25日(日)
7時起床。二日酔い&寝不足。でも朝食はバクバク食べる。8時に出発。バス4台に分かれて福島の被災地を視察。協力隊OBで相馬市で幼稚園教諭をしているS氏の話を聞きながら、まずは飯館村へ。
ここは原発事故の影響で避難指示が出ているところ。残っている住民はほとんどいない。無人化した街、小学校が痛々しい。震災前ここの「飯館牛」をブランド化し、やっと軌道に乗ったところで大地震。人は避難したが家畜は徐々に痩せこけ死んでいったという。ペットは野生化し、たまに狼か狐のように鋭い目をした犬を見かけるとのこと。見た目にはのどかな山村の風景の中、様々な悲劇が生まれている。目に見えない放射能の恐怖を実感した。
続いて南相馬市を経由して相馬市へ。市民ホールで相馬市長の講和を聞く。地震、津波、原発事故・・・。次々と降りかかる災難の中、リーダーとしてどう動いたのか、とても興味部会お話だった。
その後、相馬の海岸のほうへ。何カ所かバスを降りて市役所の方の話を聞く。がれきの集積所、破壊された港、土台だけになった住宅街・・・。ここでも復興はまだまだ先といった感じ。
地元の幼稚園教諭S氏は大地震発生時にちょうど園児をバスで送り届けているところだったという。烈しい揺れの後の津波警報。ここでもギリギリの判断が求められた。幸い全員無事だったとのこと。しかしその後の行方不明者捜索を行った時の惨状は想像するだけで恐ろしくなる。その他いろんなエピソードを車内で聞いた。震災や見えない敵と戦いながらも相馬にとどまって踏ん張って生きていく、そんな気概を感じた。
車窓から下校時に帰宅するランドセル姿の小学生が見える。がれき撤去や復興事業で土木関係者が大勢押し寄せ、民宿やホテルは連日満室とのこと。少しずつだが前に向かって進んでいるようだ。
その後、バスで2時間、郡山で関西方面のバスに乗り換えて夜行バスの旅。車内でうとうとしながら今回の旅を振り返る。今日は一日被災地を回り胸が締め付けられる思いもしたが、福島の人々の粘り強さも感じられた。自分に何ができるか・・・。今はこの体験を九州に戻って伝えていくことくらいしかできないが・・・。
そしてJICAボランティアのネットワークの可能性。「国内も元気にする協力隊・・・」。うとうとしながらいろんなアイデアが浮かんでは消えた。
7時起床。二日酔い&寝不足。でも朝食はバクバク食べる。8時に出発。バス4台に分かれて福島の被災地を視察。協力隊OBで相馬市で幼稚園教諭をしているS氏の話を聞きながら、まずは飯館村へ。
ここは原発事故の影響で避難指示が出ているところ。残っている住民はほとんどいない。無人化した街、小学校が痛々しい。震災前ここの「飯館牛」をブランド化し、やっと軌道に乗ったところで大地震。人は避難したが家畜は徐々に痩せこけ死んでいったという。ペットは野生化し、たまに狼か狐のように鋭い目をした犬を見かけるとのこと。見た目にはのどかな山村の風景の中、様々な悲劇が生まれている。目に見えない放射能の恐怖を実感した。
続いて南相馬市を経由して相馬市へ。市民ホールで相馬市長の講和を聞く。地震、津波、原発事故・・・。次々と降りかかる災難の中、リーダーとしてどう動いたのか、とても興味部会お話だった。
その後、相馬の海岸のほうへ。何カ所かバスを降りて市役所の方の話を聞く。がれきの集積所、破壊された港、土台だけになった住宅街・・・。ここでも復興はまだまだ先といった感じ。
地元の幼稚園教諭S氏は大地震発生時にちょうど園児をバスで送り届けているところだったという。烈しい揺れの後の津波警報。ここでもギリギリの判断が求められた。幸い全員無事だったとのこと。しかしその後の行方不明者捜索を行った時の惨状は想像するだけで恐ろしくなる。その他いろんなエピソードを車内で聞いた。震災や見えない敵と戦いながらも相馬にとどまって踏ん張って生きていく、そんな気概を感じた。
車窓から下校時に帰宅するランドセル姿の小学生が見える。がれき撤去や復興事業で土木関係者が大勢押し寄せ、民宿やホテルは連日満室とのこと。少しずつだが前に向かって進んでいるようだ。
その後、バスで2時間、郡山で関西方面のバスに乗り換えて夜行バスの旅。車内でうとうとしながら今回の旅を振り返る。今日は一日被災地を回り胸が締め付けられる思いもしたが、福島の人々の粘り強さも感じられた。自分に何ができるか・・・。今はこの体験を九州に戻って伝えていくことくらいしかできないが・・・。
そしてJICAボランティアのネットワークの可能性。「国内も元気にする協力隊・・・」。うとうとしながらいろんなアイデアが浮かんでは消えた。