東日本大震災で「荒野の野砲」の斜面がくずれ、その後も運休していることは、すでに書き込んでいます。
実は「荒野の野砲」の大砲は1967年の製造、よくがんばってくれていましたが、部品がもう手にはいらない状態でした。そして球を打ち出すコンプレッサー(空気圧搾機)も、同様でした。
1968年の開園以来の遊具ですので、持つところまで持たせようということで継続していましたが、斜面被害が大きく玉集め装置も解体撤去になってしまいました。
3年前の3月にはミヤギテレビの取材で、浜本徳子アナウンサーもはまっていました(最初の写真)が、子どもたちだけでなく、大人にも隠れた人気でした。
このためやむなく的幕をはずしたほか、砲台、看板や係員室を撤去、大砲8門とコンプレッサー2基を搬出してしまいました。
別の施設で日の目を見ればいいですが、老朽化でちょっとむずかしいかもしれません。ありがとう「荒野の野砲」です。
実は「荒野の野砲」の大砲は1967年の製造、よくがんばってくれていましたが、部品がもう手にはいらない状態でした。そして球を打ち出すコンプレッサー(空気圧搾機)も、同様でした。
1968年の開園以来の遊具ですので、持つところまで持たせようということで継続していましたが、斜面被害が大きく玉集め装置も解体撤去になってしまいました。
3年前の3月にはミヤギテレビの取材で、浜本徳子アナウンサーもはまっていました(最初の写真)が、子どもたちだけでなく、大人にも隠れた人気でした。
このためやむなく的幕をはずしたほか、砲台、看板や係員室を撤去、大砲8門とコンプレッサー2基を搬出してしまいました。
別の施設で日の目を見ればいいですが、老朽化でちょっとむずかしいかもしれません。ありがとう「荒野の野砲」です。