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「アルビレックス新潟」各チーム推し活動をできるだけ現場でしている都内在住サポーター

「1シーズンに1試合」アルビレックス新潟&アルビレックス新潟レディースの育成チームの試合を御覧になってみませんか 

2005季のアルビレックス新潟

2020年06月15日 18時00分00秒 | アルビレックス新潟
サッカー専門新聞「エルゴラッソ」の回顧特集に倣って。

アンデルソン リマを“代打”で送って、今や伝説と化したフリーキックで逆転勝ちを収めた第10節の対川崎フロンターレ戦
エジミウソンのハットトリックで勝利した第31節の対ジュビロ磐田戦
イビツァ オシム監督と反町康治監督との用兵合戦を呈した第15節の対ジェフユナイテッド市原戦
野澤洋輔が退場し、菊地直哉がゴールキーパーを任された第26節の対川崎戦

いずれも2005季のアルビレックス新潟を語るうえで欠かせない試合ですが、それがしは、第7節の対東京ヴェルディ戦が、このシーズンで一番印象に残ったゲーム。
会場は国立霞ヶ丘競技場。
国立霞ヶ丘競技場で新潟がゲームをするのは、これが3度目。
初回は、2004Jリーグディビジョン1第1ステージ第6節、対市原戦。
2回目は、2004Jリーグディビジョン1第2ステージ第11節、対柏レイソル戦。

市原のと試合は、もともと計画されていたアウェイ戦。
一方の柏戦は、デンカビッグスワンスタジアムが中越地震対応で使用不可となっため、臨時で代替としたものでした。

今はもう存在しない「国立霞ヶ丘競技場」は、当時ときたまJリーグ興行で使われていましたが、天皇杯全日本サッカー選手権とJリーグヤマザキナビスコカップの決勝の舞台。
Jクラブを応援する人間にしたら、ハレの会場。
なのに、2004年11月10日、新潟は地震復旧のために已む無く、そこで試合をすることに。
それしか選択肢がなかったとはいえ、国立でそういう性格を帯びた試合をするのは、沈痛でもありました。

そんな複雑な感情を抱えて応援した場所、国立霞ヶ丘競技場で5か月後にまた新潟がゲームをすることに。
それが第7節の東京Vとの戦い。
今度は地震関係なく、通常のアウェイ戦。
現在でも記憶が鮮明です、あの試合の新宿区は快晴で、湿度は極めて低く、絶好の応援日和・サッカー日和。
まだ復興の道半ばでしたが、中越地震で避難を余儀なくされる人の数は減り、交通網もだいぶ回復。
震災の痛みがかなり癒えた時期に、晴天の下、国立霞ヶ丘競技場で応援できるーなんて幸せなことか、と。

東京V×新潟の結果は、2対2。
両チームの絶対的エースストライカーのワシントンとエジミウソンが2得点ずつ決め。
勝てなかった悔しさはありましたが、べたな表現でいえば手に汗握る面白い試合。
この後、ワシントンもエジミウソンも浦和レッドダイヤモンズに引き抜かれるんですよね。
ワシントンは2007季まで浦和に、エジミウソンは2008季から浦和なので、同僚にはなれませんでしたが。

そして結局、新潟は国立霞ヶ丘競技場で4回目の試合をすることなく。
あれが、アルビレックス新潟トップチーム最後の国立霞ヶ丘競技場ゲーム。

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