クラムとジジイの泣き笑い

一人暮らしのジジイが、Mシュナを飼う事にになった。小型犬故、寿命は、20年か?私は90歳まで長生きしなければいけない。

クラムのダイエットは進まない

2013-03-25 11:20:52 | 日記
クラムのダイエット進まない。焦っても仕方ないと思うものの、ちったあ効果が表れて欲しいものだ。
昨夜もワタクシの寝ている布団の上に、ノッソリとあがりこんできた。しかもワタクシの股座の真ん中で寝そべってしまう。足で押し戻そうとするが、動きもしない。重い。仕方なくワタクシが畳へ身体をズラす始末だった。
老人性乖離3
可愛げのない孫、飲んだくれの亭主、金銭感覚に乏しい娘、すべてが均の思惑とかけ離れていた。娘の春菜は社会に一度も出ることも無く、大学を卒業すると同時に結婚、出産、子育てと主婦としての道を邁進してきたが、料理は殆どしない。子供たちの食事は彼らの要望どうりスナック菓子が中心で亭主のそれは、店屋物で済ましている。子供たちは均の作る料理には「気持ち悪い」と口にせず、ヤレ寿司だ、ウナギだ、天丼だと贅を尽くす。当然払いは均の受け持ちだ。春菜は亭主から稼ぎの多寡を知らされていないのか、金の使い方に疑問符がつく。均はたまりかねて「お前たちの食事は食事ではない、オヤツだ。身体の成長にも良くないし、贅沢だ。」と苦言を呈すると「いいもん。だって、おいしいもん」と子供たちも加勢する始末。「じゃあ、金はどうする。」と問えば「ジジイが払えばいいじゃん」と糠に釘だ。

走るゴミ箱が帰ってきた。

2013-03-24 10:12:27 | 日記
2日間消えていた車が、舞い戻っていた。3年間この道路で夜明かししていたのに、どこで何をしてきたのだろう。河岸を変えてみたがヤハリこの地が落ち着くのだろう。シートを倒し、ハゲ頭が眠っていた。車の中は、相変わらず、走るゴミ箱だ。でも無事だったんだ。クラムは“座り込み症候群”を連発する。従って時間の割には歩いていない。今朝の散歩時間1時間の結果は、いきいき歩行時間14分、いきいき歩数865歩である。それでいて、食欲は落ちていない。帰宅すればジャレついてくる。原因は判らない。
老人性解離(仮題)
均はトイレまでの往復で灌漑に耽った。「オレは、なにをしているのだ。何故遠慮しなくちゃいけないんだ!」無性に腹がたつ。やり場のない怒りが腹の底から噴出してくる。きちんと決着をつけよう。均は、娘一家との同居など、露ほども考えていなかった。3年前、孫の顔を見せると言う電話が始まりであった。「思ったより広いのね。」と2人の孫と共に居座ってしまい、その内に亭主の貞夫も転がり込んできた。何でもリストラに会って失業中と言う。それでUターンして再起を図りたいらしい。均は「再就職するなら、首都圏でしょう。大分なんて仕事無いよ。」と口を酸っぱくしていったのだが、「首都圏は競争相手も多く職探しは困難だ。こっちには友人も多くいるし、親戚の伝をも頼って探すほうが楽だ」のご託宣だった。38歳にして、垂れ下がった腹、たるんだ頬、どこを見ても覇気が感じられない。リストラに会うはずだ。取り敢えず職を見つけて、住まいの手筈が付く迄の同居と言う事で、一応、納得させられた。血の繋がりは無いと言えども娘の懇願には弱い。しかしこれが齟齬、誤謬の始まりであった。 つづく。

居る者が居ないと、気になる。

2013-03-23 08:33:05 | 日記
いつもウヲキングで通る遊歩公園の脇は常に数十台のトラックや乗用車が仮眠をとっている。そんな中に盆暮れ、正月関係なく十年一日の如く“本眠”を取っている乗用車があった。初年度登録は30年を遥かに超えた代物で、時々トランクの蓋が半開きなって停車していたが、ひと頃一世を風靡した車である。ホームレスの範疇に入れるのだろうか疑問だが、そんな車が昨日、今日とみあたらない。どうしたのだろう。車検切れになったのだろうか。もしそうだとしたら車検費用を捻出できるのだろうか。気になる。
帰郷して5年、この道をウヲキングしていていると仮眠の常駐車が判ってくる。ここを仮の住所と決め込んでいる車が7台あったが、車検切れ、病気入院等からか、次々に消息を絶った。そのうちの一台だった。そこで、その理由を物語風に考えて見る。
『老人性解離』
前方に駐車していた大型トラックが、いつの間にか活魚運搬車に入れ変わっていた。異常に高いエンジン音で目覚めたら、午前4時である。定時に到着した四国航路のフェリーから下船した車だろう。「煩い!」とモンクを付けたところで、お互い様である。均は諦めてまた眼を瞑った。明るくなるまで二度寝するつもりだったが、一度目覚めると、次には猛烈な尿意が襲ってきた。ここからトイレまで距離は50m程ある。均は、幼い時から羞恥心が先だって、立ち小便ができなかった。成長すると、罪悪感も伴ってマスマス立小便できなくなっていた。厳しい寒さと戦わなくてはならない。二度寝どころではなくなった。「いつまで、こんな事しているのだろう。」均は一昨年の夏から、足掛け2年ここで寝泊まりしてた。我家が無いわけではない。築45年ではあるが、敷地75坪のマイホームを所有していた。今、その家は娘一家が占拠している。娘と言っても血の繋がりは無い。8年前事故死した妻の連れ子である。         つづく。

だるま日の出には2つの条件があった。

2013-03-22 10:53:01 | 日記

昨日、鶯の初音を聞いて気を良くして帰宅していると、日の出がダルマ状に輝いていた。ツクソウ又もやカメラが無い。3年間追いかけて1度も、お目にかかれなかったのが、今年3月に入って2度目であった。悔しいたらありゃしない。それで今日“柳の下の二匹目”を狙って、一眼レフを下げてウヲキングにでかけたのだが、アイニク“泥鰌”はいなかった。そこで昨日の気象条件を振り返って見ると、晴天で一昨日の強風も和らいでいた。何故こんな簡単な事に気が付かなかったのだろう。強風がモヤを吹き飛ばしていたのだ。強風の吹いた翌日の晴天の朝が、ねらい目なのだ。こんな簡単なことに.....ツクソウ3年間も無駄に費やした。。

初音は嬉しい

2013-03-21 08:34:18 | 日記

今朝、ウヲキングの途中、鶯の鳴き音をきいた。キレイな鳴き声である。なんだか嬉しくなった。遊歩公園の樹林から聞こえてくる。鶯と言えば梅だが、この遊歩公園には、梅ノ木は一本もない。松、楠、樫ばかりで、せいぜいあって椿ぐらいだが、どの木で鳴いているのだろう。別名「春告げ鳥」と言うが今年は、春が早い。桜も木によっては満開である。