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栃木県さくら市「喜連川人車鐵道」再現計画に迫る! 6月6日 (戦車・中華ドナルド)

2021-06-07 23:03:06 | さくら市(地域おこし)

栃木県さくら市・喜連川地区。

 

国道293号線はよく利用する道で、主に「喜連川→氏家」の方向で走ることが多いです。

 

今年になって、喜連川の「早乙女の桜並木」から「ニッカウヰスキー」までの間にある、弥五郎坂の道沿いにあったラーメン店「あおやぎ」が閉店しているのを走行中に発見。

 

次に走ったときは、今度は「なんか戦車がある」

 

・・・いつもなら、止まって必ず写真を撮るのですが、その時に限って、「遠くへ行く用事があった」「時間が押していた」という理由で、単なる素通り。。。

 

SNSで「戦車」の投稿があった時も、そんなに反応はしませんでした。

 

その後、「あおやま」の跡に「中華ドナルド」さんが出店という話題も目にしましたが・・・

 

「戦車」「ラーメン」・・・それ自体に私は特段の興味があるわけでもなく、そのままスルーしておりました。

 

そんな喜連川の話題に気になるものが出てきました。

 

「喜連川人車鉄道」です。

 

いつ、看板が立てられたのかもわからないくらい、ちょっと通らない間の出来事。

 

SNSでその名前を目にすることになるのですが、私、ひねくれているもので・・・

 

最初のツッコミは

「人車鉄道」じゃなくて「人車軌道」じゃね?・・・でした。

 

喜連川人車鉄道については学生の頃から「鉄道好き」でしたので、名前はもちろん知ってました。

 

けれど、私が教えられたのは「喜連川人車軌道」

 

「鉄道」じゃなくて「軌道」じゃない?

 

興味がない方は「鉄道でも軌道でもどうでもいいじゃない」って思うかもしれませんが

誤りだったら、それは正さないとね。

 

しかし、よくよく調べてみると、喜連川人車軌道は、途中から喜連川人車鉄道と改称したことが判明。

 

うーん、なるほどね。

納得して、そこは終わりました。

 

けど、私には「譲れないこと」がありました。

 

喜連川人車鉄道再現計画の「ある」表現が。。。

 

それをどうしても確認したくて・・・

 

2021年6月6日・日曜日。 つまり、昨日、発起人の方のいらっしゃる事務所にアポなしで出向いてしまいました。

 

大田原市の南に位置する、栃木県さくら市・喜連川地区(旧・喜連川町)

 

その街道筋からちょっと入ったところにあるのが・・・

 

「びゅうフォレスト喜連川」

 

その販売センター(管理事務所)へお邪魔しました。

 

「すいません、喜連川人車鉄道のことでお話を・・・」

 

そういうと男性が応対してくれました。

 

当初は「責任者の方がいないだろうからチラシだけでもいただければ」と思っての訪問でしたが

 

実は、応対してくれた男性こそが

 

クラウドファンディングの責任者となっている、カジハラヨシユキさんご本人でした。

 

私はあわてて、クルマにカメラを取りに戻り、再びお話をお伺いすることに。。。

 

喜連川人車鉄道再現計画のチラシ。

現在、クラウドファンディング(謝礼を伴う寄付)の公募中。

目標は600万円。

 

・・・で、最初に私が気になっていた「ある疑問」を投げかけてみました。

 

Q「SNSで弥五郎坂駅って看板を見たのですが、弥五郎坂駅って実際にはなかったですよね?」

 

A「はい、弥五郎坂で再現するので弥五郎坂駅になっています」

 

あ、そういうことか。

 

・・で、やはりもっと気になるのは「きっかけ」ですよね。

 

Q[なぜ、喜連川人車鉄道の再現という話に?」

やはり商工会でのお話なんですか?

 

A「ええ、それもありますが、かなり前から、うちの社長が考えていたことなんです」

 

びゅうフォレスト、といえば、かのJR東日本が販売する温泉付き分譲地。そこの社長・・・

・・・と思ったら

 

「実は、昨年(2020年)の10月にうちの会社が管理するようになって・・・」

 

え? すいません、知りませんでした。

JR東日本はいままで首都圏の電車の中吊り広告で大々的にPRしてきたのですが

惜しくも撤退。カジハラさんの会社が現在、管理運営していることを、ここで知りました。

 

【きっかけが奇跡】

「道の駅きつれがわ」が大正浪漫をイメージしてリニューアル。それに感銘を受けた社長さんが「喜連川人車鉄道」の再現を考え、ずっと温めていたところ・・・

 

地元に住む学生さんが「手作りの戦車」を売りに出したとき、それを社長さんが購入を決定。

カジハラさんが学生さんのお宅に出向くと、その学生さんは「自作の軽便鉄道を所有」する、すごい人だったそうで、そこから「喜連川人車鉄道」再現の企画が生まれ、社長の思いが形としてスタートした、というお話。

 

Q[クラウドファンディングで謝礼品にある3等再現きっぷって?」

A「当時は1等から3等あって、それぞれ乗れる基準が異なっていたらしいです」ってことで

図録に掲載されていた、当時の人車鉄道の切符の写真のコピーを見せてもらいました。

 

ほかにも

さくら市ミュージアムで販売されている図録から

大正時代の時刻表の説明なども。

 

そして

はっぴ

 

5月にU字工事のお二人が喜連川を訪れ

 

とちぎテレビの番組のロケで「カジハラさん」もテレビに出られたそうで

6月17日(木)にとちぎテレビで、その模様が放送されるそうです。

 

これは見なきゃ。

 

コロナ禍が影響したかどうかはわからないが、販売は順調だそうで

 

社長が好きな「戦車」に関するグッズを置いておくと、世代的に30代から40代の方は特に興味を持たれるとのこと。

 

これが、喜連川人車鉄道のペーパークラフト(試作品)

 

お仕事中にもかかわらず、アポなしにもかかわらず応対してくださったカジハラ様、ありがとうございます。

 

販売センターは県道を曲がって、くねくね直線を進んで、最初の交差点の角にあります。

 

・・・・・

 

販売センターでカジハラさんにお話を聞いた後、私が向かったのは喜連川の市街地。

 

左に「街の駅 本陣」

実はここ、いまは食堂ですが

 

昔は・・・警察署でした。

 

【2012年7月15日】私は、街の駅・本陣で食事をしまして・・・

当時の店員さんから「旧・警察署建物」であることを説明してもらってました。

その時、撮影したものが残っています。

許可を得て撮影。

リノベーションこそしているものの、柱などのレイアウトはほぼ当時のままだとか。

お客さんがいたので細かく撮影はできませんでしたので、画像はこれだけ。

 

そうそう、その時も喜連川人車鉄道の写真が飾られていました。

 

実は、この街の駅本陣、当時の警察署の建物の前付近に「喜連川人車鉄道の喜連川停車場」があったといわれています。

 

喜連川・停車場のあった場所と地元で言われている場所。

※画像左端の民家あたりが本社があったと推定されます

本町。 郵便局の隣りに警察署があり、線路が切れている場所が「喜連川停車場」(本社)

 

ちなみに

お隣のこちらが

旧・郵便局跡

こちらも2012年7月にお邪魔させていただき

この時、特別に「2階の郵便局の跡」を観させていただきました。

急な階段。

床が抜ける恐れがあるため、私ひとりで2階へ。

※一度に複数の人が上がると危険なため

 

この写真は喜連川人車鉄道が敷設される前のもの

 

次に向かったのが・・・

 

荒川に架かる連城橋の北側と

橋の南側。

 

喜連川人車鉄道の停車場のなかで「松山→荒川→喜連川」とあって

 

この「荒川停車場」が

橋の北側にあったのか、南側にあったのかがいまだに意見が分かれているところなんです。

 

北側は宿場町でありながら急な坂があって停車場としてはあり得ない

かといって、南側は停車場を確保する平地はあっても、建物からは離れて橋を渡る必要がある。

・・・うーん、さてどっちだったのかな?

 

あと、喜連川人車鉄道を語るうえで非常に重要なものが唯一残っています。

 

荒川に架かる連城橋・・・ではなく・・・

 

こちら。

早乙女の桜並木です。

 

地元では「喜連川人車鉄道の路盤跡」と言われています。

廃線後にお丸山の桜を移植して桜並木にした、というもの。

 

しかし、それはそうと、いま早乙女の桜並木は新しく変わろうとしています。

 

桜並木の西側。

 

実は、桜並木の老齢化、樹勢の劣化にともない、桜が伐採され続けていることから

さくら市が「早乙女の桜並木の拡幅工事」を始めたのです。

 

その最初の工事です。

 

やがては並木は伐採され、新しく桜の木を植樹することになります。

 

皮肉なことに、喜連川人車鉄道の路盤跡は、これを機に消えてしまうことになります。

 

この連城橋も・・・古いものなのかなって思ったら・・・

銘鈑からしてそんなに古くないのかもしれないことが判明。

 

それにしても

荒川停車場が橋の向こうにあったのか、こっちにあったのか。。。

 

水路の移設工事が終わると

 

桜の木を伐採して、いよいよ築堤の拡幅工事のとりかかります。

 

もちろん、定点撮影はこれから定期的に続けてまいります。

早乙女の桜並木は県道114号線。

 

喜連川人車鉄道は「喜連川」から「氏家」までつながっていました。

 

1902年2月21日

明治35年に「喜連川人車軌道」として開業。

人車鉄道はその名の通り「人(夫)がレール上の客車を押して旅客を運ぶ鉄道。

動力は「二人押し」

つまり、二人で押すことを想定して免許を交付されている。

当時の運賃は氏家から喜連川まで15銭。

 

急行や6名貸切、3名からの臨時もあったそうですが

 

弥五郎坂など、勾配がある場所や、定員いっぱいで重量オーバーな時は「3等切符」を持つものは

押しの手伝い、もしくは降ろされたのかもしれない。

1等から3等では運賃が異なるため、待遇が違うものだったそうです。

 

こちらは新道。

 

そして歩道側が旧道。

 

・・で

いよいよ弥五郎坂のスポットへ。

 

ここに「びゅうフォレスト販売センター」の看板がある意味・・・

それは、ここが「びゅうフォレスト」管理会社の土地であるから。

 

「弥五郎坂駅」

自前の土地を活用して、喜連川人車鉄道を再現しよう・・・

そういう意図があってのものだったのですね。

 

私がSNSで「弥五郎坂駅・跡地」っておかしくない?

・・・最初に気になった原点がこちらでした。

でも、お話を聞いて、すっきり納得した次第です。

 

2021年、オリンピック、直前ですね。。。

 

【戦車】

皆さんほとんどの方が「中華ドナルド」が「戦車」を持っているってお思いかと思いますが

それが違うという話です。

 

びゅうフォレスト販売センターを運営する、株式会社ポラリスさんが戦車を購入。

自社のここの土地に保存しているという話。

 

 

・・・で

中華ドナルドさんは

ポラリスさんに土地を借りている、というお話。

 

現在、クラウドファンディングで目標600万円を募集中。

 

車両・レール、車庫のリフォーム・グッズ製作費に充てられるそうです。

 

旧道

人車鉄道が走っていたのではないか、とされる道。

 

 

あ、これ・・・なんだかわかりますか?

これは・・・

タイニーハウス、というもの。

日本では大分県で1か所でしか作っていないものらしく、弥五郎坂にある1台も、はるばる大分県から運んできたそうです。

 

 

 

さらに

ここから北へ進んだところに

もう一つの使われなくなった旧道の廃道があります。

 

北側、早乙女の桜並木側から歩いて入ります

 

これは・・・立ち入り禁止の先には

森の中に携帯電波塔らしきものがありました。

 

 

小さい頃は、クルマに乗せられてこっちを走っていた記憶があります。

昔はクネクネしてました弥五郎坂は。

 

・・・と、そんなとき

脇の森の中を見ると・・・

 

なにやら盛り土の平坦な道のようなものが。

 

SNSでは、ここを歩いたと思われる方がいて、やぶの中に人車鉄道のトンネルがあったと思われる場所を発見した模様。

 

ひょっとすると、勾配をさけるために、より森の側に人車鉄道があった可能性もあるのかな。

 

ちなみに、喜連川人車鉄道・再現計画では

この廃道を利用して、レールを敷設し、人車を動かそうという計画もあるとか。

それは現在、交渉中とのこと。

実現するといいですね。

 

 

こうして、最初の現場歩きは終了。

 

これからは早乙女の桜並木の定点撮影とともに、喜連川人車鉄道再現計画も、定期的に追ってゆくつもりです。

 

喜連川人車鐡道再現計画チーム

〒329-1416 栃木県さくら市桜ケ丘1-2-1

びゅうフォレスト販売センター内

028-686-2020

 

 

【クラウドファンディング募集中】

7月28日まで。

 

なんと目標の達成有無にかかわらず、支援された方には返礼品を準備しているとのこと。

 

ご興味がある方はぜひ、お問い合わせを。

 

先日、栃木県茂木町の未成線「長倉線」を一部歩いてきました。

 

そんな流れから、今度は廃線を蘇らせようというプロジェクト。

それが喜連川を舞台となると無関心ではいられません。

 

どういう展開になるのかはわかりませんが、喜連川では久々のビッグプロジェクト。

影ながら応援させていただきます。

順次、特筆事項があり次第、更新されます。

続く。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (鉄道好き)
2021-09-19 20:47:54
昔あったものの再現。
興味湧きますね。
クラウドファンディングが終わってからがスタートみたいな感じで、目を離せませんね。
これからも観光資源として注目ですね。
返信する
鉄道好きさんへ (ぶろぐ屋茶莉庵)
2021-09-29 05:56:38
コメントありがとうございます。
地元でもなかなか目に留まらなかった人車鉄道を再現しようという発想はとても面白いし、注目すべきポイントだと思います。
オーナーさんいわく、クラウドファンディングが達成できなかったとしても、プロジェクトは進めたいという意向があったそうで、熱意を感じます。
地元としては様々な形で支援をできればと考えております。
返信する
Unknown (鉄道好き)
2021-09-30 21:06:15
成る程、相当な熱意で進めているのですね。
『運行』が目標なようなので、志が相当高いことが期待されますね。
『押し夫』がいないとかそんな心配無さそうですね。
楽しみが膨らみますね。
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