不器用母娘の甲状腺記

甲状腺癌というのは、早期発見できれば、予後がよく知られているようですが、情報が少ない癌なので、情報源になれればと。

最初に覚悟したこと

2009-05-04 22:36:38 | 日記
母は元々高血圧で、
15~6年降圧剤を服用していた位だったのですが、
高熱続きで体力が奪われたのか、
あまりにも貧血がひどく、
入院してすぐに、
医師から、もしかしたら、輸血の可能性も・・・と言われてはいました。
私はのんきで、元々、
母と毎日いたのと、食事は摂れていたこと、
元々、母は色白なこともあり、
異常な顔の白さに気づけなかったのです。

母本人に告知する準備の前に、
入院5日目に突然、病院から電話があって、
「午後から輸血をします。同意書にサインをお願いします。」
という電話がかかってきました。

その時に、真っ先に私がしたことは、
母が加入している葬儀プランの確認の電話でした。
祖母を亡くした時も、ちょうど、
母は他の病気で入院中で、
実質的に葬儀は私中心で行っていたので、
変なところだけ冷静になっていました。
食事をして病院にも向かったし、
病気の家族に向かい合うには、
本当にこちらも体力勝負なのです。

『輸血』
今まで全く縁のなかったものです。
本当に情けないのですが、
この時は半泣き状態で病院に行って、
私の顔を見た母は、
「まだ死なないから」と言ってましたね。
これも本人はまったく今となっては覚えていないそうですが。
母は強し、です。
母と私は違う血液型なのですが、
母もこの時は相当不安があったようで、
「遊の血だったらいいのに」ということを言ってました。
看護師さんが10分おきに、
熱や血圧を測りに来て、
(合わない血液だと、すぐに高熱が出たり副作用があるようです)
確か、4時間ほどかけて1日8単位しました。
輸血は2日めも8単位で、
合計16単位しました。
無事に終わったときは、本当に感謝したい気持ちになりました。

驚くくらい、顔に血の気が戻って、
みんなに「顔色が良くなったね」と言われていました。

本人は、
「この血は誰の血なのかしら」とずっと輸血中は考えていたようです。

私は献血が趣味なのですが、
この時に、自分の血がこういうふうな使われ方をしているんだなぁと、
初めて実感することが出来ました。



※ちなみに輸血は、
保険適用ではなく、自費となります。