偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏493船原峠(静岡)

2014年01月20日 | 登山

船原峠(ふなばらとうげ) 題目塔(だいもくとう)

4930 4931 【データ】船原峠 574メートル▼国土地理院25000地図 達磨山▼最寄駅 伊豆箱根鉄道駿豆線・修善寺駅▼登山口 静岡県伊豆市上船原▼石仏 船原峠。左地図の赤丸印。右地図の青丸印は南無妙峠の題目塔

 49324933 【案内】修善寺と湯ヶ島の間にある集落が船原。そこから西伊豆の土肥に出るのが船原峠で、船原の人たちには土肥峠とも呼ばれていた。国土地理院の地図にも「土肥峠(船原峠)」と、二つ表記してある。しかし湯ヶ島で泊まった宿の主人は、船原峠の南にある持越からの道が土肥峠だといっていた。峠の先にある村名が峠名になることが多いので、どちらも正しく、二つとも狩野川沿いの村から土肥へ通じる道であった。この二つの峠のあいだには吉名峠と南無妙峠もあり、修善寺や湯ヶ島がある中伊豆から海側の西伊豆の間に横たわる伊豆山稜に、、いくつもの峠があった。
 なかでも船原峠はよく利用された峠のようで、3つの石仏が並んでいる。馬頭観音と地蔵菩薩と題目塔である。日蓮宗で唱える「南無妙法蓮華経」を刻んだ題目塔は、ひげ題目とも言われた、文字の端を髭(ひげ)のようにはねる豪快な書体。下に〝花 4934 押〟が入る石塔が多いことは、このブログの官ノ倉山(埼玉)の【独り言】で案内した。船原峠の題目塔にも花押が入っていた。側面に「道請負 土肥 功徳方仁兵衛 世話方重兵衛 天保第十四龍年卯月令辰」とある。「峠道を造るにあたり、土肥の重兵衛が動いて、仁兵衛が金を出し、天保
14年(1843)に完成した」と読んでみた。「令辰(れいしん)」は、良き時。
 残念なことに、これらの石仏はすっかり忘れられたようで、藪のなかに沈んでいてわかりにくい。峠から伽藍山方面に登りだしてすぐ右手に踏み跡があり、その先の藪のなかに鎮座している。

 49354936 【独り言】船原峠の南に南無妙峠があり、ここにも大きな題目塔があります。大きな石塔で、土肥の方を向いています。道標を兼ねたもので、「右もちこ志」「左よし奈」とありました。土肥から来た道は、ここで持越と吉奈の集落に下っていったのです。造立は「文化元甲子年(1802)」、船原峠と同じく、こちらも土肥の人たちが立てたようです。中伊豆の中心は曹洞宗の修善寺がある修善寺。しかし、湯ヶ島をはじめ、特に西伊豆には日蓮宗の寺が目につきます。
 土肥には日蓮宗の名刹一楽山清雲寺があり、この寺が西伊豆一帯に日蓮宗を定着させたようです。この南無妙峠の題目塔には「一楽山」の銘がありました。そういえば、船原峠にあった題目塔には「一楽山三十世」らしき銘がありましたから、二つの峠の題目塔は、土肥の清雲寺がかかわっていたことは間違いないようです。

 

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