偏平足

里山の石神・石仏探訪

里山の石神端書127 閻魔、奪衣婆(群馬県桐生市)

2022年10月13日 | 里山石神端書

桐生市黒保根町下田沢・楡沢の閻魔、奪衣婆  


 赤城山の東山中にある楡沢にはいろいろな石造物が残っています。


 その一つは閻魔と奪衣婆。この二者が対で立つ光景はときどき見かけますが、楡沢に二者は高さが90センチ前後の坐像ですから等身大。顔が大きく表情も豊かですから迫力もあります。造立は正徳(1711~16)のころ。300年前にこの山中にどのような集落があったのかはわかりませんが、東光寺と赤城大明神・忠綱大明神社いう寺社を中心にした信仰厚い人たちが住んでいたようです。
 忠綱は平安末期にこの地方を支配した足利忠綱。平氏方について戦い鎌倉期前に滅びた一族で、足利や桐生に忠綱を祀る神社はあるものの楡沢との関係はわかりません。


 楡沢の集落が古いということは、同所に立つ二基の石幢からもわかります。石幢はどの地方でも中世から江戸時代中期までに建てられています。黒保根の石幢は元禄時代前後の造立です。ここには「正徳二年(1712)」銘の庚申塔や二猿庚申塔もあります。


 もっと古い石造物が赤城・忠綱神社にある宝形造り石祠です。いくつもの石祠が並ぶ中央の一番大きなものに「干時寛永二(1625)」銘があります。後世の追刻の印象もありますが、黒保根村のこの形の石造物のほとんどが江戸時代初期造立のものです。
(地図は国土地理院ホームページより)




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