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【情報と常識(コモンセンス)】

2005-06-20 | アンデスの声さん投稿集
【情報と常識(コモンセンス)】 6月20日(月)

約20年前、東京勤務が始まった頃、朝の通勤電車内の異常なまでの静けさに違和感をおぼえた、満員の人混みなのに会話が聞こえない、無表情に吊革にぶら下がり黄泉の国へ向かう幽霊電車みたいに感じた(これと対照的なのが夜の電車の酔っぱらいのダミ声だが、どっちも“傍若無人”ってことは同じ)。先月一時帰国で眺めた通勤車内の情景、携帯を見つめいじってる者が増えたが基本的には変わらぬ、沈黙の混雑の中で背を丸め新聞、週刊誌、文庫本を黙って読んでいる者が目に付く。

会話交流に乏しい日本人だが活字やTVによる情報収集は好きだ。どの街の本屋も実に立派で様々な種類の膨大な本がギッシリと並びまるで図書館みたい、活字離れと言うが、まだまだたいしたもの。単身赴任で(海外駐在員に珍しく)ゴルフ嫌いの私はたまに時間がとれると日本で買い込だ本を読みふける。私の日本人同僚も暇な時間は良く活字(新聞・週刊誌・単行本・文庫本etc)を読んでいるし、毎日の昼休みにしおりを開けては文庫本の続きを読んでいる者もいる。その昔の学生街の食堂じゃ飯食いながらうつむいて膝上の漫画週刊誌読んでる学生が多かったな。敗戦後の進駐軍が「日本じゃ靴磨きが新聞を熱心に読む」と驚いたように、日本人の本好き・活字好きは特異なほうだろう。ある米人教師から「食事中にはもっと喋りなさい」と説教されたこともある、漫画を膝に置いて黙々と食べる日本学生に我慢ならない様子だった。

しかし溢れる情報に囲まれ常に情報を求める日本人が、情報に乏しい民族よりも常識に通じているとは限らぬ。今だ文盲のいるアンデス山岳民族やアマゾン流域の部族社会にも人付き合いのルール・常識はあるし、その常識・マナーは我々にもちゃんと通じる。ある欧米先進国の大学で、大人のつきあい・マナーを知らず留学先の研究室にこもりっぱなしで顰蹙を買っている日本人研究者を何人か見た。日本人の情報好きは、他人の視点を知識としてなぞり(宗教心に替わる?)精神的充足を求めているようにも思う。しかし情報は情報でしかない、情報を知識としてため込み常識(コモンセンス)と勘違いして虚の世界で満足してしまうなら危険だ。外地の本屋は「これ何屋だろ?」と思うくらい貧弱な本屋が多く人前で本を読む姿もあまり見掛けない。そして暇なときはよく人と喋っている。女の長電話は万国共通だが、男どうしでも何時間もず~っと喋ってられるし、生活の中の人付き合いも濃厚だ。

彼等は言いたいことを腹に溜めず生身の考えをキャッチボールする中で共通感覚(コモンセンス)が生まれ、その緊張関係の中でバランス感覚も育つ。私が業務上の交渉ごとで相手と揉めて難渋していたとき傍らで見ていたアングロサクソンから「面白い! エキサイティングだね、俺も加わろうか」と言われ、私は「好きでこんな苦労してんじゃないわい、こいつらDNAが根本的に違うな」と思ったものだ。しかし万事つつがなく安泰平穏を求める日本人が得る以上のものを、彼等は人間どうしの生の切磋琢磨の中で学んでいるように見える、それも幼い頃から。それは一方的メッセージをなぞるだけの活字媒体よりもポイントがずれないし、最終的にはそれがより効果的にコモンセンスを身につける方法とも言える。

宗教のない日本は組織や国家の帰属意識や抽象理念にその代役を求めがちだが、宗教と違い国家の教義は変わる。安易な思い込みは楽だが危険である。まず人間社会の基本常識(コモンセンス)を核としてしっかり身につけそれを情報(理論)で補強補正するのがいわば常道、これと逆にコモンセンスよりも情報(理論)が先行し、人でなしが人を語り始めると人が殺される、北朝鮮のように。今やさまざまな掲示板が百花繚乱であり、その仮想空間の中だけで張り切る者も多いが(私の妹がそうである、バカモン!)、同じ時間を生の体験・議論に向けた方がコモンセンスはずっと簡単に身につく。恋愛小説書くなら恋愛映画ビデオを1000本見るより3人の生身の女とのスッタモンダ経験の方が役に立つ。(そういや映画見て世界事情を理解したつもりの独裁者殺人鬼がいたな) ネットも本もしょせん単なる情報であり、情報・知識をいくら蓄えてもコモンセンスは生まれない。「若者よ、書を捨て街へ出よ」と言った寺山修二じゃないが、たまには少しPCの前を離れ街へ出て署名し集会に参加し座り込もう(私も帰国時に近くで集会がある場合は必ず参加する)、被害者たちの感覚(sense)を共有(common)する大切な機会だ。
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1 コメント

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マスコミの使い方 (きなやん)
2005-06-22 17:40:24
blue-jewel様

コメントありがとうございます。



さて、マスコミに関する考え方が若干違うことを最初に記さなければなりません。

今のマスコミは、第四の権力者とか言う人がいます。確かに権力者とは思います

が、彼らは「裸の王様」状態の権力者であることに、当人のみならずほとんどの

人が理解していません。所詮、彼らの権力の根源は「表現の自由」という言葉に

表されるように、「何を書いても、言っても」自由だと勘違いしているところにあり

ます。しかし、「自由」の裏側には「守らなくてはならないルール・決まり」が

あるはずで、彼らはそれを知らない(感じない)ようにして「自由」の名を錦の

三珠にして狂ったように追い求めています。要は、彼らはバカなのです。

それと大事なことは、彼らが世間の流れを作ってやっているんだ=世間一般大衆を

指導してやっているんだ、という誤った考えを持っていることにあります。これは、

共産主義全盛の頃、一部のエリートが一般大衆を指導しようとしたことと、彼ら

自身がその名残をぷんぷんと残しているのが見て取れます。ですから、マスコミの

使命は「物事の結果を公正に正しく伝える」ことにあるのにもかかわらず、ある種の

フィルターを通してしか伝えられないこととなっています。

今、時代は変わりつつあります。ニュースを発することは、すでに彼らの専売特許ではなく

なっています。正確なニュースを知りたければ、海外のメディアにアクセスした方がいい

くらいです。

上記から、世間をミスリードしようとしているマスコミには、強く抗議を行いたいのですが、

個人的にやろうと思っても容易ではありません。

そこで、個人的にできることは兵糧攻めです。例えばNHK問題について、受信料の不払いを

個人の考えで行う、新聞は購買拒否を行う。これらの方法は、その用法が行き渡ればかなりキ

ツイお仕置きになることは間違いありません。

それと同時に、メディアに対し、間違いを説き続けることが必要です。それも「論理的」に。

論理的なことであれば、抗議する上でも効果的だろうし、彼らもいずれ聞かざるを得ない

と思うからです。これには多大な時間と手間が必要だと考えます。

以上から、彼らに対しては性悪説で彼らに対処するというのが現在の考えです。

「バカにバカと言うことをはばかる事勿れ」
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