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おぼろ男=おぼろ夜のおぼろ男は朧なり 三佐夫 

小説・エッセー。編著書100余冊、歴史小説『命燃ゆー養珠院お万の方と家康公』(幻冬舎ルネッサンス)好評!重版書店販売。

さよりの登校

2014-06-24 20:22:03 | 小説
星郎は、いつもよりだいぶ早く起床した。窓から外をのぞくと、もうさよりが手提げかばんを持って立っていた。そのいじらしい姿に星郎は心を動かされた。
「さよりは、本当は学校へ行って友達と勉強したり、遊んだりしたいのだ。だが、生まれつきの指の足りないことを悪餓鬼どもがいじめの種にしているので、登校したくともいけないのだ。何とかしてやりたい!さよりを助けてあげたい!」と、星郎は強く思った。
  急いで着替えて、おばぁさんの用意してくれてある朝食をほおばると、表へでた。
「お早う」と言うと、
「お早う」と心ぼそい声が返って来た。
「さよりさん、早かったねぇ。僕について来れば、何も心配することはないからね。さぁ行こう」
 二人は、学校に向かって歩き出した。すると後ろから足音が聞こえて来た。
 振り返ると、おばぁさんが、ついて来るのだった。
「さよりさん、あのおばぁさんを知ってるかい」
と、尋ねると、黙ってうなずいた。
「ああ、そうか。さよりさんの家のおばぁさんだね。あなたが学校に行っていじめられるのを心配してついて来たんだね」
「うん、そうだよう。弁当を作ってくれながら一緒に学校へ行くって言ってただよ。だからおらは、絵の先生がついてくれるから大丈夫だと言っただけども、後からついて来ただね」
「それじゃぁ、おばぁさににも校門までついて来てもらおうよ。さよりさんをとても心配してるんだね。今日からは、僕がついているから心配しないでいいよ」
 星郎は、力強い声を出して、さよりさんを元気づけた。
 おばぁさんは、二人からすこうし離れて、腰を曲げながら歩いていた。
 校門までやって来ると、
「さよりちゃん、お早う」
 と、声をかける女の子がいた。
 「お早う」
 と、さよりは、恥ずかしそうに下を向いて挨拶をした。
 星郎も
「お早う、さよりさんと仲良くしてね」
と、挨拶を返したら女の子は、にっこりとして
「うん」と言った。
 子供たちが、さよりの周りを囲んで、口々に
「心配してただよ」
「誰もいじめねぇから毎日学校へ来るんだよ」
「先生も仲ようしなさいと、言ってたよ」
などと、大騒ぎになった。
「あれ、この人は誰だい」
さっきから黙って子供たちの様子を見ていた星郎に気づいた子が、さよりに尋ねた。
「東京から来た絵の先生だよ。おらは、一ぺぇ描いてもらっただよ」
「それじゃぁ、おらたちにも描いてくれよ」
「おらも、おらも」と、大さわぎになってしまった。
 その騒ぎを聞きつけた担任の女の先生が、出て来て
「さよりちゃん、お早う。よく来ましたね。心配していましたよ」
と、言うと、星郎が
「担任の先生ですか。僕は、さよりさんの友達です。さよりさんが、学校を休んでいるのを心配して今朝はついて来ました。この子供たちの仲間に僕も入れて下さいませんか」
と、先生に申し出た。
 子供たちは、とび上がって喜んで
「先生よう、絵がえれぇうまいって言うから図画の時間に教えてもらうべぇよ」
 ガキ大将のいじめっ子の多平が言い出した。
ほかの子たちも大喜びで、
「そりゃあ、いいねぇ。おねげぇしますだ」
と、手をたたいた。
 離れて様子をうかがっていたおばぁさんは、提げていた手拭いで涙をぬぐった。

腰巾着

2014-06-22 20:08:01 | 小説
 星郎は、だいぶ体調が良くなったので、浜辺だけでなく、北の山側の農村の方へも出かけることにした。
家からは、線路の向こう側になるので、少し散歩の距離が長くなったが、野良道には名の知れない野の花が、いろいろと咲いているし、足音に驚いて虫たちが飛び跳ねて逃げる。それらをじぃっと観察して、図鑑のような細かい絵を描く。
さよりは、星郎が出かけるころには、決まってやって来て、ニコニコと笑顔で後をついていく。おばぁが、
「さよりは、腰巾着のようだなぁ」
と、からかったら、
「おばぁさん、腰巾着ってのは、何だい?」
と、真面目な顔で尋ねたものだからおばぁは、うまく答えられないで困ってしまった。
「それはね、腰に縛った巾着みたいだ、と言うことだよ」
と、星郎が説明してやった。
「ふうん、おらは、先生の巾着かい」
と、さよりは、両目をぱちくりさせて、首をかしげた。
 その仕草が、とても可愛いので、おばぁは、
「ほれ、喰いなよ」
と、懐から飴玉を2,3個差し出した。
「おらは、いらねぇよ。うちのおばぁさんから食い物をもらっちゃいけねぇ、って言われているだよ」
「そうかい。そりゃぁ網元さんの家は、厳しく躾けているのだねぇ」
と、おばぁさんは、差出した飴玉を星郎に渡した。
 どこに行く時もさよりは、本当に星郎の腰巾着になってしまった。
 「さよりさん、いつも僕の後をついて回っていて、学校に行かないと、みんなが心配するよ。毎日昼まででもよいから行ったらいいよ。そうしないと、僕が困ってしまうよ」
 と、星郎が言うと、
 「おばあも、おとうもそう言うだよ。でもおらはよ、いじめられるから嫌なんだよう」
 「それじゃ、僕が毎朝、学校へついて行って、友達にようく頼みますよ。だから明日は、一緒に学校へ行こうね」
 と、言うと、さよりは、黙ってうなづいた。 

大鯛のお礼

2014-06-21 19:53:09 | 小説
先生、絵の先生。まだ寝てるのかい」
と、窓をたたく音で星郎は目を覚ました。
 窓を開けて、
「さよりさん、随分早いけど、何かあったの」
朝早く、さよりが星郎の家に来たので、星郎はびっくりして、とび起きた。
「あのよう、お父がね、今日は船を浜に引き上げるから絵を描くといいって」
「さよりさんは、僕のお願いを頼んでくれたんだね。ありがとう」
と、お礼を言うと、さよりはニコッとほほ笑んで、駆け足で帰って行った。
 遅い朝食をとると、さよりの家の船が引き上げてある浜へと、速足で出かけた。月見草の花に朝露がかかっていて、沖から乳色の霧が流れていた。
 大きい船が、砂浜へ引き上げられていて、若い漁師たちが網の繕いをしていた。
 もうさよりが、貝の笛を鳴らしながら待っていたので、この船が細魚の家の物だと言うのは、すぐに分かった。
「さよりさんは、舳先の下に立っていて下さいね」
と、言って、スケッチに取り掛かった。
 夢中で描いていると、若い漁師を引き連れた大男が立っていた。
「やぁ先生。さよりが、いつも世話になっています。一人娘で、寂しがり屋ですが、先生にもらった絵を仏壇に上げて大事に飾っているだよ」
と、言うと、後ろを振り返って、
「おう、先生にお礼の物を!」
と、大きなどら声で命令した。
 若い者は、
「へい」
と、言って、手に提げていた大きな鯛を星郎の目の前に差し出した。
「詰まらねぇ物ですが、先生に喰ってもらいてぇから受け取ってくだせぇ」
と、さよりのお父は、ぶっきらぼうに言った。
「あ、ありがとうございます。今夜は、おばぁさんに煮てもらいます」
「片身の半分はよう、塩を振って、炭火で焼いて喰いなせぇよう。刺身がうめぇですぜ」
と、言うと、大股で引き返していった。
 サヨリは、ポーズをとったまま、にこにこして見ていた。

貝笛のうた

2014-06-19 19:46:32 | 小説
「ピー、ピー」と聞きなれない音が、聞こえて来た。
 星郎は、今日もまたスケッチブックに波の絵を描いていると、だんだんその音は近づいて来た。
 さよりが、口びるに貝がらを当てて、鳴らしながら星郎のそばまで寄って来た。
「さよりさん、お早う。それは何だい?」
「これはね、貝がらの笛だよ」
と、言うと、また唇に貝がらを当てて「ピーピー」と、鳴らした。
「へぇ、貝がらで笛が出来るのかい。それじゃ歌の節も吹けるの」
と、尋ねると、首を横に振った。
「おらには、無理だけど、お婆さんは出来るよ」
「それじゃ、今度お婆さんに吹いてもらうかなぁ」
「うん、いいよ。雨の日は行商にでねぇから家に来るとといいよ」
「それじゃ、今度行くからお婆さんによろしく言っておいてね」
星郎は、さよりが貝の笛を吹いているところの顔を大きく描いて、あいている余白に

沖より近づく笛の音は
人魚が、鳴らす海の唄
人魚のおうちは、どこにある
大きな津波で流されて
父さん 母さん
流されて
子どもの人魚は 笛を吹き
父さん 母さん
探してる


 人魚の目から一粒、二粒、涙がポロリと流れている絵を星郎はさよりに渡した。

ハマヒルガオ

2014-06-18 19:19:49 | 小説
 星郎は、翌日は、ハマヒルガオの花をスケッチしていた。この朝顔の花に似た薄いピンクの花は、砂丘をつるがどこまでも這って行って、沢山の花をつける。それは、都会では見られない地味な花だが、浜風が吹くと、必死にこらえて咲く様子は、可憐さと、強さを持っていて、見飽きないのであった。
 その風に揺れる微妙な震えをどうしたら描けるかと、何度も何度も描いては消していると、いつの間にか少女がのぞいていて、
「兄さんよう、そんなに上手に描いたのにどうして消してしまうの?」
と、尋ねた。
 背後に少女が立っているのも気づかないで夢中になってスケッチをしていた星郎は、ちょっとびっくりしたが、
「さよりさん、来ていたのかい。急に声をかけられたのでびっくりしてしまったよう。何度も描きなおすのはね、この花のかぜに揺られる様子が、何度描きなおしてもうまく行かないからだよ」
「ふうん、そうかねぇ。おらは、お兄さんの絵が好きだからこれでいいと思っているだよ。うちのお父も、えらぁくうまいと言ってるよ」
と、首をかしげていた。
「うれしいねぇ。さよりさんのお父さんは、何をやっている人だい」
と、尋ねると、
「うちのお父はよう、若い衆を大勢連れて浜さ出て、大きな船で魚を獲っているだよ」
「へぇ、すると網元だね」
「うん、浜の者たちは、親方と呼んでいるよ」
「それじゃ、今度、さよりさんのお父さんの船の絵を描かせてもらいたいなぁ。お父さんに頼んでくれないかい」
「ああ、いいよ。おらの絵を描いてくれたお礼だからね」
と、少女は嬉しそうに返事をすると、帰って行った


桜貝と少女

2014-06-15 20:28:24 | 小説
夕食の時に星郎は、絵に描いた少女のことを尋ねた。
「あぁその子はよう、網元の家の一人娘のさよりだっぺ。人懐っこいいい子だよ」
と、おっかさんが言うと、お婆さんが
「あの子はよう、おっかぁがいねぇだよ。ばぁさんが追い出してしまったからね」
「何も嫁のせいで、指のねぇ子が生まれたわけじゃねぇのになぁ。可哀想によう」
と、親爺さんが言った。
「何でも学校に行かないらしい。悪がきらにいじめられるので、休みがちだと聞いたぞ」
「いい子なのになぁ。可哀想だよ、学校じゃぁ困っているが、さよりが嫌がっているそうだからね」
 星郎は、少女には生まれつき、右手の薬指と小指がないので、ばぁさんが、嫁をいびって追い出してしまった。また、学校に行くと悪童たちがいじめるので登校拒否気味らしいと言うことを知った。
 翌日、浜辺を散歩しながら打ち寄せられた小貝を拾っていると、昨日の少女が、後を追いかけて来て、真似をしだした。
 そして、美しい貝を拾うと、だまって差出した。星郎が
「きれいだねぇ、有難う。さよりさん」
と、お礼を言うと、にっこりほほ笑んだ。
「兄さんよう、どうしておらの名前を知ってるの」
と、不思議そうに尋ねた。
「それは、内緒だよ。あなたは、とてもいい子だって船大工の家の者が言っているよ」
と、言うと、顔を赤らめて、はにかんだ。
 星郎は、その表情の純朴さに感動した。
「そうだ、この表情を絵にしてみよう」と、強く思った。
「さよりさん、あなたの貝を持ったところ絵にしたいので、その砂山のそばに立って下さいな」
と、頼んだ。
「えっ、どっちの手に持つの」
 さよりは、困ったような顔をして、星郎に尋ねた。
あわてて、星郎は言いなおした。
「どっちの手でもいいよ。この中から一番好きな貝をとってね、掌にのせて下さいな」
 さよりは、にっこりとして、桜貝を左の掌にのせて、まっすぐに立った。緊張しているのが分かったので、
「そこの草の上に腰を下ろして、こちらに顔を向けてね、掌の貝を見ながらにっこりと笑ってください。」
と、言うと、恥ずかしそうに星郎を見つめた。
「とてもいい表情だよ。少し我慢していてね」
 星郎は、急いでスケッチをした。今日は、水彩絵の具も用意してあったので、手早く描いて、さよりに見せると、
「これが、おらかなぁ。可愛い子だねぇ」
「そうだよ。あなたは、とても可愛いよ」
と、星郎が答えると、
「本当にそうかい、お兄さんよう」
と、声を弾ませた

メキシコ塔と少女

2014-06-14 21:16:37 | 小説
 浜辺を眺める小高い丘があるので、天気の良い日は必ずスケッチブックを持ってそこへ出かける。
沖には、黒潮が流れていて、そこから押し寄せるうねりが、白波となって浜に打ち寄せる。その動きと、形を何とかして描きたいと思うのだが、なかなか思うようには波をとらえきれないんだ。
星郎は、左手の海へ乗り出している岬の上に白い塔がある風景も好きだ。浪を描くのに飽きると、遠くに見える漁港と空へ突き出ている塔を描く。
だが、その塔は、なぜ建てられているのかは、まだ知らない。
鉛筆を無心で走らせて、岬と白い塔を描いていると、背後に動く物の気配を感じた。猫か野良犬かも知れないと思って、振り返りもしないでいると、近づいて来たのだった。
突然
「あんちゃん、何をしているんだい」
と、かわいい声がした。
 振り返ると、十歳ぐらいの少女が、立っていた。
「あの白い塔を描いているんだよ」
「へぇ、メキシコ塔を描いているのけぇ」
「あの塔は、メキシコ塔って言うのかい」
「そうだよ。うちのお父が教えてくれただよ」
「なぜ、メキシコ塔って言うのかな」
「それはねぇ、ようは知らねぇけんが、昔、メキシコの船が流れ着いてね、多くの船乗りが浜の者たちに助けられたらしいよ」
「あぁそれでメキシコ塔を建てたのかい」
「お父は、そう教えてくれただよ」
「それじゃ、あなたをこの絵の中に入れてみるからちょっとこっちを向いて動かないでいてよね」
「うん、おらを描いてくれるのかい。上手に描いてくんどよ」
 星郎は、少女が人懐っこくて、目がくりくりして可愛いので絵にしてみたくなった。
 描き終わると、その絵を少女に
「家に土産に持って行きな」
 差出した。
 少女は、目を輝かせて
「うん、ありがとうね。きっとお婆と、お父が嬉しがるよ。だって、とてもよう似た絵だもんよ」
 と言うが早いか、飛び跳ねて丘を駆け下りて行った


漁師さんは、まる裸で

2014-06-12 19:42:51 | 小説
 翌朝は、ほら貝の音で目を覚ました。ブオーブオーと低く長く浜の方から響いてくる。それは、漁村中に「今朝は、地引網をやるぞう」と言う合図なのである。
 星郎は、布団にもぐったまま、雨戸の隙間から空を眺めた。東の岬の上から朝日が上ろうとして、オレンジ色に染め上げている。それは、神々しいほどである。
「あっ、そうだ。ほら貝の音は、地引網をやるから集まれ」と言う合図だと、昨夜お婆さんが言っていたのを星郎は思い出した。
 あわてて布団から飛び起きると、すぐに土間へ飛び出した。もうおばぁさんは、バケツを下げて浜へ小走りで歩き出していた。
「おばぁさん、僕も連れて行ってくださいよう」
 と、大声を出して追いかけた。
 浜辺には、もう40人余りの老若男女が出て来ていて、沖の二隻の漁船から出されている太い綱を二組に分かれて引き上げている。
 よくは分からないが、「婆さん、婆さん、豆喰え。歯がねぇから飲んじゃった」などと言う元気の出る面白い歌詞を声を合わせて怒鳴るように綱を引いている。そのうちに漁網の左右が綱に結ばれているのが見えるようになった。
 浜には、木で作った大きい轆轤のような物が、据え付けられていて、それに綱を巻きつけている。星郎もその仲間に加わって、必死になって綱を引いた。
「そりゃぁ、よういと巻け。そりゃよういと巻け」
と、頭領が声を張り上げると、みんなも意味の分からない掛け声を叫ぶ。それは、実に迫力があるので、星郎は驚いてしまった。
 漁網が袋のようにはちきれて引き上げられると、中には鯵や鰯に鯛とホウボウなどがひしめいていたが、星郎には半分ぐらいの魚の名前は分からなかった。
 網からこぼれた魚は、網を引き揚げる手伝いの者たちが持って来たバケツなどに拾っている。これが、浜の家々の食事のおかずになることは、後で知って感心した。
 ところで、不思議な光景は、男の漁師さんたちである。誰一人として、すっぽんぽんのまる裸で着る物を身につけていないのである。しかも、男のシンボルは、稲のわらみごで縛られている。
 夕食の時にその訳を棟梁に尋ねると、
「そりゃぁ分からねぇよ。昔からそうしていたからなぁ。まぁ呪いみたいなもんで、神社のしめ縄のまねだっぺ」
 と、笑っている。
おばぁさんが言った。
「医者どんに聞いたらよ、あそこを縛ると体が冷えねぇからだと、教えてくれたが、本当かどうかは分からねぇよ」
と、言った。
おっかさんは。真面目な顔つきで、
「そらぁよう、あそこの穴から悪い虫が入るのを防いでいるだよ。うちの亡くなった爺様がよう言っていたよ」
 星郎は、ふうん、と首をかしげているだけであった

地引網の魚

2014-06-11 16:54:43 | 小説
 星郎は、朝寝だが、朝食を一人でとると、大きなスケッチブックを肩にかけて散歩に出かけた。お医者さんからも「喘息には空気のよい所をゆっくりと散歩するのが一番良い」と言われていたので初めの朝から実行したのだ。
 五月の風薫る時期は、どこへ出かけても爽快だ。浜に出ると、漁師のおっかさんたちが、戻って来るのに出会った。その中に船大工の棟梁のおっかさんが加わっていた。
「あれ、星郎さん。今起きたのかい。もっと早く来れば、地引がやれたのによう。今朝は、鯵や鰯がいっぺぇ入っていただよ」
 と言って、手に提げているバケツの中を見せてくれた。
 中には、まだぴちぴち跳ねている魚たちが数十尾、それに烏賊と小蛸が入っていた。
 銀の鱗と言う言葉があるが、岩和田の岬に上って来た太陽の日差しに映えて、美しい魚の鱗がまぶしいほどに光っていた。
「そうだ、この姿をスケッチしよう」
 星郎は、おっかさんについて、家へ引き返した。
「この魚を僕に描かせて下さいませんか。時間はとらせませんからね」
と、お願いして、鯵と鰯の反り返った姿を素早くスケッチした。
 それに水彩絵の具でちょっと色を添えた。
「あれよう、おめぇさんは、えれぇうめぇねぇ。婆さまよう、ちょっくら来てみなせぇよ」
と、おっかさんがお婆さんを呼んだ。
 裏で洗濯物をしていたお婆さんは、何事かと思って、手を拭きながら表へ出て来た。
「婆さま、婆さま、見なせぇよ。星郎さんの書いた魚の絵のうめぇことよう」
「どれ、どれ」
 と、お婆さんは、腰を伸ばして、スケッチブックを覗き込んで
「こりゃぁ大したもんだよう。まるで魚が生きているようだ」
と、目を丸くして、感心した。
 その夜は、魚の煮つけが、皿一杯にだされて、星郎はその活きの良い旨さに目を丸くしてしまったほどだ。
「おとっつあん、星郎さんの絵を見せてもらいなよ。まるで生きているようだからね」
「それは、おらにも見せてくれよ。」
 星郎は、わきに置いていたスケッチブックを取り出して、魚の絵を見せた。
「ふうむ、なるほどなぁ。おれなどは、あまりよくは鯵や鰯を見ていねぇのだなぁ。星郎さんの方が、よく見ているなぁ」
と、感心していつまでも眺めていた
>※星男→星郎 に変更しますが、その理由は最後にー。。

夕食の会話

2014-06-10 15:39:45 | 小説
大工の家は、お婆さんと、夫婦の3人家族で、息子と娘の三人は小学校の高等科を卒業して、東京へ働きに出ている。だから療養に青年が入って来たので、少し賑やかになった。
 夕食を囲んだ時に大工の棟梁の親爺さんが、たずねた。
「おめぇさんの顔は、前から覚えているが、名前はなんて言うだい?」
「ぼくは、星男です。何でも七夕の夜に生まれたので、父が名付けたようです。よろしくお願いします。」
 座りなおして、お辞儀をした。
「おお、いい名前だな。すると浜本星男さんだな。浜本さんの旦那は、東京でも指折りの表具屋だそうだね。」
「あれ、そうだったんかい。すると、おめぇさんの家は、襖の張替えをする職人さんかい」
 お婆さんが口を挟んだ。
「ええ、それもやりますが、父はむしろ襖に絵をかいていますから絵師ですね。」
「それじゃ、絵が上手なんだろうね。下手じゃつとまらねぇもんよ」
 おかみさんが、さも感心したように言った。
「だからおめぇさんも絵が好きなんだね。大きな物をしょって来たけんど、あれは絵をかく帳面かね?」
 お婆さんが、たずねた。
「あれは、スケッチブックです。それに絵具箱も持ってきましたよ。この村は、とてもきれいなところですから沢山絵を描きたいと思っています」
「ふうむ、なるほどなぁ。頑張って、いい絵描きになれよなぁ。それにゃ、体が丈夫でなけりゃならねぇぞ。小魚を骨ごと喰うと、良いそうだからもりもり喰うことだな。」
 こうして、一晩目は会話がはずんだ