5時だよ、ゴハンだにゃん

(元)外ねこさんに支えられる日々と、
野良猫さん一家TNRの記録

今更ですが…今年もよろしく

2018年02月28日 | つれづれの日々
近頃、日々が過ぎるのが早くてねぇ…気づいたらネコの日に下僕はひとつ年齢まで加算されていた。
静岡では近年稀な雪が降ったり
         
なにかと落ち着かないことが多い毎日。

節分に今年一年の平穏を祈念。

         

         


仕事柄 年末も年始も関係なく働いているのはいつものことなのだが、今回の年末年始はなんというか
ハードだった。カラダはもちろんだが、若いて言うなら気持ちが…ということになるだろうか。
転職して丸一年。とても濃い経験ができた1年だったと思う。

介護付き有料老人ホームということで、その利用者さんのほとんどがホームでの看取りを希望されている
けれどその看取りの形はさまざま。
老衰という形での看取りもあれば、ガン末期などでend of life careを求めて入居される方も多い。
もちろん施設であって病院ではないのだからできることはごくわずかしかない。
「治療」「救命」という現場に身を置いたことしかなかった私には、回復期病院で感じた以上の気持ちの
行き詰まりがあった。
でも今は…ちょっと変わってきてるかな。

解離性大動脈瘤を発症し、緊急OPで生命の危険は脱したものの術後経過が振るわず廃用症候群となり
嚥下機能が著しく低下。リハビリ介入しても本人の意欲も体力もついていけずリハビリ否適用…
状態改善の見込みがない…という判断で施設入居になった。
入居時、3口食べれば2口誤嚥する状況で、摂取が許されているのはミキサー食や栄養補助飲料のみ。
それでもかなりの頻度でむせる有り様で、誤嚥性肺炎を回避するうえでは限られた形態の食事しか
食べられないのは明らかだった。
食べたいのに食べることを許されないことに本人は苛立ちを隠せず、家族に買って来てもらったという
クロワッサンの入った袋を抱えて硬い表情での入居だった。ご家族も対応に苦慮、疲労困憊していた。

さてどう対応していくか…誤嚥性肺炎を招かず、尚且つ少しでも心穏やかに過ごしてもらえる策は
ないものか…看護も介護も一緒になって考えること数日。硬い表情は解けず、声を荒げることもあった。
けれど関わりの中で次第に利用者さんの「人となり」が見えてきた。
病気を発症するまで地域の代表として働き、震災の折には被災地へも赴いたというその方はきっと
つよい意志と自分の在り方を持っているのではないか?

          「死んでもいいから、食べたいと思うものを食べたい」

それが答えだった。自分のend of lifeの在り方は自分で決めることができなきゃいけない。
ならば…徹底的にその意志に寄り添うことが私たちのすべきこと。救命を目的とする病院では決して
許されないが、ここでなら…できる。
ご家族も「お父さんらしいね」「それが満足する生き方ならいいと思う」と。

ご家族にも協力していただき、様々なものを差し入れていただいた。
食べたい!と抱えていたクロワッサン、大好きだと言っていたクリームパン。
体調を心配したご近所さんからいただいた大きな蜜入りリンゴ…。
もちろん姿勢や小さく切るなどの配慮は加えさせてもらった。でもなにひとつ食品食材の排除はしなかった。
飲み込めなければ出せばいい。むせてしまったら吸引しよう。
          「食べたいものを選び、口に運び、咀嚼し、味わって」もらおう

ナースのいない夜間は飲水用のゼリーだけ。これが唯一のルール。「わかった」と了承して、遅番の
ナースが仕事を終えるころ毎晩きまってコールを鳴らした。
          「アイス食べたい」
ひとさじずつゆっくりゆっくり味わって
          「うまいなぁー」「うまいなぁー」と言って笑った。
          「ありがとな…」亡くなる前夜、そう付け加えてまた笑った。

看取りの主役は「死に逝くその人」だ。けれど看取らせてもらう側もまた、その姿を自分に置き換え自分自身に問いかける。
自分はどんな風に逝きたいか、どんなふうに看取られたいか。
それを考えたとき、死に逝くその人に寄り添うこと…が少しわかった気がする。

今はもう廃版になってしまった(タイトルを変え追加編集後発売されているらしいが)
下田治美さんのエッセイの中でハルさんは息子の龍之介君にこんなふうに問いかける。(あくまでも怪しい記憶による雰囲気でw)
「ハルさんが死んでしまうとしたら君はどう思う?」
龍之介君は答える「ゴハンが食べられない、洗濯してもらえない…」
そんな龍之介君にハルさんは畳み掛ける「君は自分のことばっかりだな。死んでいくハルさんがかわいそうだとは
思わないのかい?」

誰かの死を目の当たりにするとき、それが近しい人であればあるほど大きな喪失感や失うことへの不安を覚えるものだ。
そして大切な人を失う自分の悲しさや寂しさに囚われてしまう。
看取りはその人に寄り添い、ともにその人の人生を慈しむことだと思う。
看護学校の卒業時…彼此30年ほど前になるが、自分の看護観を書く機会を与えられた。
その時書いた私の看護観は「その人の可能性を信じること」
当時の私はたぶん「生活を取り戻す」ことへの可能性を信じるという意味で書いたのだろう。
齢を重ねて今は少しだけ違う。
その人が「今をよりよく生きて逝ける」その可能性を信じて寄り添うこと そんな風に思っている。


さて、そろそろ家猫生活も板についてきたんじゃないかと思われているだろう(←そうかーあ?笑)「かいせんくん」
期待の斜め上を行く塩対応…板をひっくり返しておりますわ。オペ&保護時は鷹揚な子なのだろうと思ったものだが、
いやいやいや…相変わらずのしゃーしゃーっぷりwww加えてもんのすごい「ビビリ」だということが判明。
ケージの上段の敷物を交換しようとするだけでじょーじょーじょー…とビビリしょんorz
今や私が保護部屋にいる気配がする間は、決してゴハンも食べない。うっかりトイレ中に訪室しちゃうと、トイレの中で
ゆうに30分は固まる始末
早くケージから出してあげたい…と、陽当りのいいふわり部屋に移動させたものの、これではおそらくケージフリーにしたら
ひたすら逃げ惑うか、寒ーい隅っこに固まるか…のどっちかだわ。
それでもケージよりいいだろう…と追加のアドバンテージプラス滴下の予定を立てた頃、かいせんくんが食べなくなった。
水も飲まない。
強烈な臭いの涎が増え、前足も敷物も汚れてきた。おそらく口内炎が悪化したものと思われた。
ope時に口腔内を確認してもらった際は、それほど大きな問題はなかったはずだ。が、思い起こせばあの頃は、疥癬の悪化で
掻把した皮膚が感染を起こさないよう抗生剤を継続的に投与していたんだった…。
しかしながら、このビビリっぷりでは継続的な通院は難しいし、それ以前に診療そのものが無理だろうし…。前回のオペ時に
麻酔導入で呼吸停止したという状況では、抜歯はおろかレーザー蒸散もハイリスクだ。ベースにFIVがある以上、今後も悪化と
軽快を繰り返すのは必至。結局、投薬でコントロールするしかない。
とりあえず痛みを抑えるために数日だけステロイドを使った。
食べないけど食べたくないわけじゃない。こんな時の「銀スプ」ウエット。大好物だけに、頑張って食べてくれた。よしよし。
ステロイドが効いて痛みが軽減、食欲も上がってきたところでジスロマックへ切り替えた。
          
1Wほど前の1ショット。今はもうちょっときれいになってるかいせんくんだ(笑)ウェットはコンスタントに入るようになり、
足りない分はドライを口にするようになってきた。まだまだ臭いはきついが、涎の量も減ってきた。
もう一息。気を抜かずにもう一息。

保護部屋の窓から見える畑で、豆の蔓が空へ向かって伸び始めるころには、かいせんくんもケージフリーになれるかな?と
ひそかに期待してみる私だ。

ぽぽとゴローも元気に減築中w


2Fのネコ部屋では4匹のまったり生活が継続中。

          

ぶっちゃん。畑の河津桜が咲いたよ。明日から3月。