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拉致の解決を願って
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荒木和博氏講演2005/1/15(1)

2005-01-15 | 荒木和博氏講演集
2005年1月15日(土)
町田市民ホールで行われた集会の模様レポートします。
「拉致事件の全体像と私たちの安全」 

 特定失踪者問題調査会代表 荒木和博
 
 今日、本当に天気の悪い中多数の方お集まり頂き、本当にありがとうございます。
最初にお詫びと御礼を申し上げます。大西会長からお話しがありましたが、本来この講演会は安明進を中心とした講演会の予定でございました。安明進さんが緊急の用事で本人が出席できません。
安明進さんメッセージ
 町田の集会に参加された皆様へ

 本日は突然参加できなくなってしまい真に申し訳ありません。
ご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。
詳細はお知らせできませんが、拉致事件に被害者にも関係する重大な用件があり、どうしても日本にいることが出来ません。なにとぞご了承ください。

 さて、北朝鮮に対して日本の方々はあまりにも知らないと思います。
北朝鮮とはどんな国でしょうか?多くの方々は独裁国家であるというふうに言います。確かにその通りです。北朝鮮はまだ、社会主義を標榜する封建国家の状態でございます。どうか皆様、北朝鮮という国を正しく見て頂いて、金正日体制を支援することが無いように、また経済制裁を実現してくださいますように心よりお願いする次第です。

 日本の政府がやろうとしなくても、国民の皆様が立ち上がれば出来るはずです。
ここにおいでの皆様は日本が再び立ち上がることを求められて来られた方々だと思います。皆さんの安全を守り、拉致被害者を救出し、今、飢え、凍えて苦しんでいる私たちの同胞を助けるためにどうかご協力を頂きたくお願い申し上げます。重ねて集会に参加できなくなったことをお詫び申し上げます。
                                            2005年1月15日 安明進

 安明進氏の言葉の中にもありますように、正に今北朝鮮というのは、中世時代のような独裁国家でございますが、それを何とかしないことには、拉致問題も北朝鮮の人たちの人権問題も様々な北朝鮮に関わる問題は解決しません。

 抽象的な言い方ですが、彼はその根本的な問題の解決のために今、日本ではない別の国にいるということで、ごどうかご了承頂きたいと思います。ここで皆様方に彼がこれないと言うこと自体が救出活動の一環だと是非ご理解頂きたいと思います。

                      (選挙に関するお礼など・中略)

 さて、私がこれからお話しますのは、以前もお話しさせて頂いたことがございます。
今までのことは少しはしょりまして。これから今月来月と日本も北朝鮮も中国もアメリカも韓国もこれからいろんなことが急速に動くと思います。でその時どうするべきかという今後の話を中心にお話しさせて頂きたいというふうに思います。

 まず簡単に、これまでの経過を申し上げます。
家族会が出来ましたのは平成9年の3月の終わりでございまして、これは平成9年の2月に現在民主党におられます西村慎吾衆議院議員が国会で質問をした。これがきっかけとなりまして、大変大きな、拉致問題が、横田めぐみさんの事件を中心に取り上げられました。

 そしてそれまでこの拉致の問題を追ってこられました朝日放送の石高健二さんとか、あるいは当時共産党の参議院議員秘書だった兵本達吉さんとか産経新聞の現在編集局長の安倍雅美さんとか、そういう方がいろいろ協力してご家族に働きかけて家族会が出来たわけでございます。

 私はそれ以前、現代コリア研究所と言うところにおりましたので、そこで横田めぐみさんの事件が明らかになったと言うこともございまして、それ以降この救出運動に参加して参りました。

 新潟の救う会の代表の小島晴則さんをスタートにいたしまして、その後全国で救う会が出来て参りました。2000年に救う会の全国協議会の組織をきっちりさせようと言うことで事務局体制を取るようになりましてそれ以降私が事務局長ということで2年前まで務めて参りました。

 その間、余り大きな変化は5年間ぐらいは、なかなかございませんで。米支援反対の座り込みをやったりし、様々な行動をやりました。しかし増元さんをはじめご家族の皆さんが非常に熱心に訴えられたと言うことが、影響力という意味で大きな力となりました。これで世論が大変盛り上がって参りました。

 変化が起きましたのは3年前、平成14年の3月にですね、有本恵子さんの事につきまして、有本恵子さんを拉致した八尾めぐみという元よど号の妻が、「自分がやった」と証言をいたしました。警察は有本さんの事件を拉致であると認める。それまで横田めぐみさん7件 10人と言っていたものが、8件11人と言うことになりました。

 この頃から動きが急に活発化しました。
国会で衆議院、参議院、自民党から共産党まで全会一致でそれぞれ北朝鮮への非難の決議が行われました。
これに対して北朝鮮側の反論があったんですが、それは「日本は行方不明者問題を拉致問題にしようとしている」というような言い方でございまして、それまでは「我が国は一度も拉致をしたことがない」と言う風に言って「拉致などというのは日本の反動がでっち上げたことである」というふうにずーと言ってきたわけですが、それが言い方が変わりました。こういう風に言い方が変わったときは何かある証拠でございますが、何かあるんだろうと思っていたのですけれども、そしたら5ヶ月後に小泉さんが突如訪朝をすると言うことになりました。

 そしてその訪朝で北朝鮮側は拉致を認めまして、「5人生存8人死亡」というのをはじめて伝えてきたわけでございます。5人生存というふうに言われたお一人が曽我ひとみさんでございまて、曽我ひとみさんが出てきたと言うことがきっかけになりまして、全国で失踪者のご家族が「ひょっとしてうちの家族も拉致をされたんではないか。」「全く原因のわからない失踪をしている。」「どう考えても他の理由が考えられない。」ということでお問い合わせをされて参りました。(当時私は救う会の事務局長でございましたが)

 これがあっという間に何十人にもなってくる。毎日のように事務所に電話、FAX、Eメールそしてお手紙がくるようになりまして、これは何とかしなければならないと思うようになりました。
その結果として一昨年(2年前)の1月10日に救う会の全国協議会から、この失踪者の問題についてやる部分を分けて出来ましたのが、今私が代表を務めます、特定失踪者問題調査会でございまして、私はこれで調査会の代表になり、救う会の事務局長の方を退任をしたということでございます。

そして、2年間活動をやって参りました。活動をやってきて今結論で申し上げますと、それまでと認識が非常に大きく変わってまいりました。
増元さん、市川さんの拉致というのは昭和53年の8月12日でございます。横田めぐみさんのが昭和52年11月15日、政府認定者の中で一番新しいのは有本恵子さん昭和58年の8月でございます。
そのころまでは拉致というものは大体そのころに固まっているんだと思っていたわけですが、この失踪者のことをやり始めまして「これはとてもそんなもんじゃきかない」と思うようになりました。

 現在公開している中で一番古いケースというのは、昭和28年の10月に長崎県の自宅を出てから失踪した徳永 陽一郎さんという方で、この方は100%とはいえないのですが、北朝鮮で目撃情報のある方でございます。
一番新しい方、今ポスターに載っているかたであれば、確か去年だと思います。それぐらいのところまでずーと来ているわけでございます。ひょっとしたら拉致というのはず~~と行われてきたんじゃないかと感じるようになりました。なおかつ場所も北海道から沖縄まで、内陸から太平洋側、場合によっては伊豆七島まで含めてですね、失踪者が出ていると言うことでございます。これは、(我々の持っているリスト420名ほどおりますが)その全てが拉致ではないというふうに思っていますが、それにしても怪しいケースが多い。

 現在我々はこの420人の中で33人を拉致の可能性が高いとしていますがしかし、この数はこれからますます増えていくはずです。なおかつ、我々の所にお問い合わせをしてきていない方は当然、沢山いらっしゃいます。特定失踪者問題調査会と言っても政府の機関でも何でもございません。我々全くの民間の任意団体で、NPOですらない団体でございます。
 
 ですからそう言うところにお問い合わせをするというのはかなりの覚悟が、正直言っているはずです。ひょっとしたら金を請求されるのではないかとか、あるいはプライバシーに関わることを出さなければならないだろうというわけでございます。

 普通で有れば自分の所の子供がいなくなったとすればそんな表に出して明らかにしようなど思わないはずですし。我々自身はご家族からお金は一切受け取っておりません。時々送ってくる方が有りますが現金書留でお返ししておりますが、そんなこと誰にも判らないわけでございますから、そうすると最初にお声をかけてくださる時にその時点でかなりのハードルを超えてしまっているんですね。

 それくらいの覚悟をしてもやはり自分の子供、あるいは兄弟の安否を知りたい、助ける可能性を探りたいという方がこられているということで、これはかなり深刻なことだと思っている次第でございます。

 この問題は、一体どういう風に見るべきなのか?
この問題の原点というのは、日本と北朝鮮という2つの異常な国があったから出来たことでございます。
日本だけが異常でも北朝鮮が異常でなければこんな事は起こっておりません。北朝鮮がどんなに異常であっても日本がちゃんとした国で有ればこういう事は起きていない。起きたとしてもすぐに問題は解決しているはずです。

 問題が解決しないままで何十年も過ぎてしまった。これは何が意味があるかというと北朝鮮と日本が両方が異常な国だったと言うことでございます。

 北朝鮮が異常な国だというのは大体見ていれば判りますが、あの北朝鮮という国は、国が出来るとき、(正式な建国は昭和23年の9月9日ですが)日本が戦争に負けて、北半分をソ連軍が占領をいたします。その時に沿海州にいましたソ連軍の大尉であった今の金正日の父親、金日成ですね、これを連れてきて権力の座に着かせた。

 毛沢東やホーチミンなんかもやったことはひどい話ですけれど、少なくともこの人達は自分の力で、権力を奪取しようとして、人の力を借りたとしてもやはり自分の力をかなり使ったうえで権力をとった。

 金日成という人はそう言う人ではない。
要はどっかに新しい支店とか出張所を造る、そこの支店長にするのに誰がいいかと言うときに本社にいた 主任かなんかをやっている人間を連れてくる。この地域の地理に詳しいだろうとか、言うことを聞くだろうと連れてくる。これが金日成でございます。権力を自分の力で取ったんではなく人の力でもらってしまった。

 そしてあの地域のインフラは全て日本の時代に作ってあったものでございます。まぁ、かなり発電機などいろんなものをソ連が持っていってしまったらしいですが、基本的な物は残っている。

あの当時(今でも稼働していますが)満州国との国境にあった水豊(スプン)発電所(年配の方にはスイホウ発電所と言った方がわかりやすいと思いますが)この発電所は発電能力68万キロワットで、当時世界第2位の発電所でございました。こういうような、かなり良いインフラが朝鮮半島北部に(鉱山資源とか炭坑とかたくさんありましたので)集中をしていた。これも手に入る。

 軍隊は、朝鮮戦争を始めるとき朝鮮人民軍というのは10個師団の中に、(中国の人民解放軍の中で3個師団朝鮮人で構成された部隊がありまして)この部隊をそのまま入れてできたのが朝鮮人民軍の中核でございます。それ以外はソ連の軍事顧問がやってきて資材を提供してできあがったのです。

 ということで、国ができるときの基本的な構成要素であります「権力」と「インフラ」とそして「軍隊」とその3つを全て人からもらってきたのが北朝鮮と言う国でございまして、そうやってできあがった国がどんなことをやるかと言えば「たんなければ持ってくればいいじゃないか」問い言う発想になってしまう。

 もともと金日成たちは戦前パルチザンをやっていたと言うことをいいますが、パルチザンというのは山賊でございまして補給を全て掠奪に頼るということですね。自分たちで最初からちゃんとした補給を確保して戦争をするのではなく人の所に行ってかっぱらってきて戦争をやると言うことですからこの発想は全然変わっていない。
だから、たんなければ、金か物かあるいは人をどっかからもってくればいいという発想でやってきたと言うことでございます。

 先日、新宿の韓国料理屋に行きまして、そこで北朝鮮製の輸出用の葡萄酒を飲みまして、味もとんでもないんですけれど、味よりびっくりしたのは瓶でございまして、こうやってみてですね(瓶を持ち上げて目の前にかざすポーズをとって)、左右が対称になっていないですね。少し歪んでいるんですね。で、輸出用ですから、今時ですね、輸出用の葡萄酒の瓶がゆがんでいる国なんていうのは世界中捜してもそう残ってないと思います。と言うぐらいの技術力の国で、なんで、ミサイルや核兵器をつくれるのか、なんでものすごい精巧な偽札が作れるのか?(技術や人を)他から持ってきている以外に絶対に考えられないんです。

 独裁国家は技術の発展にものすごい障害になります。
自由な意見が言えないと言うことは技術の発展はできない。

 ひとつだけ例を申し上げます。

(以下中略)~70年代の間違った金日成の農業指導の例をあげて説明~

 こういうようなことで経済はどんどんメチャクチャになります。メチャクチャになっている経済を金正日はどうしようとしたかというと、経済を立て直すのではなくて、「この国はすばらしい国だという幻想」を無理矢理作っていくことでごまかそうとした。これが平壌の街の中にある凱旋門であるとか、三角形のホテル(もう崩れかかっています、作っている途中にやめていますが)銅像とか、そう言う物を次から次につくって、それでこんなにすばらしいんだと見せて、個人崇拝によってこれを止めようとしてきたと言うことでございます。

 そういうような異常な国ですから、自分で、自力で物の開発なんかできません。
出来なかったときにどうするかと言いますと、たとえば物を買ってくる。ミサイルなんかでもともとの技術はソ連から供与されたものですが、そうやって友好国からは供与してくれるものは貰う。金を払って買ってこなければならないものは買ってくる。かっぱらってこられる物はかっぱらってくる。場合によってはそれを作れる人を連れてくるということございます。

 日本でも闇からの谺―北朝鮮の内幕と言う本が出ておりますが、韓国の映画監督の申 相玉(シンサンオク)さんという方が1978年、増元るみ子さんが拉致をされたと同じ年に香港で拉致をされています。増元さん市川さんと同じお二人でございます。申(シン)監督の場合は、時期は違いますが、前の奥さん崔銀姫(チェ・ウニ)さんと平壌で一緒に暮らすようになる。

 この時に申(シン)監督に対して金正日は何と言ったかというと(映画監督ですから)「我が国の映画の水準が低いんだ、だから貴方を連れてきた。」と正直にいっているんですね。映画の水準が低いんだから映画監督を連れてくると言うんですから、後はなんでもありと言う事になってしまいます。

 そう言う風にして持ってくる中の一環でありますから、北朝鮮にとって拉致をするのはあたり前の事であって決して特別なことではない。我々それまで、ず~と拉致のために特別な命令があって、その時だけ拉致をしたんだろうと思っていたんですが、そうではなくて、拉致事態はず~とやっていて、(その時その時でこういう人間が必要だとか、「アベックで連れてこい」とか「20代ぐらいの女性を連れてこい」とかいろいろあったんだと思いますが)基本的にはず~とやり続けてきたんだと言うことで間違いないと思います。

 韓国では朝鮮戦争休戦までの昭和25年の6月25日から28年7月27日までの3年間の間に、韓国の民間人で連れて行かれた数は8万3千人。これは自分の意志で北に逃れた人とか、戦争時の軍人の捕虜とかは全て除いてありまして、韓国の民間人で無理やり連れて行かれた人がそれだけの数になるという事でございまして、なおかつ休戦になった時からの50年の間に連れて行かれた韓国人は3700人を超えております。

 韓国の場合は漁船の拿捕が多いわけですが(漁船の拿捕の場合は北朝鮮は9割方返してくるんですが)それでも今残っている人は、漁船民で残っている人と日本人みたいに海岸でやられた人や海外から連れて行かれた人を合わせて韓国政府が発表しているだけで486人。実際には間違いなく500人超えている。そういう数の人がやられている。

 78年にはレバノンでも女性が4人やられている。マカオでも中国人女性がやられている。等々ありまして年がら年中世界中で拉致をしていたんだと考えたほうがいいんだろうと言うことでございます。

 その北朝鮮の国の体制は未だに全く変わっておりません。ということはどういう事かと言うと、「これから先も拉致をやる可能性は十分ある」と言うことでございまして、その拉致の対象となるのは、別に特別な人間では無いんです。ですからここにいる皆さんとかそのご家族、友人のみなさんとかが拉致をされる可能性が十分にあるんだとお考え頂きたい。

 私みたいに年がら年中北朝鮮の悪口を言って歩いている人間がやられりゃぁまぁ、それはそれで仕方がないんだという話になるんですが、そう言う人間は大体あんまりやられないんですね。ですからできるだけ悪口を言っていたほうが安心だと思うんですが。(会場、笑い)そういう事と何の関係もないひとがやられる。

 何の関係もない人がやられると(-皆さんお考えてみてお判りになると思うんですが、自分のお子さんや家族がいなくなったときに、たとえば町田の救う会に関係してるからやられるなんて思わないでしょう-)北朝鮮がやったなんて思わないでしょうから。そうすると、自分の家族がいなくなった時に、小さい子であれば、何かの事件に巻き込まれんじゃないかと思う、大きい人であれば、何かいやなことがあって、家出でもしたんだろうとなるわけです。そうすると家族もいいところ、家出人の捜索願ぐらいしか出さない。

 どう考えてもおかしいと思っても警察は警察で、失踪者はたくさんいますから、まともに取り扱ってくれないわけです。

 家出人の捜索願を受けても、同じ警察署の中でも、家出人の捜索願は生活安全課が受けます。ところがこの人達と公安とは仲良くないんです。情報が横に行かない。踊る大捜査線みたいな世界でございまして。(笑い)こっち(公安)の人がみればひょっとしたらと思うようなことでも、ここ(生活安全課)で止まってしまっていかない。こういう事がず~と続いてきています。

 今警察は、私が感じているところでは、このところかなり気合いを入れてやっているような感じがしていますけれども、しかしそれでもですね、皆さんだって考えて頂いて判るとおもうんですが、たとえば「42年前の8月3日に何処にいましたか」と聞かれて答えられる人間なんかいるはずがないですね。ところが警察の場合、証拠を積み上げると言うやり方ですから、そういうこと、やっていかなくてはならない。

 そうすると大部分のケースというのは判らないと言うことになってしまいます。

 今、日本の中で拉致の救出のためにどういうやり方をしているかと言いますと、まず警察が捜査するわけですね。捜査してこれはもう間違いないと言う証拠があるということになった場合それをまず首相官邸にだします。首相官邸はそれを見て「じゃぁ、これは認定しようじゃないか」ということになって認定したならば、北朝鮮との交渉の場にだす。

 ところが、まず警察が認定するということを出すというところまで、ものすごいハードルがある。大部分の事件が、これができない。そして(警察が官邸に)持って行ってもですね、今の小泉政権はともかくこの問題を小さくして終わらせようと考えています。

 警察は去年ですね、特定失踪者ではないんですが、田中実さん、小住健蔵さんと言う方お二人を、首相官邸に拉致被害者として認定すべきであると具申しています。しかし、官邸は全く動かないです。

 ともかく、それは今の15人をこれ以上増やすと「もう、大変なことになる」と。「大変なことになる」って大変なことなんですけれども、しかし「大変なことだと国民が知ってしまう」と言うことでしょうね。おそらくね。だからもうやらない。なおかつ、もしそれを官邸が「判った」と言ったとしても、(今の状態だと経済制裁もしてないわけですから)そうすると外務省が向こうが話し合い乗ってくれたら、「こういう人はどうですか?」と聞く。

 向こうがまたいい加減なことを言ってくるわけですね、骨がどうしたとかですね、それを見ると、またその書類を見て(いい加減な書類がたくさん来るんですね)たくさん来ると、(日本側のお役人は学校の成績が良い方ばっかりですから)そうすると、いい加減な書類だと思っても読みたくなる、読んでこれは何処に間違いがあるかとか調べないと我慢できなくなる。そして調べて「おかしいじゃないか」いうまで数ヶ月かかります。判ってから持って行って「ほら見ろ、おかしいじゃないか」と言うと、又、向こうはいい加減なのを出してくる。

 そこで、学校の成績が悪い人間であると、開き直ってびりびりと破いて「こんなもんやってられるか」と言って「試験問題出すヤツが悪い」と言って一発ぐらいぶん殴るんですが、頭のいい人は試験問題がでると、ついやらないと気が済まなくなる。
そうやっている間に時間がドンドン過ぎていってしまうと言うことでございます。◆―――――――――――――――――――――――――◆
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