん」
 母は、かなり夫あっションに関心があるのを茉莉子は、初めて知った。
「まぁ、M先生に会ってようく聞くことだね。それからどうするかを決めなさい」
と、父が言った。
 茉莉子は、ベッドの中で考えた。
「我が家のルーツには、スペインとマニラと日本の血がまじりあっているようだからこう言うお話も舞い込むのに違いない。それが私の運命なのではないか。そうだ、お話を聞いて、やる気が湧いたらお引き受けしよう」
 それが、この夜の茉莉子の結論であった

ファッションモデル

2014-03-15 20:17:14 | 小説
T先生からの呼び出しがあり、お宅に伺うと、
「あなたをファッションデザイナーのM女史に推薦しておきましたよ。彼女は、私のフアンで、あなたを撮った写真を以前からとてもお気に入りなのです。今度、パリコレに初めて出品するそうで、その作品をあなたに着てもらいたいと言うのです」
「まぁ、それは光栄ですが、わたしでよろしいのでしょうか。ファッションショ-には出たことがありませんから」
「あなたが、写真から服装のスターへと転身する契機になるかも知れませんよ。これからは、何と言っても世界です。狭い日本だけで勝負していては、あなたの才能と素質が埋もれてしまいます。それに写真家や美術学生をお相手の仕事には限界があります」
 いつもは、斜に構えた物言いをする先生が、自分の愛娘にでも話すような真剣なお顔で、茉莉子の将来を指示してくれたことに心が大きく揺れた。
「先生、両親と相談して、お返事を差し上げますから明日までお待ちいただけませんか」
と、言うと、
「そうだねぇ、よく考えてみるのもよいでしょう。それにシーズンにはヨーロッパ暮らしもするかも知れないからね。M女史の話では、ニューヨークやミラノのステージにも出てもらいたいと言うのです」
 茉莉子は、不安だったが、M先生にもお会いして、詳しく聞いてみたいと思った。
「先生、明日にでもM先生に会わせていただけませんでしょうか」
「それは、そうだねぇ、先ずご両親のお考えをお聞きして下さいね。それからM女史にお会いするとよいでしょう」
 茉莉子は、自信はないのだが、胸の膨らむような感覚だけは湧いて来た。
font>

ミゲルのたより

2014-03-14 21:54:57 | 小説
その後のミゲルは?
 ビスカイノ一行の帰国は、支倉常長の遣欧使節団のサン・ファン・バウチィスタ号に同乗して月の浦(石巻)港から出航した。それは、慶長18年9月15日(1613、10,28)の海の穏やかな日であった。ミゲルも念願の父祖の地アカプルコへ向かったが、頭の片隅には勝男坊のあどけない童顔が染みついていた。家事に励む愛しい妻の日焼けした顔や、家族の海で鍛えたどら声も懐かしいのである。だが、この日本に異国人が、いくら望みと言えども一人で残ることは許されないのだ。
 ミゲルは、片言ながら日本語もマニラの土着語もできる。もちろんエスパニアの言葉は達者だから使節団の日本人にとっては、とても重宝な男であった。アカプルコを経てマドリードのフェリペ3世エスパニア国王に謁見したのは慶長20年1月2日(1615、1,30)、1年3カ月が経っていた。さらにイベリア半島を陸路でローマに向かい、元和元年9月12日(1615、11,3)にローマ教皇パウルス5世に謁見し洗礼を受けて、またマドリードに引き返し、伊達政宗の通商条約の交渉をする。ミゲルも交渉には立ち会って、通詞の下役の仕事をしていた。だが、交渉は成立せず、元和2年(1616,1,7)マドリードを出発し帰国の途に就いた。アカプルコを元和4年(1618、4,2)に出港し、フイリッピンに元和4年(1618、8、10)に到着、ここでミゲルは懐かしいルソンの年老いた両親のもとに帰った。支倉常長一行は現和6年(1620,9,20)仙台に帰ったが、すでに日本はキリシタン弾圧の嵐が吹きすさんでいた。
 使節団でミゲルと行動を共にした日本人の商人からミゲルのことづけの手紙とと、エスパニアの土産の着物や玩具が届けられた。
「日本へ行きたいのですが、イエス様を信仰する者は牢屋に入れられてしまうと言う話です。だからもう行けませんよう。お許しくださいませ。鯛さま、勝男坊や、そして岩和田の皆様。さようなら」
 と、たどたどしい文字で書かれていた

献本あいさつ転載

2014-03-13 21:00:07 | 小説
献本のごあいさつ          安藤 三佐夫(操)
 地域の歴史・民俗をテーマに探訪し、50年余りがたちました。この度、5年がかりにて房総勝浦正木城の姫君が主人公の大河歴史小説を刊行致しました。
養珠院お万の方は、家康の側室として、徳川御三家の内の二人の藩祖(紀州・水戸家)を育て、法華経の弱者救済の真髄を学び実践しました。また、女人禁制の七面山に登詣し、後の世に「女人踏み分けのお山」を開いた女性として崇敬されております。
残念なことにそのすぐれた業績が、一般の方には広く知られておりませんので、この度かなり詳しく想像力を躯して執筆しました。是非ともご笑覧下さり、貴エリアの皆様にご紹介いただきたく、ここにご案内致します。
  ゆかりの地(作品の舞台) 
『命燃ゆー養珠院お万の方と家康公』(安藤三佐夫著・幻冬社ルネッサンス)
☆千葉県内☆ 
勝浦市=正木城(八幡岬)・朝市・妙覚寺 御宿町=岩和田・岩瀬家  大多喜町=大多喜城 一宮町=一宮城  
鴨川市=小湊誕生寺・鏡忍寺・仁右衛門島 館山市=正木・里見家  南房総市=長狭街道・正文寺  
鋸南町=保田港鯨とり・龍島 山武市=妙宣寺  匝瑳市=飯高寺  東金市=東金御殿  佐倉市=佐倉城
千葉市=お茶屋御殿・金親町  船橋市・習志野市・八千代市・八街市・千葉市・東金市=お成り街道 
松戸市=本土寺・松さとの渡し 市川市=行徳河岸  木更津市=木更津河岸 他
 ☆千葉県外☆ 
山梨県身延町=久遠寺・本遠寺・敬慎院・神力坊 東京都=江戸城・紀州屋敷・日本橋河岸・養珠院通り・於
満稲荷・佃島・本門寺 大阪市=大阪城  堺市=港町  京都市=二条城・本法寺  伏見市=伏見城
茨城県=水戸市・常陸太田市 和歌山県=和歌山城・三重県=紀州藩領 小田原市=小田原城・一夜城 三浦
市=久里浜港・新井城 鎌倉市=英勝寺 静岡市=駿府城・蓮永寺・感応寺・久能山東照宮 名古屋市=名古屋城 浜松市=浜松城 三島市=妙法華寺・三島本陣 藤枝市=田中城 伊豆市=妙国寺・吉奈温泉・善名寺 河津町=北条屋敷・笹原城・乗安寺 韮山市=江川屋敷 岡崎市=岡崎城 熊本市=熊本城 他

 ☆主なエピソード・事件☆
関ヶ原の戦い・小田原城落城と天城越えの苦労・大多喜城の内乱・日遠上人救済の白装束・女人禁制の七面山登詣・青年時代の水戸黄門を諌める・大奥に入る=二人の男子出生を喜ぶ家康公・イスパニア船サンフランシスコ号の房総漂着とドン・ロドリゴ長官との会見・大地震と大津波の救済に伊豆と房総を見舞う・青春時代のほのぼのとした恋心 などなど

※徳川初期の傑出した女丈夫の生きる姿を現代に伝えたく存じますので、ご支援の程を!!


まだ体力が完全には回復しませんので小説の執筆は、明日よりにします。