☆★ 弓道の腕比べのための聖地、京都・三十三間堂が落慶(1165年)。 おぉ慶賀落涙、なれど 武道の華を示さんとする赤穂からやって来た47名の不逞浪人が吉良上野介の屋敷に押し入ってリンチ殺人(1703年=赤穂事件)を起こす。☆★ マハトマ・ガンディーが、やって来た刺客に対し非暴力を貫いて死亡(1948年)するも、平和ボケの豊国では長電話の好きな女性を追放するために、公衆電話で10円でかけられる市内通話を3分に制限(1970年)。☆★ 世界的に権威ある科学雑誌『Nature』に、小保方晴子と笹井芳樹のSTAP細胞をネタとした作文が掲載(2014年)、結果的に同誌がただの週刊誌並みのマスゴミであることが暴露されることに。
本日記載附録(ブログ)
「自らロボットを作り、さらにそれを無限に改良していくロボット」の研究論文で脚光
レントゲン、アインシュタインなどが学んだチューリッヒ大学・バイオロボティクス研究室ディレクター
「生物にアイデアを得たロボット」を研究している飯田史也教授
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
若いうちに違う見方をしたい、と “ロボット大国”日本をあえて飛び出した
飯田史也(06) ◇◆ 第3回 あのルンバは「条件反射」だけで動いていた! =1/2= ◆◇
飯田さんの研究室では、ロボットの研究をするにあたって、常に生物を意識する。
生物がおそろしく「効率がよい」というのが1つの理由として挙げられたが、それは、エネルギー効率やら計算効率やらを、身体そのもののメカニズムによってクリアしているという事実に基づいているようだ。我々は、自分たちの行動が脳によって支配されていると考えがちだが、飯田さんの観点からは、「体に脳がついていっている」のである。
このような発想の萌芽は、実はかなり古くからあるという。
「アラン・チューリング、ジョン・フォン・ノイマンといったコンピュータを創った科学者も生物にすごく興味があって、例えば生物の生殖、つまり、自己増殖、自己組織化の研究をしました。20世紀前半です。でも、一番よく知られているのは、20世紀半ばに提唱されたサイバネティクスですかね。ノーバート・ウィーナーという科学者がいて、機械と生物の制御が結構似ているんじゃないかと橋をかけた。現在の制御工学につながる流れです」
ここでいう「生物への興味」は、数学的な観点から生物をどうやって理解したらいいのかという点に集約されている。工学的な成果としても、コンピュータそのものの進展であったり、一般的な機械の制御について理解が進んだ(制御工学)。コンピュータは言わずもがなだが、制御工学は黒子として非常に重要で、我々が日常的に接している多くの機械、たとえば、自動車も、飛行機も、エアコンもすべて、その理論とノウハウによって支えられている。
「1950年代から制御工学が発展して、それに続いて、AI、人工知能の研究が盛んになります。それが1980年くらいまで。それから後で、ロボットの研究が盛んになってくるんですが、ある意味でツールなんですよね。生物を理解するためのツール。その最初の頃に、ロルフ・ファイファーやロドニー・ブルックスという研究者が出て、ロボットを使って生物の勉強をし、更にその成果をロボットの開発に還元し始めたという流れです。ロドニー・ブルックスは、僕がポスドクで研究していたMITコンピュータ科学・人工知能研究所の所長でした」
ファイファーやブルックスは、ロボット工学の専門家の世界では、主流派とはちがったアプローチをとる研究者として知られているようだ。ファイファーは「身体性認知科学」という、それこそ飯田さんが言うような、「体に脳がくっついてくる」発想の認知科学を提唱した。21世紀になって、かなり注目されている。一方、飯田さんのMIT時代のいわば「大ボス」であるブルックスは、生物研究をロボットに応用し、飯田さんの「バイオ・インスパイアード・ロボティクス」のひとつの源流になった。
ブルックスは、MITの研究所長時代から共同創設者として関わってきたロボット企業で、一般にもよく知られる成功をおさめている。
「ご存じか分かりませんが、お掃除ロボットのルンバって、ブルックスが育て上げた製品なんですよ。もともとは昆虫の研究から来ているんです。昆虫はどうやってあんな小さな脳で機敏に動けるのか研究している間に、それまでのコンピュータ・サイエンスがやってきたロボティクスとは全く違う設計手法を提案したのがブルックスです。そしてその最初の代表的な製品がルンバなんです」
知らなかった。相当驚いた。ルンバというと、アイロボット社というベンチャーが創り出した世界的ヒット作で、家庭用の実用ロボットとしてははじめて成功した製品ではないだろうか。今では、様々なメーカーがコピー製品を出している。ぼく自身、初期モデルを一時使っていたことがあり、その動き方に魅了された記憶がある。
・・・・・・明日に続く
…… 参考資料: ノーバート・ウィーナー ……
ノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener, 1894年11月26日 – 1964年3月18日)は、アメリカ合衆国の数学者。ミズーリ州コロンビア生まれ。サイバネティックスの提唱者として、確率過程論におけるウィーナー過程としても知られている。
アメリカのミズーリ州・コロンビアで生まれたウィーナーは、幼年期より数学や語学など多方面の学問を修めていた父のレオ・ウィーナーから英才教育を受けており、自身もその才覚を遺憾無く発揮、18歳の頃には数理哲学分野でハーバード大学から博士号を得ていました。
1910年、コーネル大学大学院に移籍し、哲学を専攻した。翌年再びハーバード大学に戻り、哲学を続けた。1912年、18歳のときに、数理論理学に関する論文によりハーバード大学よりPh.D.を授与された。そして、ケンブリッジ大学に留学し、バートランド・ラッセルの下で学ぶ。G.H. ハーディの数学の講義に感銘を受けたらしい。1914年には、ゲッティンゲン大学でダフィット・ヒルベルトやエトムント・ランダウの下に学ぶ。
ウィーナーは確率・統計の研究やブラウン運動の研究などで知られますが、彼の業績を語る上で外せないのは第二次世界大戦後に同名の著書の中で提唱した「サイバネティックス」でしょう。
この「サイバネティクス」とは生物個体と通信機械を同様に一つの目的達成のためのシステムとして捉えたとき、両者ともに「外部からの情報を集めてその行動の結果を予想し、次の行動を取る」という機構を備えているという観点から両者の制御システムや構造に関する一般的な理論を求め、その制御技術を確率するという学問です。
現代における計算機科学の基礎を作ったといっても過言ではないこの理論は、この分野で同様の立ち位置であるクロード・シャノンによる「情報理論」と同年である1948年に発表されました。
これらのウィーナーとシャノンにジョン・フォン・ノイマンを加えた三人は現代でも「情報科学の創設者」と位置付けられることもあります。
この「サイバネティクス」の考え方は現代でも神経科学や人工知能研究などに大きな影響を与えています。
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