塩を売って緑を買う男・バンベンの日記

塩や重曹を売りながら内モンゴル・オルドスの砂漠緑化を進めるバンベンの奮闘記。商品についてはHP(バンベンで検索)まで!

JICAボランティア同窓会IN二本松 2日目

2012-03-31 | Weblog
25日(日)
7時起床。二日酔い&寝不足。でも朝食はバクバク食べる。8時に出発。バス4台に分かれて福島の被災地を視察。協力隊OBで相馬市で幼稚園教諭をしているS氏の話を聞きながら、まずは飯館村へ。

ここは原発事故の影響で避難指示が出ているところ。残っている住民はほとんどいない。無人化した街、小学校が痛々しい。震災前ここの「飯館牛」をブランド化し、やっと軌道に乗ったところで大地震。人は避難したが家畜は徐々に痩せこけ死んでいったという。ペットは野生化し、たまに狼か狐のように鋭い目をした犬を見かけるとのこと。見た目にはのどかな山村の風景の中、様々な悲劇が生まれている。目に見えない放射能の恐怖を実感した。

続いて南相馬市を経由して相馬市へ。市民ホールで相馬市長の講和を聞く。地震、津波、原発事故・・・。次々と降りかかる災難の中、リーダーとしてどう動いたのか、とても興味部会お話だった。

その後、相馬の海岸のほうへ。何カ所かバスを降りて市役所の方の話を聞く。がれきの集積所、破壊された港、土台だけになった住宅街・・・。ここでも復興はまだまだ先といった感じ。

地元の幼稚園教諭S氏は大地震発生時にちょうど園児をバスで送り届けているところだったという。烈しい揺れの後の津波警報。ここでもギリギリの判断が求められた。幸い全員無事だったとのこと。しかしその後の行方不明者捜索を行った時の惨状は想像するだけで恐ろしくなる。その他いろんなエピソードを車内で聞いた。震災や見えない敵と戦いながらも相馬にとどまって踏ん張って生きていく、そんな気概を感じた。

車窓から下校時に帰宅するランドセル姿の小学生が見える。がれき撤去や復興事業で土木関係者が大勢押し寄せ、民宿やホテルは連日満室とのこと。少しずつだが前に向かって進んでいるようだ。

その後、バスで2時間、郡山で関西方面のバスに乗り換えて夜行バスの旅。車内でうとうとしながら今回の旅を振り返る。今日は一日被災地を回り胸が締め付けられる思いもしたが、福島の人々の粘り強さも感じられた。自分に何ができるか・・・。今はこの体験を九州に戻って伝えていくことくらいしかできないが・・・。

そしてJICAボランティアのネットワークの可能性。「国内も元気にする協力隊・・・」。うとうとしながらいろんなアイデアが浮かんでは消えた。


JICAボランティア同窓会IN二本松1日目

2012-03-30 | Weblog
24日(土)

昨晩22時に大阪を出発。関西からは43名が夜行バスで福島県二本松JICA訓練所を目指す。11時間。うとうとしているうちに福島県へ。

まず9時に会津磐梯にある「野口英世記念館」へ。偉人の功績に改めて感動。

昼過ぎに二本松へ。まだ時間があるので近くの岳温泉で1時間ほど自由行動。といっても外はものすごい風。晴れ間も出るが時々雪も舞う。とりあえず足湯。足元からじわっと温まる。

14時に二本松訓練所へ。僕は素早く受付を済ませ、同窓会会場前でバンベンのブースを設営。他には仮設住宅で暮らしている女性が編んだ毛糸の帽子などを販売する団体や東北の農産物を売る団体などがあった。

僕は福岡から持てるだけのモンゴル岩塩を持ち込み、テーブルに並べる。横に3月11日福岡市役所前で行われた震災復興イベントの時に書いていただいた「寄書」を展示。来場者の注目を集める。

会が始まるまでの30分が勝負。塩を販売しながらオルドス緑化事業をアピール。福岡では少しずつ知られているが、全国的には無名のバンベンの塩。どれだけ売れるか全然予測がつかなかったが、やはりJICAボランティア経験者は温かい。どんどん売れていく。OBOGとの久々の再会もあり、あっという間に時間が過ぎる。

15時に同窓会スタート。250名近くのOBOGとその家族が集結。熱気ムンムン。僕が生まれた年に始まった協力隊事業。歴史の重みを感じる。いったんブースを離れて講演に集中。福島で活躍する3名のOBOGのお話。避難所だった時の訓練所の様子、農業・医療の支援のあり方など実体験に基づく貴重なお話を聞けた。

17時に終了。素早く自分のブースに戻り、残りの岩塩を売り切る。持ってきた40個が完売。スッキリ。身も心も軽くなる。

いったん岳温泉にあるホテルにチェックイン。すぐに懇親会会場へ。ここでも久々の再会が続く。20年前、僕が隊員だった頃の隊員、調整員。僕が調整員だった頃の隊員、調整員からオルドス植林に参加してくれた最近の隊員など・・・。話が尽きない。行った国も年代も全く違うOBOGともすぐに打ち解けるのがうれしい。

21時に懇親会が終了。そのまま近くの居酒屋になだれ込む。この入り乱れた雰囲気がいい。20年前の派遣前に行った壮行会後の大宴会を思い出す。

日付が変わった頃終了。部屋に戻る。6人部屋はみんな知らない人ばかり。なんだか盛り上がっている。僕はとりあえず温泉に浸かって部屋に戻るとますます盛り上がっている。ここでも酒を酌み交わしながら熱く語り合った。残念ながら語り合った内容も語り合った人の顔も思い出せないが・・・。

3時過ぎに眠りに着いたようだ。

大盛況だった「北九州ソーシャルビジネスメッセ」

2012-03-19 | Weblog
17日(土)

8時に起床。連日の飲み会の影響で体調は最悪。でも気持ちを奮い立たせて、キャリーケースにバンベン商品をいっぱい積めて9時に出発。

10時過ぎに小倉駅北側西日本総合展示場に到着。今日は「北九州ソーシャルビジネスメッセ2012」に参加する。急いでブース設営。A3の写真パネルを貼って、商品を並べて、チラシを置いて・・・。魅力的な講演が目白押しなのでブースでの商品販売は「緑カエル」君に任せ、つまり無人販売所状態にして講演会場へ。

10:20から講演開始。全国レベルで或いは北九州で社会貢献を実践している企業家の方々のお話を聞ける。非常に参考になる。お昼のおにぎり交流会を挟んで、午後からは3会場に分かれての講演。どの方のお話も聞いてみたい。とりあえず「ソーシャルファーム」のセッションに参加。ココファームワイナリー、あうるず、はまゆう学園のお話を聞いた。

そして15時からは「101プロジェクト」のセッション。盲導犬育成支援を行っている飲食店のグループ「福岡DEないと」、「塩を売って緑を買う男」バンベン、福島を舞台に撮影された「トテチータ、チキチータ」という映画の話、イオン九州の社会貢献、全員がWin-Winでつながる福祉支援システム・・・。

傍から見ると不思議な組み合わせ。企業・団体・個人・・・。分野もバラバラだが、社会貢献をキーワードに101プロジェクトでつながっている。

これだけのメンバーで2時間というのは短すぎて、全部は伝えきれなかったが、かなりのインパクトはあったと思う。聞いていただいた方に「次は101に参加したい」と思っていただけたら大成功。

セッションが終わって素早くブース撤収。ほったらかしにしていた「緑カエル」君の口の中にけっこうコインが入っていた。

17時からはお待ちかねの交流会。120人以上詰めかけ、かなりギュウギュウ詰め。ここが一番つながる時間。精力的に名刺交換。やっぱり「塩を売って緑を買う男」の話を聞いていただいた方とは話がはずむ。ビジネスの種もチラホラ。途中に種ともこさんのミニライブもあり、19時半まで充実した時間を楽しんだ。

その後、関係者の打ち上げが「カウサ」で行われた。改めて見るとすごい顔ぶれ。この中に入れてもらえるだけでも有難い。

それにしても今日は大きなイベントだった。1年前の第1回目の北九州ソーシャルビジネスメッセに比べて来場者、出展者、講演者全て3倍くらい増えている。北九州にも社会貢献の流れが確実に来ている。来年はどんなことになっているのか、今から楽しみだ。

バンベンも去年に引き続き講演する機会を与えていただいた。確実に成果に結び付けていきたい。こういう場を作っていただいたK氏をはじめスタッフの方々に心からお礼を申し上げたい。

そして最後はやっぱり酔いどれ列車。新メンバーも加わり、最後はドロッとした感じで長い1日を終えた。


忘れない3.11

2012-03-15 | Weblog
11日(日)

6時起き。6時半出発。協力隊OBのF氏と車で博多方面へ。さすがに車は少ない。スイスイ走ってあっという間に博多駅前3丁目のJOCA九州の事務所へ。ここで今日使う機材や商材をピックアップ。7:45に市役所西側ふれあい広場に搬入。

今日は東日本大震災復興支援イベント「忘れない3.11手をつなぎ元気を届けよう」に青年海外協力隊OB会として出展する。1カ月以上前から打合せを重ね、協力隊らしい支援のあり方を考え、海外とのつながりを感じられるブースになっていった。3つのテントを使っての展示内容は:

1.オリジナル缶バッチ製作(売上を寄付)
2.空港などの募金箱に入れられたコイン分(分けられたコインを両替して寄付)
3.パネル展示(海外の大震災に対する支援の様子を中心に展示します)
4.民族雑貨チャリティ物販(協力隊OBOGが持ち帰った海外面白雑貨を販売、売上を寄付)
5.寄書(九州から東北に元気を届けます)

当日のボランティアは協力隊OBOG以外に昨年9月に震災ボランティアとして一緒に気仙沼大島に行った学生さんなど20人近く集まってもらった。一応僕が代表になっているのでいろいろ指示をしなければいけない立場だったが、みんな自分で動ける人たちなので当日はほとんどやることがなさそうだ。

9時過ぎにブースの設営完了。朝礼やリハーサルを経て10時にイベントが始まった。30以上の団体が参加。東北の商品の販売、災害ボランティアとして現地に行った時の様子の展示。などそれぞれ工夫を凝らしたブースになっている。ステージでは消防音楽隊や中高生の合唱などが行われ賑わいのある空間になっている。

開始早々高島市長が協力隊ブースを訪れた。すかさず寄書にコメントをいただき、みんなで記念写真。幸先のいいスタート。

当日の天気は時々日差しが差し込むもののとくかく風が強く寒い。時々テントが飛ばされそうになるほど。あちこちで看板が倒れたり、商品が飛んできたり・・・。悪条件であればある程会場内に一体感が湧く。

開始から来場者も多く、一際異彩を放つ協力隊ブースも大人気だ。僕はブースの外でひたすら来場者への呼びかけ。

あっという間に14時半。メインイベント「手つなぎプロジェクト」へ会場全体が移っていく。来場者やボランティアスタッフが手をつないでどんどん輪ができていく。リハーサルでは手をつないでいただく人が少なくて輪ができなかったらどうしようと心配する向きもあったが、やってみると参加する人が次々現れ3重の輪に。

そして14時46分。地震発生時刻に全員で黙祷。静かになった会場のなかで幼い子供のはしゃぐ声。平和を感じた。黙祷が終わると同時にステージから「ふるさと」の合唱が聞こえてきた。その時頭に浮かぶのは災害ボランティアに行った時に見たがれきの山。会場のあちこちで涙ぐむ人びと。全然知らない人同士で手をつないで不思議な一体感を感じることができた。

その後も17時までイベントが続いた。協力隊のブースは缶バッチは順調に売れてほぼ売り切れ。コイン分けも全てやり終えた。海外の面白グッズは怪しげなものが多く、そんなに売れないだろうと思っていたが、予想をはるかに超える売上。寄付という意味も込めて高くに買っていただいた方も多かった。本当に有難い。

そして寄書用の大きなシーツには溢れるほどのメッセージが彩りも豊かに書き込まれ、じっくり読んでいるとしみじみしてくる。この寄せ書きは24日に福島県二本松市で行われる「JICAボランティア同窓会」で披露することになっている。その後、気仙沼大島に持って行けたら・・・。

素早く撤去。夜は10人ほどでオルドスアイリで打ち上げ。1日中外にいて体が冷え切っている。アイリの中は本当に暖かかった。これからも忘れまいと思った。


田川の歴史と食を堪能した一日

2012-03-13 | Weblog
10日(土)

昼から電車で田川まで。天気はまずまず。折尾、直方で乗り換えて2時間弱。県内なのに電車で行くとかなり時間がかかる。缶コーヒーをチビチビ飲みながら車窓の景色をボッと眺めながらゆったりとした時間を過ごす。

15時前に田川伊田に到着。歩いて5分のところにある田川市炭鉱・歴史博物館へ。今日は「田川の炭鉱の歴史を学び、田川名物ホルモン鍋を堪能する」イベントに参加。

まずは歴史。当時の時代背景から炭鉱での過酷な労働、長屋での生活など案内の方の説明を聞きながら館内をゆっくり回った。

そして特別展「日本初の世界記憶遺産登録山本作兵衛氏の炭坑記録画」をじっくり観覧。幼い頃からひたすら炭鉱労働を体験。炭鉱の過酷な労働をしっかり後世に伝えたいという志から60歳を超えてから記録画を描き始める。「当時の出来事をありのままに描き残す」という姿勢で始めたが、一つだけ嘘を描かなければならなかったという。それは坑内は本当は暗くてほとんど何も見えないが後世にわかりやすく伝えるためにわざと明るくカラーで描いたとのこと。92歳で亡くなるまで継続して描き続けた作品が後に世界遺産として評価されることに。志から行動にそして継続。志を貫くためにその方法は柔軟に転換していく・・・。やっぱりそうだ。かなり刺激を受けた。

17時からは「朝日家」さんへ。巷で話題沸騰中の「田川ホルモン鍋」を心行くまで味わう時間。20人を超える人々で会場は熱気ムンムン。地元に方々に鍋奉行をやっていただきうんちくを聞きながらホルモンを味わう。そして生ビール。最高に美味い。今度北九州で行われるB級グルメグランプリで優勝するかも。ぜひそうなってほしい。

20時。まだまだこれからという時間帯だが、僕は一足先に失礼することに。明日大事なイベントがあるのでここで帰らない大変。後ろ髪を引かれる思い。

帰りはまた電車でまたゆっくり缶コーヒーを飲みながら、今後の展開を考えた。今後ますます田川とつながっていきそうだ。