店長のトリヤマジュンコです!
このところお知らせだけのブログになっていたので、
今日は店長のトリヤマジュンコの昔を振り返って
みたいと思います。
高校生当時、音大を目指していたトリヤマジュンコは
月に1~2回、東京にレッスンに通っていました。
ピアノの先生は代々木、歌の先生は目黒。
新幹線がなかった時代、5時の始発電車に乗り
東京(上野)に着くのが昼頃。
レッスンを2会場で受け、
16時頃上野を出発し、なんとかその日のうちに
村上へ。
乗り遅れると新潟駅まで両親が迎えにきてくれました。
乗り遅れると本当に悲惨。
到着が遅いだけでなく、
指定席が取れないため
新潟(新津駅)まで立ち乗りで
ということもシバシバ。
昔のこと・・・。
新聞を通路に敷いて座る人もいて
「おねえちゃんもどうぞ」と
やさしい言葉をかけてもらってホロリ。
身動きできないほど
ギュウギュウ詰めの車内で
疲れ果てて眠るトリヤマジュンコでした。
続きはいつか~。
明日も元気に開店いたします。
このところお知らせだけのブログになっていたので、
今日は店長のトリヤマジュンコの昔を振り返って
みたいと思います。
高校生当時、音大を目指していたトリヤマジュンコは
月に1~2回、東京にレッスンに通っていました。
ピアノの先生は代々木、歌の先生は目黒。
新幹線がなかった時代、5時の始発電車に乗り
東京(上野)に着くのが昼頃。
レッスンを2会場で受け、
16時頃上野を出発し、なんとかその日のうちに
村上へ。
乗り遅れると新潟駅まで両親が迎えにきてくれました。
乗り遅れると本当に悲惨。
到着が遅いだけでなく、
指定席が取れないため
新潟(新津駅)まで立ち乗りで
ということもシバシバ。
昔のこと・・・。
新聞を通路に敷いて座る人もいて
「おねえちゃんもどうぞ」と
やさしい言葉をかけてもらってホロリ。
身動きできないほど
ギュウギュウ詰めの車内で
疲れ果てて眠るトリヤマジュンコでした。
続きはいつか~。
明日も元気に開店いたします。