その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った…
— morpheus🪖Reloaded⚔️地滑り的勝利への覚醒🏆 (@Reloaded7701) December 14, 2022
「見よ世の罪を取り除く神の小羊」
ヨハネ1:29🐸 pic.twitter.com/nptC1E9VPR
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聖霊は「あかしする」お方ですが、何をあかしするのでしょうか。26節に「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」とあるように、聖霊は、キリストをあかしするのです。
今、私は「聖霊がキリストをあかしする」と言っていますが、そもそも「あかしする」とはいったいどうすることなのでしょうか。聖書には、普段使わない独特な言葉がいくつかあって、はじめて聖書を読む人には、謎のように聞こえ、長く聖書を学んでいるクリスチャンにとっても、わかったつもりで分かっていない場合が多いのです。「あかし」という言葉はその中のひとつだと思います。
「どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。」(申命記19:15)
「証人は父なる神と、その子であるわたしのふたり以上いるではないか。」と、パリサイ人に答えているのです。「あかし」は「法廷での証言」という意味だと言いましたが、最高の法廷は、すべてのことを正しく裁かれる神の法廷です。神の法廷の審判者である方が、証人となるのですから、これ以上に確かなものはありません。
「聖霊がキリストをあかしする」というのは、父なる神がキリストをあかしするのと同じ意味をもっています。父なる神が、イエスが神の御子であることを、公に、権威をもって証明するように、聖霊もまた、イエスがキリストであることを、権威をもって公に証明するのです。イエスは、自分で自分を救い主であると主張した狂信的な人物でも、人々によって救い主にまつりあげられた伝説上の人物でもありません。父なる神と聖霊とによってあかしされている、正真正銘の救い主なのです。あなたは、このように確かにあかしされているお方を、あなたの心に、受け入れているでしょうか。
では、聖霊はどのように、キリストをあかしするのでしょうか。聖霊は神であり、主権者ですから、「思いのままに」、自由にものごとをなされるのですが、いくつかの段階を踏んで、私たちに働きかけてくださることが聖書に示されています。
第一は、私たちに罪を認めさせ、悔い改めと回心 (Conversion) に導くという働きです。このことについて、イエスはヨハネ16:8-9で「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」と言っています。私たちは皆、聖霊の働きを受けるまでは、頑固で自分の罪を認めることをしませんでした。自分が不完全であることを知っていても、プライドが邪魔をして、神の前にへりくだって、罪を認めることができないでいたのです。私たちが罪を認め、救いを求めることができたのは、聖霊の働きによったのです。
第二に、聖霊は、私たちを信仰の告白 (Confession) に導きます。聖書は「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」と言っていますが、人前で「私はイエスをキリスト、救い主と信じます。」ということは、決して簡単なことではありません。よく考え、理解し、自分の人生をキリストにまかせる決断をするのです。それは、ひとりの人を選び、生涯を共にするという結婚の決断と似ています。とても大切な決断で、私たちは、それを自分の意志で、責任でしなければならないのですから、たいへんなことです。しかし、それを聖霊は助けてくださいます。コリント第一12:3にこうあります。「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語るものはだれも、『イエスはのろわれよ。』とは言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』ということはできません。」聖霊は、私たちに罪の悔い改めに導くとともに「イエスは主です。」との信仰の告白に導いてくださるのです。