石浜神社 旧郷社 通称・旧称:石浜神明宮 石浜神明社 橋場神明社
散歩ルートまとめ
浅草寺 伝法院枝垂れ桜 ⇒ 駒形堂 ⇒ 待乳山聖天 ⇒ 今戸神社 ⇒ 橋場不動院 ⇒ 石浜神社 ⇒ 玉姫稲荷神社 ⇒ お化け地蔵 ⇒ 桜橋 ⇒ 浅草駅
この記事は石浜神社HPを引用して作成しています。
【住 所】東京都荒川区南千住 3-28-58 Mapion地図
【御祭神】 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受姫神(とようけひめのかみ)
【創 建】社伝では神亀元年(724)
【由 緒】
【石浜神社の写真】 平成26年3月31日撮影
石浜神社 鳥居から社殿を見る

石浜神社 第一の鳥居
第一鳥居は、安永8年(1780)麁香様の開帳の年に建立。
笠木(横柱の上部のもの)のカマボコ型様式は、神明造りには珍しい

石浜神社 第二の鳥居
第二鳥居は、寛延2年(1749)の建立。様式で額束(がくづか:横柱の中央にある短い支柱)のある型は、神明造りでは珍しい。

石浜神社 本殿 木造神明造(昭和12年落成伊東忠太設計) 木造銅板葺神明造(昭和63年落成)

石浜神社 本殿 木造神明造(昭和12年落成伊東忠太設計) 木造銅板葺神明造(昭和63年落成)

石浜神社 本殿 神額

石浜神社 社殿の中の様子

石浜神社 境内社 社殿右に境内社の祠を納める鞘堂

石浜神社 境内社 社殿右の鞘堂の前の境内社の神額


石浜神社 境内社 社殿右に鞘堂の神額の中にはそれぞれの神社の祠がある

石浜神社 境内社 左は白狐祠 右は富士遙拝所

石浜神社 手水舎

石浜神社 神輿庫

石浜神社 亀田鵬斎詩碑(荒川区指定文化財)儒学者鵬斎73歳の折の作、隅田川の詩2首が刻まれています。

石浜神社 七福神 復活の碑

石浜神社 由緒書

石浜神社 狛犬もスカイツリーを眺める

散歩ルートまとめ
浅草寺 伝法院枝垂れ桜 ⇒ 駒形堂 ⇒ 待乳山聖天 ⇒ 今戸神社 ⇒ 橋場不動院 ⇒ 石浜神社 ⇒ 玉姫稲荷神社 ⇒ お化け地蔵 ⇒ 桜橋 ⇒ 浅草駅
この記事は石浜神社HPを引用して作成しています。
【住 所】東京都荒川区南千住 3-28-58 Mapion地図
【御祭神】 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受姫神(とようけひめのかみ)
【創 建】社伝では神亀元年(724)
【由 緒】
当社は、聖武天皇の神亀元年(724)9月11日、勅願によって鎮座され、以来1280年余の歴史を持っています。
文治5年(1189)、源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、弘安4年(1281)、蒙古襲来の折、必勝を祈念しての、鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣(かんぺい:天皇から神に捧げる礼物)のご奉納などを経て、中世初めには大社としての発展を見ました。殊に、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は篤く、関八州より、多くの参詣者を集めたと、伝えられています。
東に隅田の大川、西に霊峰富士、北に名山筑波といった名勝に恵まれ、江戸近世における社運はさらに隆昌、『江戸名所図会』などにも大きく納められるところとなり、「神明さん」の通称のもと、市民の間にその名を馳せました。明治5年(1872)、郷社に格付けされ、以後、時の流れと共に名称などに変化はあったものの、ご神徳・社運の輝きはいよいよ高く、今日に及んでおります。
【石浜神社の歴史まとめ】文治5年(1189)、源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、弘安4年(1281)、蒙古襲来の折、必勝を祈念しての、鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣(かんぺい:天皇から神に捧げる礼物)のご奉納などを経て、中世初めには大社としての発展を見ました。殊に、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は篤く、関八州より、多くの参詣者を集めたと、伝えられています。
東に隅田の大川、西に霊峰富士、北に名山筑波といった名勝に恵まれ、江戸近世における社運はさらに隆昌、『江戸名所図会』などにも大きく納められるところとなり、「神明さん」の通称のもと、市民の間にその名を馳せました。明治5年(1872)、郷社に格付けされ、以後、時の流れと共に名称などに変化はあったものの、ご神徳・社運の輝きはいよいよ高く、今日に及んでおります。
728年 神亀元年9月11日 勅願によって鎮座
1189年 文治5年 源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進
1281年 弘安4年 蒙古襲来の折、官幣(かんぺい:天皇から神に捧げる礼物)のご奉納
1532年頃 天文年間(1532~1554)境内社:現・江戸神社を江戸太郎重長が勧請。当時の社名は牛頭天王社
1749年 寛延2年 第二鳥居建立
1758年 宝暦8年 富士遙拝所を建立。
1767年 明和4年6月5日、 境内社:北野神社を菅公の末孫27代目の高辻大納言が勧請
1779年 安永8年の8月8日 境内社:麁香神社鎮座
1780年 安永8年 第一鳥居建立。麁香様の開帳の年に建立
1857年 安政4年 日本大工祖神の碑を建立。真先稲荷5回目の開帳の年。
1872年 明治5年 郷社に格付け
1926年 大正15年 境内社:真先稲荷神社を併合
1937年 昭和12年 本殿落成 木造神明造(伊東忠太設計)
1987年 昭和52年 浅草七福神の復活に際し寿老人を祀る。
1988年 昭和63年 拝殿落成 木造銅板葺神明造
【境内社】1189年 文治5年 源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進
1281年 弘安4年 蒙古襲来の折、官幣(かんぺい:天皇から神に捧げる礼物)のご奉納
1532年頃 天文年間(1532~1554)境内社:現・江戸神社を江戸太郎重長が勧請。当時の社名は牛頭天王社
1749年 寛延2年 第二鳥居建立
1758年 宝暦8年 富士遙拝所を建立。
1767年 明和4年6月5日、 境内社:北野神社を菅公の末孫27代目の高辻大納言が勧請
1779年 安永8年の8月8日 境内社:麁香神社鎮座
1780年 安永8年 第一鳥居建立。麁香様の開帳の年に建立
1857年 安政4年 日本大工祖神の碑を建立。真先稲荷5回目の開帳の年。
1872年 明治5年 郷社に格付け
1926年 大正15年 境内社:真先稲荷神社を併合
1937年 昭和12年 本殿落成 木造神明造(伊東忠太設計)
1987年 昭和52年 浅草七福神の復活に際し寿老人を祀る。
1988年 昭和63年 拝殿落成 木造銅板葺神明造
江戸神社:ご祭神は、天照大神の弟神、素戔雄尊(すさのおのみこと)、もとは天文年間(1532~1554)に、江戸太郎重長が勧請申した牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)で、橋場の地の鎮守様、後、江戸神社と称しました。
北野神社:ご祭神は、菅原道真公、明和4年(1767)6月5日、菅公の末孫27代目の高辻大納言の勧請によるものです。吉原の代表行事「にわか」踊りは、当社に由来する梅祭りが基といわれます。
妙義八幡神社ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇のこと)の二柱、鎮座年代不詳。
麁香神社(あらかじんじゃ):ご祭神は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)の二柱、家室(いえむろ:家屋敷)の土台の守り神、さらには木匠の始祖として、安永8年(1779)の8月8日鎮座されました。いわば、家づくり、ものづくりの神様です。
真先稲荷神社:ご祭神は、豊受姫神(とようけひめのかみ)、天文年間に石浜城城主となった千葉之介守胤が、ここに一族一党の隆昌を祈って宮柱を築き、先祖伝来の武運守護の、尊い宝珠を奉納安置申して以来、真先かける武功という意味にちなみ、真先稲荷として世に知られました。 大正15年(1926)、石浜神社に併合されました。
招来稲荷神社(おいでいなりじんじゃ):ご祭神は、豊受姫神、真先稲荷の奥宮としてまつられました。
白狐祠(ほこら):江戸後期、招来稲荷社繁栄の頃の狐に関する伝えは、この祠にちなむものです。
富士遙拝所:宝暦8年(1758)の建立。当時普及を見た富士信仰・講の記念の一つです。
【浅草七福神】寿老神:昭和52年(1987)、浅草七福神の復活に際し、延命長寿の神として奉安。
北野神社:ご祭神は、菅原道真公、明和4年(1767)6月5日、菅公の末孫27代目の高辻大納言の勧請によるものです。吉原の代表行事「にわか」踊りは、当社に由来する梅祭りが基といわれます。
妙義八幡神社ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇のこと)の二柱、鎮座年代不詳。
麁香神社(あらかじんじゃ):ご祭神は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)の二柱、家室(いえむろ:家屋敷)の土台の守り神、さらには木匠の始祖として、安永8年(1779)の8月8日鎮座されました。いわば、家づくり、ものづくりの神様です。
真先稲荷神社:ご祭神は、豊受姫神(とようけひめのかみ)、天文年間に石浜城城主となった千葉之介守胤が、ここに一族一党の隆昌を祈って宮柱を築き、先祖伝来の武運守護の、尊い宝珠を奉納安置申して以来、真先かける武功という意味にちなみ、真先稲荷として世に知られました。 大正15年(1926)、石浜神社に併合されました。
招来稲荷神社(おいでいなりじんじゃ):ご祭神は、豊受姫神、真先稲荷の奥宮としてまつられました。
白狐祠(ほこら):江戸後期、招来稲荷社繁栄の頃の狐に関する伝えは、この祠にちなむものです。
富士遙拝所:宝暦8年(1758)の建立。当時普及を見た富士信仰・講の記念の一つです。
【浅草七福神】寿老神:昭和52年(1987)、浅草七福神の復活に際し、延命長寿の神として奉安。
【石浜神社の写真】 平成26年3月31日撮影
石浜神社 鳥居から社殿を見る

石浜神社 第一の鳥居
第一鳥居は、安永8年(1780)麁香様の開帳の年に建立。
笠木(横柱の上部のもの)のカマボコ型様式は、神明造りには珍しい

石浜神社 第二の鳥居
第二鳥居は、寛延2年(1749)の建立。様式で額束(がくづか:横柱の中央にある短い支柱)のある型は、神明造りでは珍しい。

石浜神社 本殿 木造神明造(昭和12年落成伊東忠太設計) 木造銅板葺神明造(昭和63年落成)

石浜神社 本殿 木造神明造(昭和12年落成伊東忠太設計) 木造銅板葺神明造(昭和63年落成)

石浜神社 本殿 神額

石浜神社 社殿の中の様子

石浜神社 境内社 社殿右に境内社の祠を納める鞘堂

石浜神社 境内社 社殿右の鞘堂の前の境内社の神額


石浜神社 境内社 社殿右に鞘堂の神額の中にはそれぞれの神社の祠がある

石浜神社 境内社 左は白狐祠 右は富士遙拝所

石浜神社 手水舎

石浜神社 神輿庫

石浜神社 亀田鵬斎詩碑(荒川区指定文化財)儒学者鵬斎73歳の折の作、隅田川の詩2首が刻まれています。

石浜神社 七福神 復活の碑

石浜神社 由緒書

石浜神社 狛犬もスカイツリーを眺める

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