兵庫県知事の「画が汚い」発言から始まり、
視聴率の問題などなかなか厳しい評価が続いていますね^^;
松ケンファンなのでほぼ毎回見ていますが..
これから面白くなるんじゃないかと期待して。
私自身子供のころ頼朝と政子を描いた「草燃える」
(大河ドラマ)ファンで鎌倉を旅したこともあるぐらいなんで、
源氏のことは多少は知ってるものの、平家のことはよく知らない
昨日TBSで放送された平清盛についての特番を見てみました。
ウィキペディアでの清盛はこちら
清盛といえば「暴君」の印象がついて回りますが
実は情け深い人物だったとか。
まだ幼いおつきの者が朝寝坊してもそっとして起こさなかった
とか、大輪田の泊(港)埋め立て事業の際、「人柱を」と
提案した家来に「人の命をなんだと思っておる」といさめたとか。
しかし「平家物語」での描かれ方が
決定的になってるみたいですね
この話は鎌倉時代に書かれたということなので無理もないっすが。
593年に建立された厳島神社を今の形にしたのは清盛で
海上に立っている美しいお社ですが
この海も元々あったわけでなく海水は引き入れた
鳥居から社殿までは地面であったらしいと
このごろの学説ではとかれているそうです。
瀬戸内海の潮位差4メートルで海中に立っている柱は3.8メートル。
緻密に計算されているんですなぁ。
床は水が抜けるようにとか浮くようにとか設定されていて
本殿だけは水が入らないように考えられてるそうです。
そして宋(中国)との貿易で日本では流通しづらかった
「お金」を流通させたとの事。宋銭を大量に輸入。
溶かして銅像を造るのにも使われていたらしい。
この宋銭は400年間も流通したんだそうです。
宋の船は大きくて、大宰府までしかこれなかった。
平安京の近くまで船を持ってきたかった清盛は
大輪田泊(おおわだのとまり)=現在の神戸港の礎に
目をつけた。しかしそのままでは風が邪魔をして
うまく船がとまれないので、約30ha埋め立て作業をして
風をシャットアウトしたんだそうです。
当時としては大事業だったんじゃないですかね~
こういう説明を聞くと面白いし、清盛って偉大な人だったのねと。
へぇへぇボタン押してしまいました(笑)
最後に清盛ゆかりの場所が紹介されてましたが
「六波羅蜜寺」(ろくはらみつじ)
平氏は六波羅を京都で拠点にしていたそうです。
(清盛の坐像があるお寺)
清盛が別邸内に建立した「若一神社」(にゃくいちじんじゃ)
ここには清盛が太政大臣就任時植えたという
くすのきの大木があるとのこと。
京都観光Navi若一神社
亀屋清永さんでは平安時代からの和菓子「清浄歓喜団」
比叡山の僧の秘伝で今も変わらぬ製法で作られている
んだそうです。香料入りのこしあん、外は「巾着袋」
を模した揚げ菓子。中国(唐)のお菓子だったようです。
お店のサイトがありますんで詳しくはこちらご覧ください。
宇治川沿いに建つお茶の「通圓」(つうえん)は創業1160年。
平治の乱で隠居した源氏の家臣が始めたお店なんですって。
詳しくはこちら
こういうお店があるわけですから・・京都は歴史ある街だなと
改めて思っちゃいますね~
~追伸~この記事を下書きしていたら祇園で痛ましい事故が
起こってしまいました。京都であのような事故がおこるのは
珍しいように思いますが。メインストリートで起きたんですね・・
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視聴率の問題などなかなか厳しい評価が続いていますね^^;
松ケンファンなのでほぼ毎回見ていますが..
これから面白くなるんじゃないかと期待して。
私自身子供のころ頼朝と政子を描いた「草燃える」
(大河ドラマ)ファンで鎌倉を旅したこともあるぐらいなんで、
源氏のことは多少は知ってるものの、平家のことはよく知らない
昨日TBSで放送された平清盛についての特番を見てみました。
ウィキペディアでの清盛はこちら
清盛といえば「暴君」の印象がついて回りますが
実は情け深い人物だったとか。
まだ幼いおつきの者が朝寝坊してもそっとして起こさなかった
とか、大輪田の泊(港)埋め立て事業の際、「人柱を」と
提案した家来に「人の命をなんだと思っておる」といさめたとか。
しかし「平家物語」での描かれ方が
決定的になってるみたいですね
この話は鎌倉時代に書かれたということなので無理もないっすが。
593年に建立された厳島神社を今の形にしたのは清盛で
海上に立っている美しいお社ですが
この海も元々あったわけでなく海水は引き入れた
鳥居から社殿までは地面であったらしいと
このごろの学説ではとかれているそうです。
瀬戸内海の潮位差4メートルで海中に立っている柱は3.8メートル。
緻密に計算されているんですなぁ。
床は水が抜けるようにとか浮くようにとか設定されていて
本殿だけは水が入らないように考えられてるそうです。
そして宋(中国)との貿易で日本では流通しづらかった
「お金」を流通させたとの事。宋銭を大量に輸入。
溶かして銅像を造るのにも使われていたらしい。
この宋銭は400年間も流通したんだそうです。
宋の船は大きくて、大宰府までしかこれなかった。
平安京の近くまで船を持ってきたかった清盛は
大輪田泊(おおわだのとまり)=現在の神戸港の礎に
目をつけた。しかしそのままでは風が邪魔をして
うまく船がとまれないので、約30ha埋め立て作業をして
風をシャットアウトしたんだそうです。
当時としては大事業だったんじゃないですかね~
こういう説明を聞くと面白いし、清盛って偉大な人だったのねと。
へぇへぇボタン押してしまいました(笑)
最後に清盛ゆかりの場所が紹介されてましたが
「六波羅蜜寺」(ろくはらみつじ)
平氏は六波羅を京都で拠点にしていたそうです。
(清盛の坐像があるお寺)
清盛が別邸内に建立した「若一神社」(にゃくいちじんじゃ)
ここには清盛が太政大臣就任時植えたという
くすのきの大木があるとのこと。
京都観光Navi若一神社
亀屋清永さんでは平安時代からの和菓子「清浄歓喜団」
比叡山の僧の秘伝で今も変わらぬ製法で作られている
んだそうです。香料入りのこしあん、外は「巾着袋」
を模した揚げ菓子。中国(唐)のお菓子だったようです。
お店のサイトがありますんで詳しくはこちらご覧ください。
宇治川沿いに建つお茶の「通圓」(つうえん)は創業1160年。
平治の乱で隠居した源氏の家臣が始めたお店なんですって。
詳しくはこちら
こういうお店があるわけですから・・京都は歴史ある街だなと
改めて思っちゃいますね~
~追伸~この記事を下書きしていたら祇園で痛ましい事故が
起こってしまいました。京都であのような事故がおこるのは
珍しいように思いますが。メインストリートで起きたんですね・・
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