☆★ 正月の飾りをぴーとして焼却処理する序でに、その炎で餅でも焼いて小腹を満たす日。 小腹が落ち着けば、“尖閣諸島開拓の日”である本日がテーゼを熟考せねばなるまい。☆★ アメリカ大統領とイギリス首相が、戦争の真っ最中にもかかわらずカサブランカでバカンスを楽しむ(1943年)。 この休暇中、ルーズベルトとチャーチルは日独伊に対して無条件降伏を要求する方針を確認。☆★ 残酷にも南極に置き去られたタロとジロの兄弟が生還(1959年)。 &so 文学座の左巻きな面々に辟易とした芥川比呂志や岸田今日子らが、雲となって福田恆存の許へ往還(1963年)。
本日記載附録(ブログ)
小惑星イトカワのサンプルを地球に持ち帰った「はやぶさ」
太陽系の形成や進化の謎を探るため、「はやぶさ2」の開発がいま急ピッチで進行中だ
探査機に搭載する観測機器のスペシャリスト、岡田達明教授……
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
=太陽系の進化の謎を探るため、探査機に搭載する観測機器のスペシャリスト=
岡田達明(09) ◇◆第4回 イトカワにはなぜクレーターがほぼないのか =1/2= ◆◇
岡田さんのデスクには、イトカワの2000分の1スケールモデルが置いてある。
あえて3Dプリンタを使わず、イトカワの比重を再現したものだそうだ。
「えーと、ここ分かります? この平らなところ」と岡田さんは指さした。
「ここにはやぶさが降りてサンプルを取ったんです。探査機にとって地形的に平らでないと危険なのでだめだし、自転との関係や探査機の形からいって、着陸できるのが小惑星の赤道付近に限られてしまうので、この辺しかなかったんですね。本来は現地に到着してから、分光観測で科学的成果を最大にできる場所を探したかったわけですが、もう安全面からいって降りられる場所が、そこしかなかったんです」
そこしかなかった、という割には、小惑星イトカワの屈曲部にも近い。地表は「平ら」ではあるが、そこに安全に近づき、離れること自体、かなりアクロバティックな運用を要求されそうだ。
その話になるかと思いきや、岡田さんは模型を手にとって「これ軽いんです。でも、重いんです」と不思議な発言をした。
ぼくも手にとってみるとずっしり重い。片手で振り回すと危なそうだ。軽いか重いかと聞かれたら、重いと答えるだろう。
「イトカワって、岩石で出来ているものとしては、どちらかというと軽いんですよ。それを表現したくて作ってみた模型なのですが、逆効果でしたね。これ、日常的な感覚では重いですからね」
そう言いつつ、岡田さんはしげしげと小惑星イトカワの模型を眺めた。
そして目を細めこのように述べた。
「私、やっぱり最初に景観として考えてしまうんです。まずイトワカをみて思うのは、クレーターが少ないことですね。宇宙空間に露出しているわけですから、月みたいにクレーターがあっていいんです。宇宙空間には隕石とか、そういうものが飛び回ってるんで、必ずぶつかっているはずなのに、歴然としたクレーターっていうのは、ほとんどないんですね」
クレーターがほとんどない理由。地球のような火山活動・地殻変動をはじめ地表面での活動が活発な惑星だと、クレーターの穴が何かで埋まったり、地球規模の大きな活動の中で消えてしまうことも多い。でも、今の月や小惑星の表面ではそのようなことは起きないので、できたクレーターは長期間そのままのはずなのだ。
では、イトカワでは何が起きているのか。
「例えば、砂場に石をパーンと当てればクレーターはすぐできますよね。でも、固い岩が寄せ集まったようなものなら、きれいなクレーターにならないで、ブロックが崩れるがごとく崩れちゃったのかもしれません。ひとつひとつの構成粒子が大きすぎて、きれいなクレーターにならない、と」
実はこれは「はやぶさ」の観測ではっきりわかってきていることの1つだ。X線分光計ではなく、主に可視光の映像やイトカワ近傍での重力を解析した成果。自分の観測機器によるものではないが、地形に惹かれる岡田さんの面目躍如で、実にいきいきと語ってくださった。
・・・・・・明日に続く
…… 参考資料: イトカワ (4/7) ……
出発までの苦闘と1998 SF36の観測
MUSES-Cは1998 SF36を目指すことが決定したものの、出発までにまだまだ苦闘は続いた。まず問題となったのが北半球のアメリカユタ州の砂漠地帯に帰還する予定であったMUSES-Cの帰還カプセルであったが、1998 SF36の軌道傾斜角の関係上、南半球に帰還しなければならないようになった。アメリカとの協力関係を構築していく中で、アメリカユタ州への帰還時に全面的なバックアップを受ける予定であったものが、南半球への帰還が必要となった時点で協力関係の枠組みが崩れそうになった。結局アメリカ側との再協議が行われ、1998 SF36からのサンプルの10パーセントをアメリカ側に渡すという当初の約束をそのまま維持した上、MUSES-Cによる1998 SF36観測へのアメリカ側からの参加機会の確保や、1998 SF36からサンプルリターンされた試料の初期分析に携わる科学者やアドバイザーをアメリカ側からも受け入れる等の合意がなされ、協力関係は維持されることになった。
また2001年には地球に接近した1998 SF36の光学およびレーダー観測が行われた。その結果、1998 SF36は約300×600メートルの楕円形をしたS(IV)型の小惑星であり、自転周期は約12時間であることが判明した。MUSES-Cは小惑星にタッチダウンしてサンプル採集を行う探査機であるため、あまり小惑星の大きさが小さかったり、また自転周期が早すぎるとサンプル採集が困難となるが、1998 SF36の大きさと自転周期はサンプル採集に支障がないものと判断された。
一方、1998 SF36へ向かうMUSES-Cの製作は難航していた。特に小惑星と探査機との距離をレーザー光線で測定する、LIDARという機器の開発が難航した。また2002年4月に発生したMUSES-Cの高圧ガス系の気密を保つためのOリングという部品の破損事故の際、Oリング自体が仕様と異なる材質で作られていることが判明し、それらの対策に日時を要したため、2002年9月になって2002年12月のMUSES-Cの打ち上げは断念し、ラストチャンスである2003年5月に打ち上げられることが決定した。
イトカワと命名される
2003年5月9日、内之浦宇宙空間観測所からM-Vロケット5号機によってMUSES-Cは打ち上げられ、はやぶさと命名された。打ち上げ後、はやぶさはEDVEGAを用いて1998 SF36を目指すため、5月末からイオンエンジンの運転を開始した。そして宇宙科学研究所ははやぶさの目的地である1998 SF36に、日本のロケット開発の父・糸川英夫の名前を付けるよう命名権を持つ発見者のLINEARに依頼した。LINEARはこれを受けて国際天文学連合に提案、2003年8月6日に承認されて「ITOKAWA」と命名された。
2004年5月19日には、はやぶさはEDVEGAによる地球スイングバイを成功させ、秒速30キロメートルから34キロメートルへと増速がなされ、予定通りイトカワへ向かう軌道に乗った。
しかしはやぶさの行程は順調なことばかりではなかった。
2003年11月4日に発生した大規模な太陽フレアの影響で、はやぶさの太陽電池が劣化したことにより発電能力が低下したため、2005年6月の予定であったイトカワへの到着時期を3か月遅れの9月にせざるを得なくなった。そこではやぶさのイトカワ出発時期も2005年10月の予定から12月へと変更された。
2004年、イトカワは再び地球に接近し、プエルトリコのアレシボ天文台の電波望遠鏡によってレーダー観測が行われ、ジャガイモ状をした大まかな形状が明らかとなった。
・・・・・・明日に続く
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=小惑星イトカワの姿=
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