時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

いつか形が変わる? 富士山

2015年05月18日 | 

富士山。日本人にとっては、世界に誇れる美しい山である。

富士山から遠方に住んでて、一度も富士山を生で見たことがない人は、日本人なら一度ぐらいは見ておきたい山であろう。

また、普段住んでる場所から、仮に遠景であっても富士山が見える人にとっては、その姿を見ては心が和んだり、なぐさめられたりもする・・富士山はそんな存在だったりするのではないか。

 

その美しさは世界的にも知られており、富士山の存在が心の支えになっている人もいることだろう。

実際、富士山は実に美しい。

人間で例えれば、絶世の美女であろう。

 

そんな富士山であるが、富士山は決して死火山ではない。それも日本人は知識としては知っている。

死火山ではない以上、いつかまた噴火する日はあるのだろう。

 

思えば、富士山爆発を危惧する声は、昔からあったし、それは東日本大震災以来、その声はそれまで以上に高まっている気がする。

 

富士山は、見る角度によっては、途中に噴火の跡が見える場所がある。宝永山と呼ばれる個所だ。

これは1707年に爆発した側火山である。今のところ、これが富士山一帯のエリアでは一番最近の爆発らしい。

 

これを見ると、富士山はたとえ休火山であっても火山であり、いずれはまた爆発する日は来るのだろうな・・・と思ってしまう。

 

宝永山は側火山であり、あくまでも富士山のメインの火口の爆発ではないから、大きく富士山の形を変えるには至っていないが、いずれまた富士山が爆発して、しかもその規模がすさまじいものであったなら、富士山はあの美しい形を変えてしまう可能性はある。

側火山であったとしても、その規模によっては。

もし、富士山のメインの火口が大規模爆発したら、なおさら。

 

その場合、富士山はいったいどんな形になってしまうのだろう・・・と、ふと考えることが私にはある。

富士山とは名ばかりの、全然別の形になってしまう可能性もある。

今とは違う形の山になったとしても、人はそれを富士山と呼び続けることはできるのだろうか。

 

もしそれに抵抗があるのなら、まったく別の名前で呼ぶことになるのか。

あるいは・・たとえば「旧・富士山」「新・富士山」みたいな呼び方で呼ばれるのか。

あるいは、あくまでも・・形が変わってしまっても、富士山と人は呼び続けるのだろうか。

 

これまでの「富士山」という名前の歴史を尊重し、人は新たに形が変わってしまった富士山であっても、きっと・・富士山と呼びたがるのではないかと私には思える。

 

富士山・・・という名称には、日本人はある種特別の思いを抱いていると思えるから。

 

富士山はこれまでの歴史の中で、写真、絵などに多数その形が描かれてきている。

そう、カメラがなかった時代でも、絵という形態で。

 

なので・・

 

たとえ富士山が大きく形を変えてしまっても・・・それまでの富士山の姿は、いつまでも語り継がれていくとは思う。

 

ただ・・

やはり富士山には、出来ればいつまでもあの形を保ってほしい。

たとえメインの火口が爆発することになったとしても。

 

もしも側火山が爆発するのなら、ほどほどにしてほしい。

 

それが・・富士山を誇りに思ったり、愛したりしてきている、多くの日本人の気持ちだと思う。

 

とりあえず、今見える富士山のあの美しい姿は、山や地形・・いや、地球の気の遠くなるような長い歴史の中では、自然風景の奇跡のひとつなのだと思う。

気の遠くなるような永久の時の流れの中では、一瞬でしかないのかもしれない。

 

 

恐竜の時代、人類が地球に現れる前の時代、地球ができたばかりの時代、現在富士山と呼ばれている地形は、いったいどんな形をしていたのだろう。

 

 

そんなことを考えると、富士山をはじめとする、現在我々が見ることができる美しい自然景観は、かけがえのない姿なのだと思う。

 

 

いつまでも、富士山は富士山のままでいてほしい。富士山が、今の富士山とはまったく違った姿になった光景は、想像したくないし、そうなったら、相当寂しいものがある。

 

 

 

 

 


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