That's the answer!

いろいろ心境の変化がありまして、ブログ内容を変更しました。ご了承ください。

高校教師 (1993年) part2

2014-04-24 22:45:40 | 過去ドラマ等等
この記事はこ「高校教師(1993年)」の続きの感想です。
主に5話~最終回までを見終えた後の感想を書きます。

野島ドラマのファンサイトも参考にどうぞ。




※ネタバレ満載です。


あと非常にあつっくるしい妄想に満ちた考察もどきになってるので、
苦手な方はご遠慮ください。

=================================================================================


…………………。



何から話せばいいのか…。

まだ、上手く頭の中で整理できないんですよ。
いろんな感情があちこちからあふれだしてきて、完全に放心状態です。

森田童子さんの主題歌・挿入歌を聞きながら、
何とか今の気持ちを言葉にして書き残しておきたい、その一心でこれを書いています。


何でしょうね…。

羽村先生(真田広之さん)も、繭(桜井幸子さん)も、きっと優しすぎたんでしょうね。
そして、幼すぎた。

新庄先生(赤井英和さん)のいうとおり、

何でこんなことになってしまったんだろう

この一言に尽きます。

ああすればよかった、こうすればよかったっていう分岐点はいくつもありました。

それをことごとく、間違った方向へと二人は進んでしまった。
羽村先生曰く、紙一重 ですよね…。


5話、羽村と繭は家に帰らず旅館に泊まり、一線を越えてしまいます。
羽村はどんなことがあっても繭を家に帰らせるべきだったし、
繭は父親に『好きな人と一緒にいる』というべきではなかった。

もっというならば、デートなんてしちゃいけなかった。
4話でのあの涙を受け止めてくれた借りがあったにせよ、つっぱねなければいけなかった。

でも、羽村先生は受け入れてしまった。


6話、二人の未来のために距離を置くのなら、羽村先生はもっと言い方があった。
教師を辞めて研究所に勤めるつもりだったのなら、それを繭に早く言うべきだったんだよね。


8話に関しては、誰も何も悪くない。ほんのささいな心のすれ違いによって
悲劇がここで起きてしまったんですよね…。

先生から拒絶されて、自分を助けてくれた風俗嬢の自殺を目撃して、
繭の心は完全に絶望の淵に立ってたから…。
あああああああああああああっもう!糞父親めっ!!

9話は、羽村先生は男を見せるんだけど、
きれいごとだけでは現実的ではない、ってのを地でいく展開で、
ものすごく悲しかった。

それを何となく察している繭も、とても切なかったなあ…。


10話では、頭ではわかっててもどうしても心では受け止めきれない羽村先生が、
繭に思いのたけをぶつけてしまうのがとてもつらかった。

ずっと平凡で平穏な生活を送ってきた羽村先生では、
繭の秘密すべてをすぐに受け入れる土壌はまだできてなかったんだよね。時間が必要だった。

だけど、繭はそんな言葉に傷つき、また、父親の弱々しい姿も見捨てきれず、
父親と共に海外に発つことを決意。
何でや繭うううう・゜・(ノДT)・゜・

羽村先生に残した手紙があまりにも…。涙止まんなかったよ。
以下全文。

先生、私は今急いでこの手紙を書いています。
とっても急いでいるのに、何から書いていいのか困っています。

14のとき。
そう、14のとき、私のお父さんはお父さんじゃなくなった。
不思議なことに、そのときはただ漠然としていて
ただ大きな波に押さえつけられているようで。
少し息苦しいけど、それでも、どこか自然の流れのようで。
それがいつか、いつかふいに、歪んで見えて。

お母さんが死ぬときに見せた、私に対する強い憎しみの目。
怖かった。とっても怖くて、それはそのまま私がしていることの怖さへと変わって…。


私、先生と普通の恋がしたかった。
普通に出会って、手をつないで、おしゃべりをして、ときどきは、やきもちもやくの。

春が来て、夏が来て、秋が来る。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、二人の間に同じ雪が積もる冬も来て…。

バカだね私。

自分は、ちっとも普通じゃなかったのにね。

私は、お父さんと、あの人と遠くに行きます。
あの人は、少なくても私が必要なの。

そう、いつも思ってたことがあるの。
人が周りにいないからじゃなくて、
自分をわかってくれる人がいないから、寂しくなるんだね。


先生も、ときどき寂しそうだったね。
できれば私が、ずっとそばにいたかったな。

いつか先生に恋人ができたら、きっと私のことは忘れちゃうね。

けど私は忘れないでもいい?
先生から聞いたペンギンの話や、アサガオの話。
忘れないでも、いいよね?

さよなら。
さようなら、羽村先生。



こんな手紙読んだら…もうね。
誠実で優しくて真面目な羽村先生だって、常軌を逸しちゃいますよ。
繭のために、やっちゃいますよね…。

でも、殺人はダメだよおおおおっ・゜・(TДT)ノ・゜・

10話のサブタイトルが、『ぼくたちの失敗』ですよ…。
はあ…。


このシーンは、ぼろっぼろ涙を流しながら見てました。

繭の声が穏やかだけど悲しくて。
手紙を読んでいる羽村先生の表情も悲愴そのもので。

成田空港へと向かうその道が、破滅への道へと向かっているんだと分かっていても、
羽村先生は自分の感情を制御しきれなかった。


頭では分かってんですよ、でも感情や思考はおいつかない。



11話、つまり最終回。
ラストシーンは今でもたまにTVで流れたりしますから、知ってる方も多いと思いますが、
一気見したあとのあのラストは、想像以上にきついですよ。

新庄先生と直子(持田真樹ちゃん)が何となく幸せになれそうで、
ほのぼのしたところもすぐ吹き飛ぶような悲しさでした。


また、新庄先生と羽村先生の別れも、思った以上に悲しかった。
無愛想だけど面倒見がよく心優しい新庄先生は、このドラマの癒しだったよ。


もしかしたら、このドラマで唯一心が成熟した『大人』だったんじゃないかなあ…。
常に正しい方向へと、羽村先生と繭を導こうとしていたのに


羽村先生に対して、友達ができた、と
堂々と言ったときの新庄先生が、本当にかっこよく見えて。

羽村先生と繭の関係性はもちろんですが、
新庄先生との関係も、見ていてすごく好きだったなあ。


はあ…。何が正解だったのか、もはや分かんないですよ…。





ここからは、個人的考察です。

=========================================================================

本当に、何でこんなことになってしまったんだろう。
羽村先生と繭は、ただお互いを必要としていた、それだけだったのに。


しいていえば、羽村先生のキャパシティ不足…。


言うのは簡単よね、はい。
すみません。


ずっと平凡な人生を歩んできた男が、
いきなり婚約者に裏切られ、上司や同僚にも裏切られ、
仕事場でいじめのようなものに遭い…。


それらのストレスを癒してくれた女性が、実の父親と…だなんて、
一気に消化しきれるわけがないよね。
ごめんなさい。


ただでさえ真面目な人間。
好意を持つ人間に対して自分は何ができるのか、何をしてあげられるのか…。
思い悩んじゃうよね、そりゃ。


繭の父親(峰岸徹さん)を刺す、という選択肢も、きっと衝動的だったんでしょう。
我にかえった後の狼狽と、やつれっぷりは、見ていて本当につらかったよ。


だから、羽村先生にとっては、あの列車に繭(?)が現れたことは、
内心とてもホッとしただろうし、やっと穏やかに眠ることができたのだから、
彼にとっては、幸せな最期だったんでしょう…。

そう思うしかないよね。

…はあ。




ため息しか出ないよ




このドラマを見ていると、幸せって何だろうと思います。

『この世の果て』や、『未成年』などもそうなのですが、
安定して収入があり、波風の立たない生活=幸せではないのかな、
とどうしても思ってしまうんですよ。


羽村先生は、序盤では穏やかな生活こそ幸福だと言っていました。

しかし、5話以降は自ら穏やかで静かな生活ではなく、
繭を救うためにどツボにはまっていってしまい、

最後には、ご存知の通りすべてを失ってしまいます。


でも、ラストシーンでの羽村先生と繭はとても安堵した、幸せそうな姿でした。
あれを見ると、すべてを失うことと不幸は
イコールではないのではないのかな


正しいことが必ずしも幸せではない。

間違った行動が必ずしも悪ではない…。


ううむ。上手く言葉で表現できないのがもどかしい。


人によって、大切なものや幸福の象徴となるものは違うんですよね。
お金や安定した生活も、もちろん大切。

だけど、それだけじゃない。


これはあくまで自分の想像なんだけど、
羽村先生と繭は、自分の幸せとは何か、
考えたことが無かったんじゃないでしょうか。

そして、本当の自分とは何かということも、考えてこなかった。


羽村先生は、2話か3話で新庄先生とお酒を飲んでいるときに
ずっと親の期待に応えて、レールを外れずにやってきた…と言っていました。

それこそが幸せにつながると、思っていたんでしょうね。
ある意味、『僕の生きる道』の中村先生の考え方に近いかもしれません。
(研究は元から好きだったと思いますが)


その幸せへの道をすべて絶たれて、自分に残されたのは教師という職業と、
自分を慕って寄り添ってくれる繭だけだった。


繭と過ごす時間は、彼にとって何よりもかけがえのない、
自分がずっと欲しいと思ってきた、穏やかで静かな時間。


初回から羽村先生は、どこか大人になりきれない男として、
人物描写されていたと記憶しています。

繭と接しているとき、羽村先生はまるで子供に戻ったように
はしゃいでる姿も多かったよなあ。

きっと、少年時代に、親の期待に応えるために、無意識のうちに封印した少年の願望を、
繭と接することで成就しているんだと思うんですよねえ。

考え過ぎかな


繭もまた、自分の幸せって何か、考えたことはなかったんでしょう。
まだ若いから、当然ではありますが。

14であんなことになり、全てに対して空虚になってしまったのかも。

それが、羽村先生と出会って、
初めて自分の存在を純粋に受け入れてくれる人に巡り合えた。

守ってあげたい。救ってあげたい。そばにいたい。

羽村先生が繭に対してそう思ったように、
繭もきっと羽村先生に対してそう思ってたんじゃないかなー。


お互いの存在=自分の幸せだったんだろうな。


繭の先生への手紙の一文
人が周りにいないからじゃなくて、
自分をわかってくれる人がいないから、寂しくなるんだね。


という言葉と、

羽村先生が自分に思いを寄せる教育実習生に向けた言葉

僕たちはもっと、おかしいくらい単純なんだ。
そばにいないと、寂しい。




この二つは、きっと繋がってたんだろうと、全部見終わった今となっては感じてます。
そんな存在に出会えたことは、きっと何よりも幸福なんだろうな、とも思います。


でも、初めて見つけた本当の幸せ本当の自分を守ろうと、
二人は暴走してしまった。


それこそ、ラストシーンで羽村先生が発した言葉
僕は今、本当の自分がなんなのか、わかったような気がする。
いや、僕だけじゃなく
人は皆、恐怖も、怒りも悲しみもない
まして名誉や、地位や、すべての有形無形のものへの執着もない
ただそこにたった一人からの、永遠に愛し、愛されることの息吹を感じていたい
そう…ただそれだけの
無邪気な子どもに過ぎなかったんだと…。



がかかってくるんですよね…。



本当の自分とは何か、本当の幸せとは何か。
二人はその答えを見つけた。


でも、多くの人々は、新庄先生もそうであったように、
守るべきものを見つけ、ある程度妥協して生活を形成してゆく。


それが大人になるってことなんだろうなと思う。


そう考えると、やはり羽村先生と繭は、あまりにも純粋すぎた。


はあ…。


もう一度考えたい。


どうすれば、正解だったんだろう?

今作のラストは、これ以上ないぐらい悲しい結末です。

でも、作者いわく、ハッピーエンドらしいんですよ。


そして、ハッピーエンドというその言葉にも、
そう…だよね…と妙に納得してしまう自分がいるのです。

このモヤモヤ感が解消されることは、ないんだろうな。


まだ上手く言葉がまとまらなくて、思ったこと書き殴ってしまいました。


いずれ推敲しますが、とりあえず感想…。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。