ミゲルは、支倉常長一行の使節団の通詞として、仙台を出て、アカプルコからスペインに渡り、さらにヴァチカンでは、教皇の洗礼の儀式に立ち会った。そして、また、マドリッドに戻って、政宗の通商条約の提案交渉にも参加した。だが、すでに日本本国は鎖国をし、キリシタンの禁令を定めていたのである。
キリシタンの信者には、転向を強制し、従わない者には、拷問や磔の刑を執行している情報がマドリッドにももたらされていたので、交渉は成立しなかった。
それを知って、洗礼を受けた日本人一行の多くは、スペインの地に住むことを決意した。今でも「祖先は日本人だ」と言う人たちが、数百人も住んでいる村がスペインにあるのはそのためである。
しかも、帰国した支倉常長使節団一行も厳しい取り調べを受け、転向しない者は処刑されたり、幽閉されたりした。
ミゲルは、鎖国を知り、マニラでもって一行と別れた。本当は岩和田にいる息子の勝男や、愛妻の鯛に会いたかったのだが、それはあきらめざるを得なかった。泣く泣く船を見送り、父母の待つわが家へ帰った。
茉莉子は、わが家のルーツを自分なりに考え、納得したのである。だが、それは、自分の心の中にしまっておこうと思った。ただ、お世話になったT先生や家族には、隠さないことにした。それは、T先生は、初めから「茉莉子さんには異国の人の血が混ざっている」と、言っていたのだから秘密にする理由もないのである。
だから落ち着いたら記録と、感想の形でまとめようと思うのであった。
題名は、「岩和田遺文―湯浅家のルーツを訪ねて」では、どうかと考えている(草稿完)。