<「戦国時代の終わりごろから房総半島の太平洋岸には、紀州や瀬戸内沿岸の漁師が、鰯を求めて移住したようだ。家の湯浅と言う姓は、紀州の湯浅と言うところから移住して来たのだろうよ」
父の話は、まだ続いた。
「東京へ出た祖父は、伊豆七島の材木を取引する問屋に奉公し、櫛の材料の柘植を買い集める仕事をして番頭になり、のれん分けをしてもらって商売に成功した。だが、大正12年の関東大地震で店も倉庫も焼けて一文なしになってしまった。それでもへこたれずに商売を立て直して、何とか家族を養った」
「お父さんは、その頃子供だったのですね」
「あぁそうだよ。まだ、幼かったので記憶はないが、よくお母さんから話は聞いているよ」
茉莉子は、父の話を聞いて、もう一度、岩和田を尋ねようと思ったが、画学生の卒業制作のモデル依頼が多くて、なかなか休みがとれなかった。
見渡す限りの砂浜に海鳥が乱舞している。きらきらと輝く水平線には、北へ向かうタンカーが間隔をとって続いている。
やっと、念願の御宿の浜にやって来た茉莉子は、駅から川沿いの小道を歩いて岩和田へと歩いた。道端には、小さな月見草の花が透き通るようなクリーム色の花びらをちょこっと開いている。たしか、夢二の「宵待草」はもっと大きな花のように思っていたが、この可憐な花は別の花だろうか、などと思いながら行くと、海女さんたちが数人、賑やかなおしゃべりをしながら歩いて来るのに出会った。
「こんにちは」
挨拶をすると、
「おえっ、こんちは。おめぇさんは、どっから来ただえ」
と、大声で挨拶を返して来た。
「東京からです」
「いってぇあんの用で来ただえ。岩の井の社長さんに呼ばれたんじゃねぇかい」
「今日は、違います。岩和田に湯浅さんと言う家があるかどうか、尋ねて来たんです」
「おぉ、そっかい。うちの婆さんの話じゃよう、昔、ハワイのパイナップルづくりに行った家があってよう、そん家がたしか湯浅と言ったそうだよ」
茉莉子は、拍子抜けしてしまった。岩和田に行けば、きっと祖父の実家があると考えていたが、それはもうはるかの昔の思い出話なのだ。
「いかったらおらがの家によって行かねぇかい。今朝、鮃と石鯛が揚がったから食っていくといいだよ」
言葉遣いは、とても荒いが、底抜けに大らかで明るい人たちであるので、好意に答えることにした。
「有難うございます。寄らせていただきますのでよろしくお願い致します」
「まぁそんなにお礼を言われるようなことじゃねぇだよう。家は、ここで曲がると近いからついて来なよ」
と、リーダー格の海女さんが茉莉子を案内した。
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