昭和40年代の紀勢本線は、南紀は観光地としての人気が高く、特に白浜は観光客でいつも一杯という印象でした。
円月島と呼ばれる高嶋や、千畳敷と呼ばれる砂岩の岩場、更には三段壁と呼ばれる、名勝に指定されており、観光客が押し寄せていました。
当時は、高速道路は開通しておらず、白浜を含む南紀方面へは鉄道の利用が一般的でした。
昭和43年の時刻表を紐解いてみますと、昼行列車も多いのですが、それ以上に夜行列車も多数設定されているのが判ります。
まず、昭和42年10月改正の時刻をご覧いただきましょう。
綴じ代付近が不鮮明ですが13:30~14:40の間、14:30の新宮行き直通普通列車をを挟んで、連続して急行列車が下ってゆくのがご覧いただけるとと思います。
普通列車の124列車は、紀南方面への荷物輸送を担っていたようです、この列車も昭和43年のダイヤ改正では、普通列車も気動車化されて、急行きのくに8号の先頭車はキハユニ15で、この車両を連結して和歌山駅まで走り、和歌山駅で、和歌山市からの普通列車と併結されることになりました。
夜行列車を見ていますと、9924列車という臨時普通列車が運転されており、1等車も連結されています。
さらに、924列車名古屋行き、更に南紀4号新宮行きと続いています。
しかし、このダイヤも昭和43年では次のように変更されます。
ヨンサントウ改正の特徴の一つとして、指定席の90%以上のマルス収容で有り、それに伴い列車名の整理が行われました。
これにより、紀勢本線の列車としては、紀州・きのくに・南紀とありましたが、紀勢本線一周の列車は、紀州。新宮までの急行列車は「きのくに」に整理され、しばし「南紀」の愛称はお蔵入りすることになりました。
「南紀」の文字が消えて、きのくに13号になっています。
また、「快速いそつり」が登場します。
私の知っている「いそつり」は12系客車による6連ですが、こちらでは1等車が連結されていますので旧型客車による運転であったと思われます。
そして、昭和44年10月にはまたまた、夜行列車のダイヤも微妙に変更があるようです。
昭和44年10月のダイヤ改正では、「いそつり」は、気動車で運転されていることが判ります。
昭和53年までと思ったのですが、時間が来ましたので、今日はこの辺で終わらせていただきます。、
続く
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