昭和35年の鉄道ピクトリアルから・・・。
昭和35年7月号の鉄道ピクトリアルを購入しましたので、そこから面白い記事を見つけましたのでピックアップしてみようと思います。
昭和35年7月号、多分発売は昭和35年6月末頃ですからまだ生まれる前の本になります。苦笑
特急つばめ・はとが電車化されたのは昭和35年6月1日、その前日最終日にが客車による「特急つばめ・はと」の最終日になるのですが、じつはこの最終日関西では大きなイベントがあったようです。
それは、「特急つばめ・はと」の引退式が行われたという記事です。
これは同時に、「はとガール」の引退式でもありました。
皆様もご存じのとおり、「特急つばめ」は客車の所属は「宮原客車区」、「特急はと」は「品川客車区」の受持ちでした。
当時は今以上に大阪の東京に対する意識、(アンチ東京)の意識が強くて、何かにつけて大阪の独自性を出していこうという風潮がありました。
ただ、「はと」は東京車掌区の受け持ちなんですけど、わざわざ、「引退式」を行うところなど、関西らしいというか大阪らしい話だと思います。
まして、引退式が行われたのは宮原客車区の中で行われたわけで、全く一般には関係ないことなんですけど、そうしたことを大真面目にしてしまうところが何となく楽しいなぁと思ってしまうんですよね。
当時のピクトリアルの写真を見てみますと、「機関士」と「はとガール」双方にテープが渡されており、宮原機関区を出発する際は職員全員に見送られながら「蛍の光」が流れる中70羽の「鳩」が放たれて、10年間の活躍をねぎらったと書かれています。
「つばめ」についても、「つばめガール」への見送りは無かったようですが、機関士にはテープが渡されて最後の客車特急を見送ったと書かれています。
機関車にはテープが渡されていますが、
最後部は、車掌?などが展望台に立つ以外はつばめガール等の姿は見えず、対照的と言えましょうか。
ちなみに、最終日の上り列車の牽引機関車は「特急はと」はEF5886号機、「特急つばめ」はEF5858号機でした。
コメントありがとうございます。
自称日本国有鉄道研究家でございます、【誰も名乗っていないので勝手に名乗りました。】JNRについて、あらゆる角度から検証することを目的としています。
特急はとに関する資料、今後もこうした古い資料を集めていますのでまた見つかりましたらアップさせていただきます。
ありがとうございました。
はとガールの制服を持っておられるのですね。
大切にしてください。
つばめ・はとの制服に関してはGHQの積極的な?働きかけがあったとも言われています。